日月神示 地つ巻 第二十六帖(一六三)から第三十一帖(一六八)

第二十六帖(一六三)

 

 雨の日は傘いると言って晴れたら要らないのです、その時その時の御用あるのです、晴れた日とて傘要らないのではないのです、今御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのです、二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物あるのです。十柱(とはしら)の御役もその通りです、役変わるのです。旧八月の十二日、ひつ九のか三。

 

 

第二十七帖(一六四)

 

 天地(てんち)には天地の、国には国の、ビックリ箱開(あ)くのです、ビックリ箱開いたら臣民みな思いが違っていることわかるのです、早く洗濯した人からわかるのです、ビックリ箱開くと、神の規則通りに何もかもせねばならないのです、目あけておれん人出来ます、神の規則は日本も支那もインドもメリカもキリスもオロシヤもないのです、一つにして規則通りが出来るのですから、今に敵か味方かわからないことになって来るのです。

 

 学の世はもう済みました、日に日に神力現われますよ、一息入れる間もないのです。ドシドシ事を運ぶから遅れないように、取り違いしないように、慌てないようにしてくださいね。神々様もえらい心配なされてござる方ありますが、仕組はりゅうりゅう、仕上げ見て下さいね。旧九月になればこの神示に代わって天のひつくの神の御神示(おんふで)出しますよ、初めの役員それまでに引き寄せます、八分通り引き寄せましたが、あと二分通りの御役の者引き寄せます。遅い早いはありますが、神の言ったこと一厘も違いませんよ、二三(ふみ)は晴れたり日本晴れ、おけ、十月の四日、ひつ九のか三、二三(ふみ)。

 

 

第二十八帖(一六五)

 

  神の国には神の国のやり方、外国には外国のやり方あると言ってありましょう、戦もその通りです、神の国は神の国のやり方せねばならないのです、外国のやり方真似(まね)ては外国強いのです、戦するにも身魂磨き第一です。一度に始末することは易(やす)いなれど、それでは神の国を一度は丸潰しにせねばならないから、待てるだけ待っているのですよ、仲裁する国はなく、出かけた船はどちらも後へ引けない苦しいことになって来ますよ、(〇の中にゝの印)気をつけるように。十月六日、ひつくのか三。

 

 

第二十九帖(一六六)

 

 天明は神示(ふで)書かす御役です、蔭の役です、この神示はアとヤとワのつく役員から出すのです、表です。旧九月までにはその御方お揃いです、カのつく役員裏なり、タのつく役員表なり、裏表あると言ってありましょう、コトが大切です、コトによりて伝えるのが神は嬉しいのです、文字は次です、このことよく心得なさい。

 

 天の異変は人の異変です、一時は神示も出ないことあります、神示読んでくださいね、神示読まないで臣民勝手に智恵絞っても何にもならないと言ってありましょう、神にくどう言わせることは神国の臣民の恥ですよ。神示は要らないのがまことの臣民です、神それぞれにわたりたら神示要らないのです、それが神世(かみよ)の姿です。

 

 上(かみ)に立つ人にこの神示わかるようにしてくださいね、国は国の、団体(まどい)は団体の上(かみ)の人に早く知らしてくださいね。アとヤとワから表に出すと上(うえ)の人も耳傾けるのです。アとはアイウエオです、ヤもワも同様です、カは裏です、タは表です、サとナとハとマとまつわりてくださいね、ウは別の御役です、御役に上下(うえした)ないのです、みなそれぞれ貴い御役です。この神示、『上(うえ)つ巻』と『下(しも)つ巻』まず読んでください、肚に入れてから神集(かむつど)うのです、神は急(せ)けますよ。山の津波に気つけなさい、十月の七日、ひつ九のか三。

 

 

第三十帖(一六七)

 

 一度に立て替えすると世界が大変が起こるから、延ばし延ばししているのですよ、目覚めないと末代の気の毒できますよ。国取られた臣民、どんなにむごいことになっても何も言うこと出来ず、同じ神の子でありながらあまりにもひどいやり方、ケダモノよりむごいことになるのが、よくわかっているから、神が表に出て世界中救うのです、この神示肚に入れると神力(しんりき)出るのです、疑う臣民沢山あるが気の毒です。一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むように、上(うえ)の人、してやって下さいね。

 

 生命(いのち)あるうちに神の国のこと知らずに、死んでから神の国に行くことは出来ません、神の力でないと、もう世の中はどうにも動かないようになっていること、上の番頭殿わかっておりましょう、どうにもならないと知りつつ、まだ智や学ばかりに縋(すが)っておるようでは上のひととは言えません、智や学超えて神の力にまつわりなさい、飛行機でも飛行機にまつわれば命(いのち)通うのですよ、お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民です、カミ拝(おろが)みて神示とりなさい、神のない世とだんだんなっておりましょう。まつることは生かすことです。生かすことは能(はたら)かすことです。神の国には何でもないものないのです、神の御用ならば何でも出て来る結構な国です、何もなくなるのはやり方悪いのです、神の心に副(そ)わないのです。十月七日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第三十一帖(一六八)

 

 この神示読ますようにするのが役員の務めではないですか、役員さえ読んではいないではないですか。神示に一二三(ひふみ)つけたもの、まず大番頭(おおばんとう)、中番頭、小番頭殿に読ましてくださいね、道さえつければ読みますよ、肚に入るものと入らぬものとはありますが、読ますだけは読ませてやるのが役員の務めではないのですか。旧九月になったら忙しくなるから、それまでに用意しておかないと悔しさが出ますよ。いざとなって地団駄(じだんだ)踏んでも間に合いませんよ。餅搗(つ)くには搗く時あるのです、それで縁ある人を引き寄せているのです、神は急けるのです。十月の七日、ひつ九のか三、いそぐ。

日月神示 地つ巻 第三十二帖(一六九)から第三十六帖(一七三)

第三十二帖(一六九)

 

 仕組通りが出て来るのですが、大難を小難にすること出来るのです。神も泥海(どろうみ)は真(ま)っ平(ぴら)です、臣民喜ぶほど神嬉しきことないのです、雲っておれど元は神の息入れた臣民です、打つ手あるのです。番頭殿、役員殿、フンドシ締めなさい。十月の七日、ひつ九のか三。

 

 

第三十三帖(一七〇)

 

  江戸の仕組済んだら尾張の仕組にかからせますよ。その前に仕組む所ありますが、今では成就しないから、その時は言葉で知らせます。宝持ち腐りにしないように、猫に小判にならないように。天地一度に変わると言ってあること近づきました、世は持ちきりにはさせません、息吹(いぶき)払って論(ろん)なくするのです、コトなくしますよ、物言われない時来ますよ、臣民見当とれないことと言ってありましょう、上(うえ)の人辛くなりますよ、頑張ってくださいね。十月八日、ひつ九のか三。

 

 

第三十四帖(一七一)

 

  神は言葉です、言葉とはまことです、息吹です、道です、まこととは、まつり合わした息吹です、言葉で天地濁ります、言葉で天地澄みます、戦なくなります、神国(かみくに)になります、言葉ほど結構な恐いものないのです。十月十日、あの一二のか三。

 

 

第三十五帖(一七二)

 

 日本の国はこの方の肉体です。国土拝(くにつちおろが)みなさいと言ってありましょう、日本は国が小さいから、一握りに握りつぶして喰うつもりで攻めて来ていますが、この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍してくれというように、とことんの時になったら改心しなければならないことになるのです。

 

 外国人もみな神の子ですから、一人残らずに助けたいのがこの方の願いと言ってありましょう、今に日本の国の光出ますよ、その時になって改心出来ていない臣民は、苦しくて日本のお土の上にいられないようになってくるのです。自分から外国行きとなるのです。魂(たま)のままの国に住むようになるのです。

 

 南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づきましたよ。お土の上がり下がりある時近づきましたよ。人の手柄で栄燿(えいよう)している臣民、もはや借銭なしの時となったのです、改心第一です。世界に変わったことは皆この方の仕組の節々ですから、身魂磨いたらわかるから、早く身魂磨いて下さいね。身魂磨くにはまつりしなければなりません、まつりはまつろうことですと言って説いてきかすと、神祀りはしないでいる臣民いますが、神祀り元です、神迎えねばなりませんよ、取り違いと天狗が一番恐いのです、千刃(せんじん)の谷へポンと落ちますよ。

 

 神の規則は恐いのです、隠し立ては出来ません、何もかも帳面に記してあるのです、借銭なしで裁きの時になっているのです、神の国に借銭ある臣民はどんな偉い人でも、それだけに苦しむのです、家は家の、国は国の借銭なしが始まっているのです、済ましたら気楽な世になるのです、世界の大晦日(おおみそか)です、晦日は闇と決まっているでしょう。借り返すとき辛いのですが、返したあとの晴れた気持ち良いでしょう、昔からの借銭ですから、素直に苦しみこらえて神の言うこと、させることに従って、日本は日本のやり方に返してくださいね、番頭殿、下(しも)にいる臣民殿、国々の守護神殿、外国の神々様、臣民殿、卍(仏)も十(キリスト)も九(何もかも?)もみな聞いてくださいね、その国その民のやり方伝えてありましょう、九十に気をつけて用意してくださいね。十月十日、ひつ九のか三。

 

 

第三十六帖(一七三)

 

 富士は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士から世界中に稜威(みいづ)される時近づきましたよ。富士はヒの山、日の本の山で、汚してはならない御山ですから、人民登れないようになりますよ、神の臣民と獣と立て別けると言ってありましょう、世のさま見て早く改心して、身魂洗濯致して神の御用つとめてくださいね。大きな声せんでも静かに一言いえばわかる臣民、一言えば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまりません、今にだんだんにせまって来ると、この方の神示あてにならん、騙されていたと言う人も出て来ますよ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界浄(きよ)めてくださいね。わからないと言うのは神示読んでいないしるしです、身魂芯から光り出したら、人も神も同じことになるのです、それがまことの臣民と言ってありましょう。

 

 山から野(ぬ)から川から海から何が起こっても神は知りませんよ、みな臣民の心からです、改心しなさい、掃除しなさい、洗濯しなさい、雲霧払ってくださいね、御光出ないようにしていてそれでよいのですか、気つけないと痛い目に遭いますよ、誰れ彼れの別ないと言ってありましょう。いずれは天のひつくの神様、御憑(おんか)かりになります、遅し早しはあります、この神様の御神示は烈しいのです、早く身魂磨かねば、御憑かり遅いのです、よくとことん掃除せねば御憑かり難しいのです、役員も気をつけてくださいね、御役ご苦労です、その代わり御役済んだら富士晴れますよ。十月十一日、一二か三。

 

<『地つ巻』了>

 

 

第十九帖(一五六)原文

 

 四七十(〇の中にゝの印)九二一十十三七三十(〇の中にゝの印)九二四八十八八二一十九三六五一 三一九九一二三三四五五六七七八九九〇一三十卍十九〇ゝ十三九十八二二八十(〇の中にゝの印)八十一十九三 九二四 一二(〇の中にゝの印) 二三

日月神示 日月の巻 第一帖(一七四)から第五帖(一七八)

第六巻

 

日月の巻(全四十帖)

 

自 昭和十九年旧九月一日

至 昭和十九年十一月三十日

 

 

<日の巻>

 

第一帖(一七四)

 

 富士は晴れたり日本晴れ。(〇の中にゝの印)の巻書き知らせます。この世に自分の物という物は何一つないのです。早(はよ)う自分からお返しした者から楽になるのです。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になっているのですから、見当取れないのです。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になっているのですから、そのつもりでおって少しでも神の御用務めてくださいね。これからがいよいよの正念場と言ってありましょう。今はまだまだ一の幕で、先繰(せんぐ)り出て来るのです。

 

 我(が)、出したらわからなくなります、てんし様拝みなさい、てんし様まつってくださいね、臣民無理と思うことも無理でないこと沢山にあるのです、神はいよいよの仕組にかかったと言ってありましょう。壊さないように、練(ね)り直すのです。世界を摺(す)り鉢(ばち)に入れてこね廻し、練り直すのです。日本の中に騒動起きます。神の臣民気をつけてくださいね。日本も神と獣に分かれているのですから、否(いや)でも応でも騒動となるのです。小さくしたいのですが。旧九月一日、ひつ九のか三。

 

 

第二帖(一七五)

 

 三千年、三千世界乱れたる、罪や穢れを身において、この世の裏に隠れしまま、この世構いし大神の、ミコト畏(かしこ)みこの度の、岩戸開きの御用する、身魂(みたま)はいずれも生き変わり、死に変わりして練りに練り、鍛えに鍛えし神国(かみぐに)の、まことの身魂天駈(あまか)けり、地(くに)駈けります元の種、昔の元の御(おん)種ぞ、今落ちぶれているとても、やがては神の御民(みたみ)とし、天地(あめつち)駈けり神国の、救いの神と現われる、時近づきぬ御民等(みたみら)よ。今一苦労二苦労、とことん苦しきことあれど、堪え忍びてぞ次の世の、まこと神代(よ)の礎(いしずえ)と、磨きてくれよ神身魂、弥栄つぎに栄えなむ。身魂幸(さち)はえましまさむ。旧九月二日、ひつ九のか三。

 

 

第三帖(一七六)

 

 この神示(ふで)、声立てて読んで下さいと言ってありましょう。臣民ばかりに聞かすのではないのです。守護神殿、神々様にも聞かすのです、声出して読んでさえおればよくなるのです。だからと言って、仕事休まないように。仕事は行(ぎょう)ですから務め務めた上にも精出してくださいね。それが真(まこと)の行です。滝に打たれ、断食するような行は幽界(がいこく)の行です。神の国のお土踏み、神国の光息して、神国から生れる食べ物頂いて、神国の御(おん)仕事している臣民には、行は要りません。このことよく心得なさい。十月の十九日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第四帖(一七七)

 

 戦(いくさ)済んでも後の紛糾(ふんきゅう)なかなかに済みません。人民いよいよに苦しくなります。三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられません。この神示読んで、三四五の世の仕組、よく肚(はら)の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下さいね。三四五とはてんし様の稜威(みいづ)、出づことです。十月二十日、ひつ九か三。

 

 

第五帖(一七八)

 

 神の国には神も人も無いのです。忠も孝もないのです。神は人です。山です、川です、めです、野です。草です、木です、動物です。為すこと、皆忠となり孝と流れるのです。死も無く生(いき)も無いのです。神心あるのみです。やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員気をつけてください。神の用意は出来ているのです。何事からでも早く始めてくださいね。神の心に叶うものはどしどしと埒(らち)あきます。十月二十一日、一二(〇の中にゝの印)。

日月神示 日月の巻 第六帖(一七九)から第十帖(一八三)

第六帖(一七九)

 

 アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニミコトトナリタマヒキ(天地の時、天御中主命、アのアに成りましき、高天原に命と成り給いき)。

 

 今の経済は悪の経済と言ってありましょう、もの殺すのです。神の国の経済はもの生む経済です。今の政治はもの壊す政治です、神の政治は与える政治と言ってありましょう。配給は配給、統制は統制です。一度は何もかも天地(てんち)に引き上げと言ってありますが、次の世の種だけは地に埋めておかねばならないのです。それで神がくどう言っているのです。種は落ちぶれていなさる方で守られています。上下に引っくり返ると言ってあること近づいて来ました。種は百姓に与えてあります。種蒔くのは百姓です、十月の二十二日、ひつ九か三。

 

 

第七帖(一八〇)

 

 ツギタカミムスビゾ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ、スニナリマシテ、スミキリタマイキ(次、高御産巣日です、神産巣日命と成り給いき、この三柱、スになりまして、澄みきり給いき)。

 

 岩戸ひらく道、神々苦しむなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりえむ道ぞ、神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。十月二十四日、一二(〇の中にゝの印)。(「岩戸ひらく」以下の原文は後に掲載)

 

 

第八帖(一八一)

 

 ツギ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、ミコトトナリナッテ、アレイデタマイキ(次、宇摩志阿斯阿備比古遅神、命となり成って現れ出で給いき)。

 

 瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なす)ならさないように。茄子には茄子と言ってありましょう。味噌も糞も一つにしないように。皆がそれぞれに息する道ありましょう。野見なさい森見なさい。神の経済よく見なさい。神の政治よく見て、まことの政治仕(つか)えてください。すべてにまつろうことと言ってありましょう。上(うえ)に立つ番頭殿、目開いて下さいね。間に合わないこと出来ても神はもう知りませんよ。神急(せ)ります。役員も気配りなさい。旧九月八日、ひつ九のか三。

 

 

第九帖(一八二)

 

 何事も持ちつ持たれつです。神ばかりではならず、人ばかりではならずと言ってありましょう。善一筋の世と言っても、今の臣民の言っているような善ばかりの世ではありません。悪でない悪とあなないているのです。このお道は、あなないの道です、上ばかりよい道でも、下(しも)ばかりよい道でもないのです。まつりとはまつわることで、まつり合わすとは、草は草として、木は木として、それぞれのまつり合わせです。草も木も同じまつり合わせではありません。十月の二十六日、ひつ九か三。

 

 

第十帖(一八三)

 

 ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコト、ナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ(次、天之常立命、次、国之常立命、次、豊雲野命、なり成りて、現れ出で給い、命澄みきり給いき)。

 

 辛酉(かのととり)の日と年は恐い日で、良き日と言ってありましょう。九月八日は結構な日ですが、恐い日ですと言って知らしてあったこと、少しはわかりましたか。何事も神示通りになって、先繰りに出て来ます。遅い早いはあります。この度は幕の一です。日本の臣民これで戦済むように言っていますが、戦はこれからです。旧十月八日、十八日はいくらでもあるのです。三月三日、五月五日は良き日です。恐ろしい日です。今は型です。早く改心すれば型小さくて済みますが、掃除大きくなります。猫に気をつけなさい、犬来ますよ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのです。神が表に出て御(おん)働きなされていること、今度はよくわかったでしょう。神と神との戦であると言ってありましょう。戦のまねです。神がいよいよとなって、ビックリ箱開いたら、臣民ポカンです。手も足も動かすこと出来ないのです。譬(たと)えではありません。くどう気をつけなさい、これからがいよいよの戦となるのです、鉄砲の戦ばかりではありません。その日その日の戦烈しくなります、褌(ふんどし)締めてくださいね。十月二十五日、ひつ九のか三。

日月神示 日月の巻 第十一帖(一八四)から第十五帖(一八八)

第十一帖(一八四)

 

 学も神力です。神です。学が人間の智恵と思っていると、とんでもないことになりますよ。肝腎の真ん中、動いてはならないのです。神国の政治は魂(たま)のまつりごとです。苦し行が喜んで出来るようになったら、神の仕組わかりかけるのです。何事も喜んで致してくださいと言ってありましょう。臣民の頭では見当取れない無茶な世になる時来たのです。それを闇の世と言うのです。神はゝ、臣民は〇、外国は〇、神の国はゝと言ってありましょう、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真ん中。人の真ん中には神ありましょう。

 

 悪神の仕組はこの方にはわかっているから、一度に潰すことは易いのですが、それでは天の大神様にすまないのです、悪殺してしまうのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)の嬉し嬉しの世にするのが神の願いですから、ここの道理忘れないように。今の臣民、いくら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないのです。黙っていても力ある人いよいよ世に出る時近づきました。力は神から流れ来るのです。磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさせますよ。身魂磨きが何より大切です。十月の二十七日、ひつ九のか三。

 

 

第十二帖(一八五)

 

 三ハシラ、五ハシラ、七ハシラ、コトアマツカミ、ツギ、ウヒジニ、ツギ、イモスヒジニ、ツギ、ツヌグヒ、ツギ、イモイクグヒ、ツギ、オホトノジ、ツギ、イモオホトノベ、ツギ、オモタル、ツギ、イモアヤカシコネ、ミコトト、アレナリ、イキイキテ、イキタマヒキ、ツギ、イザナギノカミ、イザナミノカミ、アレイデマシマシキ(三柱、五柱、七柱、別天津神、次、宇比地邇、次、妹須比智邇、次、角杙、次、妹活杙、次、意富斗能地、次、妹大斗乃辨、次、於母陀流、次、妹阿夜訶志古泥、命と現れ成り、いきいきて、いき給いき。次、伊邪那岐神、伊邪那美神、現れ出で坐しき)。

 

 足もとに気をつけなさい。悪は善の仮面かぶって来ます。入れない所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしているのです、己の心も同様です。百人千人万人の人が善いと言っても悪いことあります。一人の人言っても神の心に添うことあります。てんし様拝みなさい。てんし様拝めば御光出ます、何もかもそこから生まれるのです。お土拝みなさい。お土から何もかも生まれるのです。人拝みなさい、上に立つ人拝みなさい、草木も神と言ってありましょう。

 

 江戸に攻め寄せると言ってありましょう。富士目指して攻め来ると知らしてあること近づきました。今までのことは皆、型でしたよ、江戸の仕組もお山も、甲斐の仕組も皆型です、鳴門と(〇の中にゝの印)海(うづうみ)の仕組も型出してくださいね。尾張の仕組も型早く出してくださいね。型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからせますよ。雨降ります。十月二十八日、ひつ九のか三。

 

 

第十三帖(一八六)

 

 人心(ひとごころ)で急がないように。我(わ)が出てくるとしくじるから、我とわからない我あるから、今度はしくじること出来ないから、ここという時には神が力つけるから、急がないように。身魂磨き第一です。蔭の御用と表の御用とありますが、いずれも結構な御用です。身魂相当が一番よいのです。今にわかって来るから慌てないように。今までの神示よく読んでくれたらわかるのです。それで肚で読め読めとくどう言っているのです。食い物気をつけなさい。十月二十八日、ひつ九のか三。

 

 

第十四帖(一八七)

 

 世の元からの仕組ですから、臣民に手柄立てさして、上下(うえした)揃った光の世にするのですから、臣民見当取れないから、早く掃除してくれと言っているのです。国中(くにじゅう)いたる所花火仕掛けしてあるのです。人間の心の中にも花火が仕掛けてあるのです。いつその花火が破裂するか、わからないでしょう。掃除すれば何もかも見通しです。花火破裂する時近づいて来ました。動くこと出来ないようになるのです。蝋燭(ろうそく)の火、明るいと思っていますが、五六七(みろく)の世の明るさはわからないでしょう。十月の三十一日。ひつ九か三。

 

 

第十五帖(一八八)

 

 目覚めたらその日の生命(いのち)お預かりしたことを神に感謝し、その生命を神の御心のままに弥栄に仕えまつることに祈りなさい。神はその日その時に何すべきかについて教えますよ。明日のことに心使わないように。心は配りなさい。取り越し苦労しないように。心配りはしなければなりませんよ。

 

 何もかも神に任せなさい。神の生命、神の肉体となりきりなさい。何もかも捨てきらねばなりません。天地皆神のものです、天地皆己れのものです。取り違いしないように。いくら戦していても天国です、天国とは神国です。神国の民となれば戦も有り難いのです。イキの生命いつも光り輝いているのです。神にまつろうてくれと言ってありましょう。天地(あめつち)皆にまつろうてくれと言ってありましょう。ここの道理よくわかったでしょう。何も言うことないのです。神讃える言(こと)が九十(こと)です。天地讃える言が九十です。草木の心になりなさいと言ってありましょう。神風(かみかぜ)もありますよ。地獄の風もあります。迷わないように、神の言う言は九十です。コトに生きてくださいね。コトにまつろいなさい。十一月の一日、ひつ九か三。

日月神示 日月の巻 第十六帖(一八九)から第二十三帖(一九六)

第十六帖(一八九)

 

 慌てて動かないように。時節が何もかも返報(へんぽう)返ししますよ。時の神様有り難いと言ってありましょう。神は臣民から何求めているのか。いつも与えるばかりではないですか。神の政治、神国の政治は与える政治とくどう言ってありましょう。今のやり方ではいよいよ苦しくなるばかりです。早く気づかないと気の毒出来て来ます。金いらないと言ってありましょう。やり方教えてやりたいなれど、それでは臣民に手柄ないから、この神示よく読んでくれと言ってあるのです。

 

 善きことも現れると帳消しとなること知らしてありましょう、人に知れぬように善きことはするのです。このことよく深く考えて行いなさい。昔からのメグリですから、ちょっとやそっとのメグリでないから、どこへ逃げてもどうしてもするだけのことしなければならないのです。どこにいても救う臣民は救ってあげます。真ん中動かないように、知らぬ顔しておることも起きます。十一月三日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十七帖(一九〇)

 

 ココニアマツカミ、モロモロノミコトモチテ、イザナギノミコト、イザナミノミコトニ、コレノタダヨヘルクニ、ツクリカタメナセト、ノリゴチテ、アメノヌホコヲタマヒテ、コトヨサシタマイキ(ここに天津神、諸々の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命に、是の漂える地、修理固成なせと詔て、天の沼矛を賜いて、言依さし賜ひき)。

 

 神の国にも善と悪とあると言ってありましょう。この神示見せてよい人と悪い人とあるのです。神示見せてくれるなよ。まことの神の臣民とわかったら、この神示写してやってください。神示は出ないと言いなさい。時節よく見るのです。型してくれたのですからもう一(はじめ)の仕組よいです。この神示、表に出さないように。天明は蔭の御用と言ってありましょう。神示しまっておいてくださいね、一二三(ひふみ)として聞かしてやってくださいね。この方の仕組、日に日に変わるのですから、臣民わからなくなると言ってありましょう。日に日に烈しく変わって来るのです。神の子には神示伝えてくださいね。神急けるのです。(〇の中にゝの印)海(うづうみ)の御用結構。十一月四日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十八帖(一九一)

 

 ツギニイザナギノミコト、イザナミノミコトニ、アマノヌホトヲタマヒテ、トモニ、タタヨヘルコトクニツクリカタメナセトコトヨサシタマヒキ(次に伊邪那岐命、伊邪那美命に、天の沼陰を賜いて、共に漂えること地修理固成なせと言依さし賜いき)。

 

 日に日に烈しくなると言ってありましょう。水、頂(いただき)に上げなければなりません。お土掘らねばなりません。言葉とくに磨いてくださいね。言に気つけてくれとくどう言ってありましょう。してはならず、せねばならず、神事(ごと)に生きて下さいね。十一月六日、ひつ九のか三しらせます。

 

 

第十九帖(一九二)

 

 今のやり方、考え方が間違っているからです。洗濯しなさい掃除しなさいと言うのは、これまでのやり方考え方をスクリと改めることです。一度死(まか)りたと思いなさい。掃除して何もかも綺麗にすれば、神の光スクリと光輝きます。ゴモク捨てなさいと言ってありましょう。人の心ほど怖いものないのです。奥山に紅葉(もみじ)あるうちにと言うこと忘れないように。北に気をつけなさい。神の世の仕組よく肚に入れておいて下さいね。今度の新(さら)つの世の元となるのです。十一月七日、ひつくのか三。

 

 

第二十帖(一九三)

 

 神の用意は何もかも済んでいると言ってありましょう。臣民の洗濯早く致してくださいね。新つの世の用意早くしてくださいね。今度の世には四十九の御役、御仕事あるのです。四十九の御魂と言ってありましょう。早くこの神示肚に入れてください。早く知らしてくださいね、今までの神示、役員の肚に入るまではしばらくこの神示出ませんよ。大切の時には知らせますが、そのつもりでおってくださいね、野(ヌ)の種大切にして下さいね。毒吐き出しなさい。十一月の八日、ひつくのか三。

 

 

第二十一帖(一九四)

 

 人まず和し、人拝(おろが)みなさい。柏手打って人とまつろいなさい。神示読んで聞かしてくださいね。声出して天地に響くよう宣(の)りなさい。火と水、一二三(ひふみ)となるのです。火近づきました、水近づきました、否でも応でも走らなければなりません。引っくり返ります。世が唸りますよ。神示読めば縁ある人集まって来て、神の御用するもの出来て来ることわかりませんか。仕組通りに進めますよ。神待てませんよ、十一月十日、ひつ九か三。

 

 

第二十二帖(一九五)

 

 お宮も壊されますよ。臣民も無くなりますよ。上の人臭い飯食う時来ます。味方同士が殺し合う時来ますと言ってありましょう。これからがいよいよですから、その覚悟していて下さいね。一二三が正念場です。臣民の思っているようなことではないのです。この神示よく肚に入れておきなさいと言うのです。チリヂリバラバラになるのです。一人一人で何でも出来るようにしておきなさい。十一月十一日、ひつ九か三。

 

 

第二十三帖(一九六)

 

 一升枡(しょうます)には一升しか入らないと臣民思っていますが、豆一升入れて粟(あわ)入れること出来るのです。その上に水ならばまだ入るのです。神なればその上にまだいくらでも入るのです。神がうつったら人が思わないこと出来るのです。今度は千人力与えると言ってありましょう。

 

 江戸の仕組、世の終わりです。天拝(おろが)みなさい。地(つち)拝みなさい。まつわりなさい。秋の空グレンと言ってありましょう。冬も春も夏も気つけてくださいね。十一月十三日、ひつ九か三。

日月神示 日月の巻 第二十四帖(一九七)から第二十七帖(二〇〇)

第二十四帖(一九七)

 

 ココニイザナギノミコト、イザナミノミコトハ、ヌホコ、ヌホト、クミクミテ、クニウミセナトノリタマヒキ、イザナギノミコト、イザナミノミコト、イキアハシタマヒテ、アウ、あうトノラセタマヒテ、クニ、ウミタマヒキ(ここに伊邪那岐命、伊邪那美命は、沼矛、沼陰、組み組みて、国生みせなと詔りたまいき。伊邪那岐命、伊邪那美命、息合わしたまいて、アウ、あうと、詔らせ給いて、国、生み給いき)。

 

 九十(コト)の始め気つけてくださいね。夜明けたら生命(いのち)神に頂いたと言ってありましょう。(〇の中にゝの印)(ヒ)あるうちはことごとに(〇の中にゝの印)(ヒ)の御用しなさい。月あるうちはことごとに月の神の御用しなさい。それがまことの臣民です。生活心配しないように。こと分けて言えば今の人民すぐは出来ないでしょう。始めは六分国のため、四分自分のため、次は七分国のため、三分自分のため、次は八分国のため、二分自分のため、というようにしてくださいね。これはまだ自分あるのですよ。神人一つになるのです。十一月二十日、ひつ九神。

 

 

第二十五帖(一九八)

 

 はじめ(不明記号)(ヒツキ)ノクニウミタマヒキ、(〇の中にゝの印)ノクニウミタマヒキ、ツキノクニウミタマヒキ、ツギニクニウミタマヒキ(初め(不明記号)の国生み給いき、日の国生み給いき、月の国生み給いき、次に地生み給いき)。

 

 神に厄介(やっかい)かけないようにせねばなりませんよ。神が助けるからと言って臣民懐手(ふところで)していてはなりませんよ、力の限り尽くさなければなりません。(不明記号)と(〇の中にゝの印)とは違うのです。臣民一日に二度食べるのです、朝は(不明記号)(ヒ)の神様に供えてから頂きなさい、夜は月の神様に捧げてから頂きなさい、それがまことの益人(ますひと)です。十一月二十一日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第二十六帖(一九九)

 

 (〇の中にム)、(〇の中にウ)、(〇の中にウ)、ウ、う、にアエオイウです。昔の世の元です。(〇の中にア)、(〇の中にヤ)、(〇の中にワ)、ヤ、ワあります、世の元です。サタナハマからです。一柱(ひとはしら)、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱、と言ってありましょう。五十九の神、七十五柱、これでわかりましたか。(〇の中にム)はゝです。ゝには裏表上下あるのです。冬の先、春とばかりは限りませんと言ってあること忘れないように。用意しなさい、冬の桜咲きます。十一月二十二日、ひつ九神。

 

 

第二十七帖(二〇〇)

 

 神の国は生きているのですよ、国土拝(くにつちおろが)みなさい、神の肉体です。神の魂(たま)です。道は真っ直ぐとばかり思わないように、曲がって真っ直ぐですよ、人の道は無理に真っ直ぐにつけたがりますが、曲がっているのが神の道です。曲がって真っ直ぐいくのです。人の道も同じですよ。足もとから鳥立ちます。いよいよが近づきました。世の元と言うものは泥の海でした。その泥から神がいろいろのもの、一二三で、息吹て生みたのです。人の智ではわからないことです。眼は丸いから丸く見えるのです。この道理わかりましたか。一度はドロドロにこね廻さなければならないのです。

 

 臣民はどんなに言っても近欲(ちかよく)だから、先見えないから欲ばかり言っていますが、神は持ち切れないほどの物与えているではないですか。いくら貧乏だとて犬猫とはケタ違うのです。それで何不足言っているのですか。まだまだ天地へ取り上げます。日々(にちにち)取り上げていることわかりませんか。神が大難を小難にして、神々様御活動になっていること目に見せてもわかりませんか。天地でんぐり返りますよ。やがて富士晴れます。富士は晴れたり日本晴れ。元の神の世にかえりますよ。

 

 「日の巻」終わりて「月の巻」に移ります。いよいよ一二三が多くなるから、今までに出していた神示よく肚に入れておいてくださいね、知らせねばならず、知らしては仕組成就せず、臣民早く洗濯して鏡に映るようにしてくださいね。今の世地獄とわかっているでしょう。今のやり方悪いとわかっているでしょう。神まつりなさいと言うのです。外国には外国の神あると言ってありましょう。御戦(みいくさ)進めて外国に行った時は、まずその国の神まつらねばなりませんよ、まつるとはまつろうことと言ってありましょう。鉄砲や智では悪くするばかりです。神まずまつりなさいとくどう気つけてあるのは日本ばかりではないのです。この方の言うこと、小さく取りては見当取れないと言ってありましょう。三千世界のことです。世界のことです。日本ばかりが可愛いのではないのです、世界の臣民皆わが子です。分け隔てないのです。この神示読んで聞かしてくださいね。読めば読むほど明るくなります。富士晴れるのです。神の心晴れるのです。あら楽(たぬ)し世です。十一月二十三日、一二(〇の中にゝの印)。

 

<『日月の巻』「日の巻」了>

日月神示 日月の巻 第二十八帖(二〇一)から第三十二帖(二〇五)

<月の巻>

 

第二十八帖(二〇一)

 

 岩戸あけたり日本晴れ、富士光ります、この巻役員読むものです。世の元と言うのは火です、水です。くも出てクニとなりました。出雲とはこの地(くに)のことです。スサナルの神はこの世の大神です。初めは◎(ウヅ)であるなり、(渦の印)(うご)いて月となり地となりたのです。

 

 アは(渦の印)(ヒツキクニ) の神様なり、(〇の中にワヤ)(ヨ)は月の神様です、クニの神様はスサナルの神様です。このこと始めに心に入れれば掃除他愛(たわい)ないのです、グレンとは上下(うえした)かえることと言ってありましょう、言うてならないことです。言わねばならないことです。アメのひつ九の神。

 

 

第二十九帖(二〇二)

 

 一日(ひとひ)一日ミコトの世となります。神のこと言うよりミコトありません。もの言わないように。ミコト言うのです。ミコト神です。道です。アです。世、変わるのです。何も烈(はげ)しく引き上げです。戦(いくさ)も引き上げです。役に不足言わないように。光食いなさい、息です。素戔嗚尊(すさなるのみこと)祀ってくださいね。急ぎます。海原(うなばら)とはこのクニです。十一月二十五日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 (二十八帖~二十九帖の原文は後の頁に掲載)

 

 

第三十帖(二〇三)

 

 おのころの国成り、この国に降(お)りまして天(あめ)どの御柱(みはしら)見立て給(たま)いき。ここに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、(伊邪那美命(いざなみのみこと)、)島生み給いき。初めに水蛭子(ひるこ)、淡島(あわしま)生み給いき。この御子(みこ)国のうちに隠れ給いければ、次にのりごちて後(のち)生み給える御子、淡道之穂之三別島(あわじのほのさわけしま)、伊予(いよ)の二名島(ふたなしま)、この島愛媛(えひめ)、飯依比古(いいよりひこ)、大宜都比売(おおげつひめ)、建依別(たてよりわけ)という。次、隠岐(おき)の三子島(みつごのしま)、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)。次、筑紫島(つくししま)、この島白日別(しらひわけ)、豊日別(とよひわけ)、建日向日豊久土比泥別(たけひむかひとよくづひぬわけ)、建日別(たてひわけ)。次、伊伎島(いきのしま)、天比登都柱(あめひとつはしら)。次、津島(つしま)、天狭手依比売(あめのさでよりひめ)。次、佐渡島(さどのしま)。次、大島(おおしま)、大多麻流別(おおたまるわけ)。次、女島(ひめしま)、天一根(あめひとつね)。次、知訶島(ちかのしま)、天忍男(あめのおしを)。次、両兒島(ふたごしま)、天両屋(あめふたや)、二島(にしま)、八島(やしま)、六島(むしま)、合わせて十六島生み給いき。

 

 次にまたのり給いて、大島(おおしま)、小島(こじま)、生み給いき。淡路島(あわじしま)、二名(ふたま)島、隠岐(おきの)島、筑紫(つくしの)島、壱岐(いきの)島、津島、佐渡(さどの)島、大倭(おおやまと)島、児島(こじま)、小豆(あづき)島、大島、女(ひめ)島、なかの島、二子島の十四島、島生みましき。

 

 次に、息吹息吹(いぶきいぶ)きて、御子神(みこかみ)生み給いき。大事忍男神(おおことおしをのかみ)、大事忍男神(オオコトオシヲノカミ)、石土毘古(いしつちひこの)神、石土毘古(イシツチヒコノ)神、石巣比売(いしすひめの)神、石巣比売(イシスヒメノ)神、大戸日別(ひわけの)神、大戸日別(オオトヒワケノ)神、天之吹男(あまのふきをの)神、天之吹男(アマノフキヲノ)神、大屋毘古(おおやひこの)神、大屋毘古(オオヤヒコノ)神、風木津別之忍男(かさけつわけのおしをの)神、風木津別之忍男(カサケツワケノオシヲノ)神、海神(わたのかみ)、海神(ワタノカミ)、大線津見(オオワタツミノ)神、水戸(みとの)神、水戸(ミトノ)神、速秋津比(はやあきつひの)神、速秋津比売(はやあきつひめの)神、速秋津比売(ハヤアキツヒメノ)神、風神(かぜのかみ)、風神(カゼノカミ)、志那都比古(しなつひこの)神、木神(きのかみ)、木神(キノカミ)、久久能智(くくのちの)神、山神(やまのかみ)、山神(ヤマノカミ)、大山津見(おおやまつみの)神、野神(ぬのかみ)、野神(ヌノカミ)、鹿屋野比売(かやぬひめの)神、野椎(のつちの)神、鳥之石楠船(とりのいわくすふねの)神、天鳥船(あめのとりふねの)神、大宜都比売(おおげつひめの)神、大宜都比売(オオゲツヒメノ)神、火之夜芸速男(ひのやきはやをの)神、火輝比古(ひかがひこの)神、生みましき。速秋津比古(はやあきつひこ)、速秋津比売(はやあきつひめ)二柱の神、川海に因(よ)りもちわけ、ことわけて生ませる神、沫那芸(あわなぎの)神、頰那美(つらなみの)神、天之水分(あめのみくまりの)神、国之水分(くにのみくまりの)神、天之久比奢母智(あめのくひさもちの)神、国之久比奢母智(くにのくひさもちの)神、次に、大山津見(おおやまつみの)神、野椎(ぬつちの)神の二柱神、山野(やまぬ)に依(よ)りもちわけて、ことあげて生みませる神、天之狭土(あめのさつちの)神、国之狭土(くにのさつちの)神、天之狭霧(あめのさぎりの)神、国之狭霧(くにのさぎりの)神、天之闇戸(あめのくらとの)神、国之闇戸(くにのくらとの)神、大戸惑子(おおとまどひこの)神、大戸惑女(おおとまどひめの)神、大戸惑子(オオトマドヒコノ)神、大戸惑女(オオトマドヒメノ)神、生みましき、伊邪那美神、病(や)み臥(こや)しまして、たぐりになりませる神、金山比古(かなやまひこの)神、金山比売(かなやまひめの)神、屎(くそ)になりませる神、波仁夜須比古(はにやすひこの)神、波仁夜須比売(はにやすひめの)神、屎(ゆまり)に成りませる神、弥都波能売(みづはのめの)神、和久産巣日(わくむすびの)神、この神の御子、豊宇気比売(とようけひめの)神と申す。ここに伊邪那美神、火の神生み給いて、ひつちと成り給いて、根(ね)の神の神の国に神去(かみさ)り給いき。

 

 ここに伊邪那岐神、泣き給いければ、その涙になりませる神、泣沢女(なきさわめの)神。ここに迦具土(かぐつちの)神斬り給えば、その血(ち)、石(いわ)にこびりて石析(いわさくの)神、根析(ねさくの)神、石筒之男(いわつつのをの)神、甕速日(みかはやひの)神、樋速日(ひはやひの)神、建御雷男(たけみかづちおの)神、建布都(たけふつの)神、豊布都(とよふつの)神、御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血、闇於加美(くらおかみの)神、闇御津羽(くらみつはの)神、ここに殺されし迦具土の御首(みかしら)に成りませる神、正鹿山津見(まさかやまつみの)神、御胸(みむね)に於藤山津見(おとやまつみの)神、腹(みはら)に奥山津見(おくやまつみの)神、陰(みほと)に闇山津見(くらやまつみの)神、左の御手(みて)に志芸山津見(しきやまつみの)神、右(みぎり)の御手に羽山津見(はやまつみの)神、左の御足(みあし)に原山津見(はらやまつみの)神、右の御足に戸山津見(とやまつみの)神、成りましき、ここに斬り給える御刀(みはかし)、天之尾羽張(あめのおはばり)、伊都之尾羽張(いづのおはばり)という。ここに妹(いも)恋しまし給いて、根の国に追い往(い)で給いき。十一月二十五日夜、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第三十一帖(二〇四)

 

 一二三四五六七八九十百千卍(ヒトフタミヨイツムナナヤココノタリモモチヨロズ)。今度は千人万人力でないと手柄出来ないと言ってありましょう。世界中総がかりで攻めて来るのですから、一度はあるにあられんことになるのです。大将だからとて油断出来ません。富士の山動くまでにはどんなことも耐(こら)えねばならないのですよ。上辛いのです。どんなことあっても死に急がないように。今の大和魂と神の魂と違うとこあるのです。その時、所によって、どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂です。馬鹿正直ならないと言ってありましょう。今日あれし生命(いのち)勇む時来ました。十一月二十六日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第三十二帖(二〇五)

 

 表ばかり見ていては何もわかりません。月の神様祀ってくださいね。この世の罪穢(けが)れ負って夜となく昼となく護り下さるスサノオの神様、篤く祀りなさい。火あって水動きます。水あって火燃えますよ。火と水と言っておきましたが、水のほかに隠れた火と水あります。それを一二三(ヒフミ)と言います。一二三とは一二三ということです、言葉です、言霊(ことたま)です、祓いです、禊(みそぎ)です、(渦の印)(うづ)です。スサナルの仕組です。成り成る言葉です、今の三位(さんみ)一体は三位三体です。一(ヒ)とあらわれて二三(フミ)かくれなさい。二(フ)と三(ミ)の神様の御恩忘れないように。御(おん)働き近づきましたよ。十一月二十七日、ひつ九かみ。

日月神示 日月の巻 第三十三帖(二〇六)から第三十八帖(二一一)

第三十三帖(二〇六)

 

 宝の山に寄せ来ると言ってくどう気つけておいたではないですか。神の国にはどんな宝でもあるのです。神の国、昔から宝埋(い)けておいたと言ってありましょう。神の国にも宝埋けておいてあるのです、この宝は神が許さな誰にも自由にはさせないのです。悪が宝取ろうと思ったとて、どんなに国に渡って来ても、どうにもならないように神が護っているのです。いよいよとなったら神がまことの神力出して、宝取り出して、世界のどんな悪神(あくがみ)も神の国にはかなわないと言うところまで、とことん心から降参するところまで、今度は戦するのですから、人民よほど見当取れないことに、どんな苦労もこばらなならないのです。知らしてありたこと、日々(にちにち)どしどしと出て来ます。我(わ)れ善(よ)し捨ててくださいね。十一月二十八日、ひつ九のか三。

 

 

第三十四帖(二〇七)

 

 この神示(ふで)よく読んでくださいね。早合点してはなりませんよ。取り違いが一番怖いのです。どうしたらお国のためになるのか。自分はどうしたらよいのかと取次(とりつぎ)に聞く人たくさんに出て来ますが、この神示読めばどうしたらよいかわかるのです。その人相当に取れるのです。神示読んで読んで肚(はら)に入れてもわからないということないのです。わからねば神知らすと言ってありましょう。迷うのは神示読まないからです。肚に入れていないからです。人が悪く思えたり、悪く映るのは、己が曇っているからです。十一月二十九日、ひつ九のか三。

 

 

第三十五帖(二〇八)

 

 元からの神示肚に入れた人が、これから来る人によく話してやるのです、この道、始めは辛いなれど楽の道です。骨折らいでも素直にさえしてその日その日の仕事しておって下さいね。心配要らない道です。手柄立てようと思わないように。勝とうと思わないように。生きるも死ぬも神の心のままです。どこにいてどんなことしていても、助ける人は助けるのです。神の御用ある臣民、安心して仕事致しておりて下さいね。火降(ふ)りても槍(やり)降りてもビクともしません。心安心です。クヨクヨしないように。神に頼って神祀ってまつわりていなさい。神救いますよ。十一月の二十九日、ひつ九か三。

 

 

第三十六帖(二〇九)

 

 今の臣民見て褒(ほ)めるようなことは、皆奥知れています。これが善です、まことのやり方だと思っていること、九分九厘までは皆悪のやり方です。今の世のやり方見ればわかるでしょう。上の番頭殿、悪い政治すると思ってやっているのではありません。番頭殿を悪く言わないように。善い政治しようと思ってやっているのです。善いと思うことに精出しているのですが、善だと思うことが善ではなく、皆悪ですから、神の道がわからないから、身魂(みたま)曇っているから、臣民困るような政治になるのです。まつりごとしなければなりませんよ、わからないことも神の言う通りにすれば、自分ではわからないこともよくなっていくのです。悪と思っていることに善がたくさんあります。人裁くのは神裁くことです。怖いから改心するようなことでは、戦がどうなるかと言うようなことではまことの民ではありません。世がいよいよのとことんとなったから、今の大神様まで悪く言う者出て来ますよ。産土(うぶすな)様なんぞあるものか、悪神ばかりぞと言う者たくさんに出てきます。この世始まってない時ですから、我が身我が家(いえ)が可愛いようでは神の御用つとまりませんよ。神の御用すれば、道に従えば、我が身我が家は心配なくなるという道理わかりませんか。何もかも結構なことに楽にしてやるのですから、心配せずにわからないことも素直に言うこと聞いてくださいね。子に嘘つく親はないのです。

 

 神界のこと知らない臣民は、いろいろと言って理屈の悪魔に囚われて言いますが、今度のいよいよの仕組は臣民の知れることではないのです。神界の神々様にもわからない仕組ですから、とやかく言わずに、神の神示肚に入れて、身魂磨いて素直に聞いてくださいね。それが第一等です。

 

 この神示は世に出ている人では解けません。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けない人で気狂いと言われ、阿呆と言われても、神の道素直に聞く臣民でないと解けないのです。解いてよく噛み砕いて、世に出ている人に知らしてやって下さいね。苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いのです。十一月二十九日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第三十七帖(二一〇)

 

 天にも天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)様、天照大神(あまてらすおおかみ)様あるように、地にも天照皇大神様、天照大神様あるのです。地にも月読(つきよみの)大神様、隠れておられます。素戔嗚(すさなるの)大神様、罪穢れ祓いて隠れておられるのです。結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮らしておりながら、その神様あることさえ知らない臣民ばかり。これでこの世が治まると思っているのですか。神々祀って神々にまつわりて神国(ぐに)にまつりごと致してくださいね。つまらぬこと言っていると、いよいよつまらぬことになって来ますよ。十一月の三十日、ひつ九神 しらせます。

 

 

第三十八帖(二一一)

 

 大きアジアの国々や、島々八十(ヤソ)の人々と、手握り合い神国の、光り輝く時来(き)しと、皆喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思える時ぞ神国の、まこと危(あぶな)き時なるぞ、夜半(ヨハ)に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等(みこら)を連れ去られ、後には老人不具者のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、ことごと暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終わり近づきぬ。この神示心に入れくれと、申してあることわかる時、いよいよ間近(まぢか)になりたぞよ。出かけた船ぞ。褌(ふんどし)締めよ。十一月三十日、ひつ九のか三。

日月神示 日月の巻 第三十九帖(二一二)から第四十帖(二一三)

第三十九帖(二一二)

 

 喜べば喜ぶこと出来ます、悔やめば悔やむこと出来ます。先の取り越し苦労は要りません、心配りは要ると言ってありましょう。神が道つけて楽にいけるように嬉し嬉しでどんな戦も切り抜けるようにしてあるのに、臣民逃げて眼塞(ふさ)いで、懐手(ふところで)しているから苦しむのです。我れ善しという悪魔と学が邪魔していることにまだ気付きませんか。嬉し嬉しで暮らせるのですよ。日本の人民は何事も見えすく身魂授けてあるのです、神の御子です。掃除すれば何事もハッキリとうつるのです。早くわからなければ口惜(くや)しいこと出来ます。言葉とこの神示と心と行(おこない)と時の動きと五つ揃ったらまことの神の御子です、神です。十一月の三十日、ひつ九のか三ふで。

 

 

第四十帖(二一三)

 

 ここに伊邪那美命、語らいつらく、吾汝(あれみまし)と造れる国、未(いま)だ造り終えねど、時まちて造るへに、よいよ待ちてよ宣(の)り給いき。ここに伊邪那岐命、汝造らわねば吾(あ)とくつくらめ、と宣り給いて、帰らむと申(まお)しき。

 

 ここに伊邪那美命、是(こ)聞き給いて、御頭(みかしら)に大雷(おおいかつち)、大雷(オオイカツチ)、胸に火雷(ほのおいかつち)、火雷(ホノイカツチ)、御腹には黒雷(くろいかつち)、黒雷(クロイカツチ)、かくれに析雷(さくいかつち)、析雷(サクイカツチ)、左の御手に若雷(わきいかつち)、若雷(ワキイカツチ)、右(みぎり)の御手に土雷(つちいかつち)、土雷(ツチイカツチ)、左の御足に鳴雷(なるいかつち)、鳴雷(ナルイカツチ)、右の御足に伏雷(ふしいかつち)、伏雷(フシイカツチ)、成り給いき。伊邪那岐命、是見(こみ)、畏(かしこ)みてとく帰り給えば、妹(いも)伊邪那美命は、黄泉醜女(よもつしこめ)を追わしめき、ここに伊邪那岐命、黒髪鬘(くろかみかつら)取り、また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引きかきて、投げ棄(う)て給いき。

 

 伊邪那美命、次の八種(やくさ)の雷神(いかつちかみ)に黄泉軍副(よもついくさそ)えて追い給いき。ここに伊邪那岐命、十拳剣(とつかのつるぎ)抜きて後手(しりえで)に振(ふ)きつつさり、三度黄泉比良坂(みたびよもつひらさか)の坂本に到り給いき。坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給いしかば、ことごとに逃げ給いき。

 

 ここに伊邪那岐命、桃の実に宣り給わく、汝(みまし)、吾(あ)助けし如(ごと)、あらゆる青人草(あおひとくさ)の苦瀬(うきせ)に悩むことあらば、助けてよと宣り給いて、おおかむつみの命、オオカムツミノ命と名付け給いき。

 

 ここに伊邪那美命、息吹き給いて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)えて、その石中にして合い向かい立たしてつつしみ申し給いつらく、うつくしき吾(あ)が汝夫(なせ)の命、時廻(ときめぐ)り来る時あれば、この千引(ちびき)の岩戸、共にあけなんと宣り給えり。ここに伊邪那岐命、しかよけむと宣り給いき。ここに妹(いも)伊邪那美の命、汝(みまし)の国の人草、日に千人死(ちひとまけ)と申し給いき。伊邪那岐命宣り給わく、吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給いき。

 

 この巻、二つ合わして「日月(ひつく)の巻」としなさい。十一月三十日、ひつ九か三。

 

<『日月の巻』「月の巻」了>

 

 

第七帖(一八〇)岩戸以下原文

 

 五八三十十九四六七八八九四六 三三九四七九七百三 三九三三 一二三 三五 十九七四 一六七 一三〇九七四(〇の中にゝの印)九四百一九七四三九三三 一三 十 二四 一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第二十八帖(二〇一)原文

 

  一八十(チョンチョン)十(〇の中にゝの印)ハレ 二二七(チョン)(渦の印)三 九ノ(渦の印)八九一ん四六百ノ三 四ノ百十十百 ゝ百ノ八一(チョンチョンチョン)三三(チョンチョンチョン)三 九百デ(チョン)九二十七(チョン)三一(チョン)百十八九ノ九ニノ九十三 (〇の中にゝの印)三七(渦の印)ノ(〇の中にゝの印)(チョン)九ノ四ノ大(〇の中にゝの印)三マ三 一八◎て(チョンチョン)七り (渦の印)て月(チョン)七り九二十七リタノ三三 ア(チョン)(渦の印)ノ(〇の中にゝの印)三(チョン)七り(〇の中にワヤ)ハ月ノ(〇の中にゝの印)三三 九二ノ(〇の中にゝの印)三(チョン)八(〇の中にゝの印)三七(渦の印)ノ(〇の中にゝの印)三マ三 九ノ九十一二九九ろ二一レ(チョンチョン)十二ハタ(〇の中にハ)七一三 九レン十八上下カ(チョンチョン)九十十百四てア(ちょんちょん)七 一二て七(渦の印)ヌ九十三 一八(チョンチョン)七ら(チョン)九十三 アメノ(〇の中にゝの印)つ九ノ(〇の中にゝの印)

 

 

第二十九帖(二〇二)原文

 

 一十一一十一三九十ノ四十七る三 (〇の中にゝの印)ノ九十一二四り三九十七一三 百ノ一二七四 三九十一二ノ三三 三九十(〇の中にゝの印)三 三三 ア三 四カ〇るノ三 七二百八ケ四九七キアケ三 一九三百七キアケ三 八九二二十九百(〇の中にゝの印)て七一三 一カリ九へ四一キ三三 (〇の中にゝの印)三七(渦の印)ノ三九十〇つり九れ四 一十九三 う七八(渦の印)十八九ノ九二三 十一 二五 一二(〇の中にゝの印)

 

【注】

 

 ※『古事記』との関連がうかがわれる神示が出てくる巻である。従来の日月神示(ひふみ神示)ではカタカナで表記されているその個所は、カタカナともに意訳漢字を当てはめた文を併記してみた。このあたりは『日月神示と古事記の神々の予言』(徳間書店5次元文庫)で詳述したので、そちらをご参考にして頂きたい。

 

 ※ここに、伊邪那岐の「ヌホコ」に対するものとして、伊邪那美の「ヌホト」が出てくる。「ホト」とは女陰、「ホコ」は男根であり、人間で言う男性器と女性器にかけた比喩表現であろうと思われる。

 

 第十八帖には伊邪那美命の神名が二回続けて出されているが、これについて筆者は最初の方が「伊邪那岐命」の誤りではないかと思うのだが、原典を見てもそう記されている([一三七三]が二回)ので、取りあえずこのまま記しておく。

 

 ※第三十帖のところで、伊邪那美命がカッコ内に入っているが、これは原文にはないためである。しかしこのくだりは、伊邪那岐・伊邪那美二神が息を合わせて国生みをするところなので、「伊邪那美命」のみ表記がないのはおかしい。欠落したものだろうか?

 

 ※同じ神名が、ひらがなとカタカナで二回繰り返し出てくるところがある。ただしこれは原文ではひらがなとカタカナで記されているわけではない(「大事忍男神」ならば、[おゝ九十おしをのか三おほ九十おしをのか三]という具合に記されている)。なぜ同じ神名が(しかも一部のみ)繰り返されるのかは不明。

 

 ※日月神示と古事記を比較すると、生ずる神々の順番に異同がある。このことは『日月神示と古事記の神々の予言』で詳述したので省略する。

 

 ※この国生みのくだりで最も重要なことは、古事記ではナギ・ナミの二神が絶縁したまま終わっているのに対し、日月神示では、「いずれ時が来たら、ともに岩戸を開こう」と両神が合意している点にある(第四十帖)。この部分は古事記にはない。そしてその「岩戸開き」の時がついに巡り来たというのが日月神示出現の意義なのである。

日月神示 日の出の巻 第一帖(二一四)から第六帖(二一九)

第七巻

 

日の出の巻(全二十三帖)

 

自 昭和十九年十二月一日

至 昭和十九年十二月二十九日

 

 

第一帖(二一四)

 

 春とならば萌(も)え出(い)づるのです、草木ばかりではありません、何もかも萌え出(で)るのです、この方(ほう)の言うこと譬(たと)えではないと言ってありましょう、少しはわかりましたか。石物言う時来ました、この道早く知らしてくださいね、岩戸は五回閉められているのです、那岐(なぎ)・那美(なみ)の尊の時、天照大神(あまてらすおおかみ)の時、神武天皇の時、仏(ほとけ)来た時と、大切なのは素戔嗚(すさなる)の神様に罪着せした時、その五度(たび)の岩戸閉めですから、この度の岩戸開きはなかなかに大層ですと言うのです。いよいよ厳しくなってきましたが、これからが正念場です、否(いや)でも応でも裸にならなければなりません、裸ほど結構なものないことだんだんわかって来ますよ。十二月一日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第二帖(二一五)

 

 今年は神界元の年です、神始めの年と言いなさい。一二三(ヒフミ)、三四五(ミヨイヅ)、五六七(ミロク)です、五の年は子(ね)の年です。取り違いしないように、月神の巻十人と、十人の役員に見せてやってくださいね、時節到来したのです。桜咲き神の御国(みくに)は明け初(そ)めにけり、十二月の二日、ひつ九のか三しらす。

 

 

第三帖(二一六)

 

 次の世とは月の世のことです、一二(ひつき)の月(二)の世です、神月の月の世です、取り違いしないように致してくださいね。智や学があっては邪魔になります、無くてもならない難しい仕組です、月の神様祀ってください、素戔嗚の神様祀ってください、今にわかることです、日暮れ良くなりますよ、日暮れに祀ってくださいね、十柱(とはしら)揃ったら祀ってくれいと言ってありましょう、神急(せ)けます、十二月の二日、ひつ九のか三二(ふ)で。

 

 

第四帖(二一七)

 

 旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日はいくらでもあるのですと言ってありましょう、この日は人民には恐い日ですが、神には結構な日ですと言ってありましょう、神心になれば、神とまつわれば、神とあななえば、臣民にも結構な日となるのです。その時は五六七(ミロク)の世となるのです。桜花一度にどっと開く世となるのです、神烈(はげ)しく臣民静かな御代(みよ)となるのです、日日(ひにち)毎日、富士晴れるのです、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れです。十二月二日、ひつ九のか三。

 

 

第五帖(二一八)

 

 右(みぎり)に行かんとする者と、左に行かんとする者と結ぶのが(渦の印)(うづ)の神様です、(渦の印)の神様とは素戔嗚(すさのお)の大神様です、この御用(おんはたらき)によりて生命(いのち)があるのです、力生まれるのです、(渦の印)がまつりです、神国の祀り(渦の印)です、神はその全き姿です、神の姿です。男の魂(たま)は女(おんな)、女の魂は男と言って知らしてありましょう。十二月の三日、ひつ九のか三。

 

 

第六帖(二一九)

 

 神界のことは人間には見当取れないのですよ、学でいくら極めようとてわかりはしないのです、学も無くてはなりませんが、囚(とら)われると悪となるのです、下(しも)の神々様には現界のことはわかりはしないのです、わからない神々に使われている肉体、気の毒だから身魂磨(みたまみが)け磨けとくどう言っているのです。三、四月に気をつけなさい、どえらいこと出来るから、どうしても磨いておいて下さいね、それまでに型しておいてください。十二月五日、ひつ九のか三。

日月神示 日の出の巻 第七帖(二二〇)から第十一帖(二二四)

第七帖(二二〇)

 

 オロシヤにあがりておりた極悪の悪神(あくがみ)、いよいよ神の国に攻め寄せて来ます。北に気をつけろと、北がいよいよのギリギリですと言ってくどう気つけてありたこと近くなりましたよ。神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのです。国々もその通りです、神には依怙(えこ)無いのです。ロシアの悪神の御(おん)活動と言うものは、神々様でもこれは到底かなわないと思うように烈しき御力(おんちから)です。臣民というものは神の言葉はわからないから、悪神のことに御とつけるのはわからないと言うでしょうが、御とは力一杯のこと、精一杯のことを言うのです。

 

 何処から攻めて来ても神の国には悪神にはわからない仕組致してあるから、心配ないのです、いよいよとなった時には神が誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ですと言うとこまでギュウギュウと締めつけて、万劫末代(まんごうまつだい)言うこと聞きますと改心するとこまでゆすぶるから、神の国、神の臣民心配しないように、心大きく御用してくださいね、何処に居ても御用している臣民助けてあげますよ。一二月六日、ひつ九か三。

 

 

第八帖(二二一)

 

 一二三(ヒフミ)の食べ物に病(やまい)無いと言ってありましょう、一二三の食べ方は一二三唱えながら噛むのです、四十七回噛んでから呑(の)むのです、これが一二三の食べ方、頂き方です。神に供えてからこの一二三の食べ方すればどんな病でも治るのです、皆の者に広く知らしてやりなさい。心の病は一二三唱えることによりて治り、肉体の病は四十七回噛むことによって治るのです、心も身も分け隔(へだ)て無いのですが、わかるように言って聞かしているのです、取り違いしないように。

 

 日本の国はこの方の肉体と言ってありましょう、どんな宝も隠してあるのです、神の御用なら、何時でもどんなものでも与えるのです、心大きく持ってどしどしやってくださいね。集団(まどい)作るなと言えばバラバラでいるが、裏には裏あると言ってありましょう、心配(こころくば)りなさい、十二月七日、ひつ九のか三二で。

 

 

第九帖(二二二)

 

 人、神とまつわれば嬉し嬉しです、まつわれば人でなく神となるのです、それがマコトの神の世です、神は人にまつわるのです、ゝと〇と言ってありましょう、戦もゝと〇と壊し合うのではないのです、ゝと〇とまつろうことです、岩戸開く一つの鍵です、和すことです、神国真中(かみぐにまなか)に和すことです。それには〇(身)掃除しなければなりません、それがこの度の戦です、戦の大将が神祀らねばなりません。二四(西?)は剣(つるぎ)です。神まつりは神主ばかりするのではないのです、剣と鏡とまつらなければなりませんよ、まつわれば魂(たま)となるのです。魂なくなっていると言って知らしてありましょう、政治も教育も経済の大将も、神祀らねばならないのです。天(てん)の天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)様はさらなり、天の大神様、地(くに)の天照(あまてらす)大神様、天照皇大神様、月の神様、とくに篤(あつ)く祀りてください、月の大神様御出でまして闇の世は月の世となるのです。素戔嗚(すさのお)の大神様も篤く祀ってくださいね、この神様には毎夜毎日(まいよまいにち)お詫びしなければならないのです、この世の罪穢(つみけがれ)負われて陰から守護されて御座(ござ)る尊い御(おん)神様です、地(ち)の御神様です、土(つち)の神様です、祓い清めの御神様です、国々の産土(うぶすな)の神様祀ってくださいね、遅くなればなるほど苦しくなるのですよ、人ばかりではありませんよ。十二月八日、ひつ九ノか三。

 

 

第十帖(二二三)

 

 桜吹き神の御国(みくに)は明け初(そ)めにけり。十月になったらボツボツわかりますと言ってありましょう。はたきかけてバタバタとはたくとこもあるのです、箒(ほうき)で掃くとこもあるのです、雑巾がけしたり水で流すとこもあるのです、掃除始まったらバタバタに埒(らち)つくと言ってありましょう、メグリだけのことは、今度はどうしても借銭無しにするのです、花咲く人もあります、花散る人もあります。天(あめ)の日月(ひつく)の神の御神名書かせますよ、それを皆の者に分けてやりなさい。聞きたいことは審神者(さにわ)で聞きなさい、どんなことも聞かしてやると言ってありましょう、神急けますよ。火吹きます、火降ります。十二月十日、ひつ九ノか三。

 

 

第十一帖(二二四)

 

 江戸に道場作りなさい、まず一二三(ひふみ)唱えさせなさい、神示(ふで)読んで聞かせなさい、御魂鎮(みたましず)めしなさい、神鎮めしなさい、十回で一通りわかるようにしなさい、神祀りてその前でしなさい、神がさせるのですからドシドシと運ぶのです。真(まこと)の益人(ますひと)作るのです、こんなこと言わなくてもやらねばならないことですよ、神は一人でも多く救いたさに夜も昼も総活動していることわかるでしょう、神憑(か)かれる人早く作るのです、身魂洗濯するのです、神憑かりと言っても、狐憑(きつねつ)きや天狗(てんぐ)憑きや行者のような〇ゝ憑かりでないのです、真の神憑かりです、役員早く取りかかってくださいね。十二月十一日、一二(〇の中にゝの印)。

日月神示 日の出の巻 第十二帖(二二五)から第十六帖(二二九)

第十二帖(二二五)

 

 日に日に厳しくなって来ると言ってあったこと始まっているのですよ、まだまだ烈しくなってどうしたらよいかわからなくなり、あちらへウロウロ、こちらへウロウロ、頼るところも着る物も、住む家も食う物もなくなる世に迫って来るのですよ。それぞれにメグリだけのことはしなければならないのですよ、早い改心はその日から持ち切れないほどの神徳(しんとく)与えて、嬉し嬉しにしてあげますよ、寂しくなったら訪ねてきなさいと言ってありましょう、洗濯次第でどんな神徳でもあげますよ、神は御蔭(おかげ)やりたくてウズウズしているのです、今の世の様(さま)見てもまだわかりませんか。神と獣とに分けると言ってありましょう、早くこの神示(ふで)読み聞かして、一人でも多く救けてくださいね。十二月十二日、ひつ九のか三。

 

 

第十三帖(二二六)

 

 これまでの仕組や信仰は方便のものでしたよ。今度は正味(しょうまつ)の信仰です、神に真っ直ぐに向かうのです。(〇の中にゝの印)向(ヒムカ)と言ってありましょう。真上に真っ直ぐに神を戴いてくださいね、斜めに神戴いても光は戴けるのですが、横からでもお光は戴けるのですが、道は真っ直ぐに、神は真上に戴くのが神国の真(まこと)の御道です。

 

 方便の世は済んだと言ってありましょう、理屈は悪だと言って聞かしてありましょう、今度はどうしても失敗(しくじ)ること出来ないのです。神の経綸(しぐみ)には狂い無いのですが、臣民失敗ると経綸遅れて、臣民いよいよ苦しまなければならないのです、泥の海に臣民のたうちまわらなければならないのです、神も泥海にのたうつのですよ、甲斐(かい)ある御苦労ならいくらでも苦労甲斐ありますが、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られないから、早く掃除して神の言うこと真っ直ぐに肚(はら)に入れてくださいね。

 

 斜めや横から戴くと、光だけ影さすのです、影させば闇となるのです、大きものには大き影がさすと臣民言って、やむを得ないことのように思っていますが、それは真の神の道知らないからです、影さしてはならないのです、影はあるが、それは影でないような影です、悪でない悪なると知らせてありましょう。真上に真っ直ぐに神に向えば、影はあれど、影無いのです、闇ではないのです。この道理わかるでしょう、神の真道(まみち)は影無いのです、いくら大きな樹でも真上に真っ直ぐに光戴けば影無いのです、失敗(しくじり)無いのです、それで洗濯せよ掃除せよと言っているのです、神の真道わかりましたか。

 

 天(てん)にあるもの、地(ち)にも必ずあるのです、天地合わせ鏡と聞かしてありましょう、天にお日様あるように、地にもお日様あるのです、天にお月様あるように、地にもお月様あるのです、天にお星様あるように、地にもお星様あるのです。天から息吹けば、地からも息吹くのです、天に悪神あれば、地にも悪神あるのです。

 

 足元気つけと言ってありましょう。今の臣民、上ばかり見て頭ばかりに登っているからわからなくなるのです、地に足つけてと言ってありましょう、地拝(おろが)みなさいと、地にまつろいなさいと言ってありましょう、地の神様忘れていますよ。下(しも)の神様忘れていますよ、下と言っても位の低い神様のことではありません、地の神様です、地にも天照皇大神様、天照大神様、月読(つきよみの)大神様、須佐嗚之(すさのおの)大神様あるのです、知らしてあること、神示よく読んで下さいね、国土(くにつち)のこと、国土の真の神を無いものにしているから世が治まらないのです。神々祀りなさいと言ってありましょう、改心第一と言ってありましょう、七人に伝えなさいと言ってありましょう、我(わ)れ善(よ)しはチョンです。十二月十四日、ひつ九ノか三。

 

 

第十四帖(二二七)

 

 お日様は円(まる)いのではないのです、お月様も円いのではないのです、地球も円いのではないのです、人も円いのが良いのではないのです、息しているから円く見えるのです、活(はたら)いているから円く見えるのです、皆形無いもの言います、息しているもの皆円いのです。神の経済このことから生み出しなさい、大きくなったり小さくなったり、神の御意(みこころ)どおりに活(はたら)くものは円いのです、円い中に芯ありますよ、神の政治、このことから割り出しなさい、神は政事(まつりごと)の姿です、神の政治生きています、人の政治死んでいますよ。十二月十五日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十五帖(二二八)

 

 十柱の神々様、奥山に祀ってくださいね、九柱でよいのです、いずれの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様です、この方合わして十柱となるのです。御神体の石集めさしてありましょう、篤く祀って、辛酉(かのととり)の日にお祀りしてくださいね。

 

 病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると言ってありましょう。届くとは注ぐことです、手首の息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸と臍(へそ)の息と背首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのです、災難見ないのですから、毎朝神拝(おろが)みてからよく合わしてみなさい、合っていたらその日には災難無いのです、ことに臍の息一番大切です、もしも息合っていない時には一二三唱えなさい、唱え唱えて息合うまで祈りなさい、どんな難儀も災難も無くしてやりますよ、この方、意富加牟豆美(おおかむつみ)の神です。神の息と合わされると災難、病無くなるのです、大難小難にしてやりますよ、生命(いのち)助けてやりますよ、このことはこの方信じる人でないと誤るから知らさないように、手二本、足二本入れて十柱です、手足一本として八柱です、このこと早く皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやりなさい。飛行機の災難も、地震、罪穢(つみけがれ)の禍(わざわい)も、大き災難ある時には息乱れるのです、一二三祝詞と祓い祝詞と神の息吹と息と一つになっておれば災難逃れるのです、信ずる者ばかりに知らしてやってくださいね。十二月十八の日、ひつ九か三。

 

 

第十六帖(二二九)

 

 悪の衣(ころも)着せられて、節分に押し込められし神々様御出ましです。この節分からはいよいよ神の規則通りになるのですから気をつけなさい、容赦は無いのです、それまでに型さしておきますよ、御苦労なれど型してくださいね。ヤの身魂御苦労、石なぜ物言わぬのぞ、いよいよとなりているではないですか、春になったらどんなことあるかわからないから、今年中に心洗濯しなさい、身のまわり洗濯しなさい、神の規則臣民には堪(こば)れないことあるかも知れませんよ、気をつけなさい。十二月十九日、一二(〇の中にゝの印)。

日月神示 日の出の巻 第十七帖(二三〇)から第二十帖(二三三)

第十七帖(二三〇)

 

 何もかもひっくるめて立て直しするのですから、何処から何が出て来るかわかりませんよ、御用はそれぞれの役員殿、手分けして務めてくださいね、皆の者に手柄立てさせたいのです、一ヶ所(ひとところ)の御用二人ずつでやってくださいね、結構な御用です、いずこも仮です、世変わったら結構に祀ってくださいね、今は型ですよ、祀れ祀れと言ってあること忘れないように、まつわらねばならないのです、神がついているのですから神の言う通りにやれば箱指したように行くのです。産土(うぶすな)様忘れないように。十二月十九日、ひつ九か三。

 

 

第十八帖(二三一)

 

 富士の御用は奥山に祀ってくださいね、カイの御用も続けてくださいね、江戸一の宮作ってくださいね、道場も同じです、(渦の印)海(うづうみ)の御用とは、(渦の印)海の鳴門(なると)と、(渦の印)海の諏訪(すわ)と、(渦の印)海のマアカタと、三(み)と所(ところ)へ祀ってくださいね。まつりの仕方、天明に知らしておきますよ、その前の御用、言葉で知らしたこと済みました、(渦の印)海マアカタとは印旛(いんば)です。十柱とは火の神、キの神、金(かね)の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神です。辛酉の日に祀ってください。しばらく御神示(おふで)出ませんよ。皆の者早く今までの神示肚に入れてくださいね、神急ぎますよ。神示読めば神示出て来ますよ。神祀り早く済ませてくださいね。十二月二十一日朝、一二のか三。

 

 

第十九帖(二三二)

 

 海には神の石鎮め祀ってくださいね、山には神の石立てて樹植えてくださいね、石は神の印つけて祀るところに置いてありますよ、祀り結構です、富士奥山には十柱の石ありますよ、十柱祀ってくださいね、祀るところ、行けばわかるようにしてあります。十二月二十六日、ひつ九ノか三。

 

 

第二十帖(二三三)

 

 この度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならないのです、臣民もその通りです、神の言う通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと言ってありましょう。これからは神に逆らうものは一つも埒あきません、やってみなさい、九分九厘でグレンです。神の国はどうしても助けなければならないから、神が一日(ひとひ)一日と延ばしていることわかりませんか。皆の者が神を軽くしているからお蔭なくなっているのですよ、世の元の神でも身魂(みたま)となっていたのでは真(まこと)の力出ないのです。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合わないのですよ。何処(どこ)の教会でも元はよいのですが、取次役員がワヤにしてしまっているのですよ、今の様は何ごとですか。

 

 この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神です、この世構う神でも我(が)出すと失敗るのです、どんな力あったとて我出さないように、この方がよい見せしめです。世界構うこの方さえ我で失敗ったのです、くどいようですが、我出さないように、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りです。改心チグハグですから物事後先(あとさき)になりました、経綸少しは変わります。今の役員、神の道広めると言って我(われ)を広めているではないですか、そんなことでは役員とは言えませんよ。今までは神が世に落ちて人が神になっておったのです、これでは世は治まりません。神が上(かみ)、臣民、臣民で下におらねばなりません。吾(われ)が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けませんよ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならないのです。

 

 十年先は五六七(ミロク)の世です、今の人間、鬼より蛇より邪見ですよ、蛇の方が早く改心しますよ、早く改心せねば泥海にしなければならないから、神は日夜の苦労です。道は一つと言ってありましょう、二つ三つ四つあると思ってはなりませんよ、足元から鳥立つと言ってありましょう、人民火がついてもまだ気づかずにいますが、今に体に火ついてチリチリ舞いしなければならないことになるから、(〇の中にゝの印)、くどう気つけておきなさい。三四気をつけてください、神の国は神の力で何事も思うように行くようになっているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早く気づかないと今度という今度は取返しつきませんよ。見事なこと神がして見せますよ、見事なことです、人間には恐いことです、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのですよ、下にあったとて見下げてはなりませんよ。

 

 この神は神の国の救われること一番願っているのですよ、外国人も神の子ではあるが性来(しょうらい)が違うのですよ、神の国の臣民が真(まこと)の神の子です、今は曇っていますが、元の尊い種植えつけてあるのですよ、曇り取り去ってくださいね、依怙(えこ)のようですが外国は後まわしです、同じ神の子でありながら神の国の臣民の肩持つとは公平でないと言う者ありますが、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからないことですよ、一に一足す二でないと言ってありましょう、何事も神の国から神の民(たみ)からです、洗濯も同様です。今度の御用外(はず)したら、いつになっても取り返しつかないことになるのですから、心して御用してくださいね、やり損ない出来ないことになっているのですよ。天の一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺(おぼ)れない元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えです、どんなことあっても人間心で心配しないように、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくださいね、この神はめったに間違いないのです。三千年地に潜(もぐ)りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸ですから、人間どの心配せずに、神の言うよう素直に致して下さいね。

 

 末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなっていることです。オロシヤの悪というのは泥海の頃から生きている悪の親神です。北に気をつけなさい、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国ですから、悪神が日本を取って末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの知恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのですから、よほど褌(ふんどし)締めて下さいね、日本の上に立っている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あきます。早く改心してくださいね。十二月二十六日、一二(〇の中にゝの印)。

日月神示 日の出の巻 第二十一帖(二三四)から第二十三帖(二三六)

第二十一帖(二三四)

 

 神憑(か)かりと言っても七つあるのですよ、その一つ一つがまた七つに分かれているのですよ、神がかり、か三かかり、か三かゝりです、ゝ(カミ)かゝりです、(〇の中にゝの印)かゝり、か三かゝり、か三かゝりです、神憑かっていないと見える神憑かりが真(まこと)の神憑かりと言ってありましょう。そこらにいる神憑かりは、皆四段目、五段目、六段目、七段目の神憑かりです。神憑かりとは、惟神(かむながら)のことです、これが神国の真の臣民の姿です。惟神の国、惟神です、神と人と融(と)け合った真の姿です、今の人民の言う惟神ではないのです、この道理わかりましたか、真の神にまつりあった姿です。悪の大将の神憑かりは、神憑かりとわかりません、気をつけなさい、これからは神憑かりでないと、何もわからないことになるのですよ、早く神憑かりになるよう、掃除してくださいね、神の息吹に合うと神憑かりになれるのです。一二三唱えなさい、祓いのりなさい、神讃(たた)えなさい、人讃えなさい、神は人誉(ほ)め、人は神讃えてまつりてくれよ、まつわりくれよ、あなないくれよ。十二月二十七日、ひつ九か三。

 

 

第二十二帖(二三五)

 

 左は火です、右(みぎり)は水です、(〇の中にゝの印)の神と(渦の印)(うず)の神です、(〇の中にゝの印)(日)の神と月の神です、日の神ばかり拝(おろが)んで月の神忘れてはなりませんよ、人に直々(じきじき)恵み下さるのは(渦の印)神、月の神です、ざと申して日の神おろそかにしないように、水は身を護る神です、火は魂(たま)護る神です、火と水とで組み組みて人です、身は水で出来ていますよ、火の魂入れてあるのです、国土も同様です、(渦の印)海の御用大切です。十二月二十八日、ひつ九のか三。

 

 

第二十三帖(二三六)

 

 この世の位もいざとなれば、宝も富も勲章も役には立ちません、この世去って役に立つのは身魂の徳だけです、身についた芸はそのまま役に立ちます。人に知れないように徳つみなさいと言ってありましょう、神の国に積む徳のみが光るのです、マアカタの御用結構です、富士晴れます、海晴れます。天明ご苦労です。ヤノご苦労です。ササキ、イソカミ、カドタ、ご苦労です。この巻、「日の出の巻」としてまとめて役員に読ませて、一二三として皆に知らせてくださいね、神急ぎます。十二月の二十九日、ひつ九ノか三。

 

<『日の出の巻』了>

 

 

 第二十二帖(二三五)原文

 

 ヒたり八火三三 三キリ八水三三 (〇の中にゝの印)のか三十(渦の印)のか三三 (〇の中にゝの印)のか三十月のか三三 (〇の中にゝの印)のか三八かりおろかんて月のか三〇すれて八七らん三 一十二ちき(繰り返す記号)め九三九た三るの八(渦の印)のか三月のか三三 三十百四て(〇の中にゝの印)のか三おろそか二するて七一三 三八三をまもるか三三三 一八たままもるか三三三 一十三十て九三九三て一十三 三八水ててきて一る三 一のたま一れてあるの三三 九二つち百十四三 (渦の印)う三の五四た一せつ三三

 

 十二かつ二十八にち ひつ九のか三