日月神示 下つ巻 第三十六帖(七八)から第三十八帖(八〇)

第三十六帖(七八)

 

 神をそちのけにしたら、何も出来上がらないようになったのです。九分(くぶ)通り出来てグレンと引っ繰り返っておりましょう、それも気づきませんか。一にも神、二にも神、三にも神です、一にもてんし様、二にもてんし様、三にもてんし様です。この道つらいようなれど貫きてくださいね、だんだんと良くなって、こんな結構なお道かと言うようにしてあるのですから、何もかもお国にささげて自分の仕事を五倍も十倍も精出してくださいね。戦ぐらい何でもなく終わります。今のやり方ではとことんに落ちてしまいますよ、(〇の中にゝの印)くどう気つけておきなさい。国々の神さま、臣民さま、改心第一です。八月三日、ひつ九のか三。

 

 

第三十七帖(七九)

 

 世が変わったら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌います、雨も欲しい時に降り、風も欲しい時に吹くと、雨の神、風の神様言っておられます。今の世では雨風を臣民がワヤにしているのです、降っても降れず、吹いても吹かないようになっているのがわかりませんか。盲、聾の世の中です。神のいる場所塞(ふさ)いでおってお蔭ないと不足言いますが、わからないと言ってもあまりですよ。

 

 神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の容(い)れものと言ってありましょう、天(あめ)のひつくの民というのは、世界治める御魂(みたま)の容れもののことです、民草とは一人を護る容れものです、ひつく臣民は神がとことん試すのですから、可哀そうなれど我慢してくださいね、その代わり御用つとめてくれたら、末代名を残して、神から御礼言いますよ。何事も神は帳面につけとめているのですから間違いないのです、この世ばかりではありません、生まれ代わり死に代わり鍛えているのです、ひつくの臣民落ちぶれていると言ってありましょう、今に上、下になります、逆立ちがおん返りて、元の善き楽の姿になるのが近づきました、逆立ち苦しいでしょう、改心した者から楽にしてやりますよ、御用に使いますよ。八月三日、ひつ九のか三。

 

 

第三十八帖(八〇)

 

 富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終わりですから、これまでに示したこと、よく肚(はら)に入れてくださいね。神が真中で取次役員いくらでもいますよ、役員はみな神柱です。国々、ところどころから訪ねて来ます、その神柱には御告(みつ)げの道知らしてやってくださいね、日本の臣民みな取り次ぎです、役員です。この方は世界中丸めて大神様にお目にかける御役、神の臣民は世界一つに丸めて、てんし様に献(ささ)げる御役です。この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなって世界丸める御役です。

 

 神祀ってくれたらいよいよ仕組知らせる神示書かせますよ、これからが正念場だから、ふんどし締めてかかってくださいね。秋立ちたら神烈(はげ)しくなりますよ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(みよいづ)となりますよ。八月の三日、ひつくのか三。

 

<『下つ巻』了>

 

 

第二十二帖 後半部原文

 

 二三 三 二二ゝ〇(〇の中にゝの印)

 二五五五二一二二六一

 一二三二八一四五

 三二三四四五二

 二二九三二五四

 五三五  一二(〇の中にゝの印)

 七かつの二十八二ち

日月神示 富士の巻 第一帖(八一)から第六帖(八六)

第三巻

 

富士の巻(全二十七帖)

 

自 昭和十九年八月十日

至 昭和十九年八月三十日

 

 

第一帖(八一)

 

 道はいくらもありますが、どの道通ってもよいと言うのは、悪のやり方です、神の道は一つです、はじめから神の世の道、変らぬ道があればよいと言っていますが、どんなことしても我(われ)さえ立てばよいように言っていますが、それが悪の深き腹の一厘です。神の道は始めの道、神の成れる道、神の中のゝなる初め、ゝは光のゝ、神は世の道、このこと気のつく臣民ありませんが、一が二わかる奥の道、身魂掃除すればこのことわかるのです、身魂磨き第一です。八月十日、(〇の中にゝの印)の一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第二帖(八二)

 

 甲斐の山々に立って、ヒレ振りて祓いてくださいね、一二(ひつき)神に仕えている臣民、代わる代わるこの御役つとめてくださいね。今はわからないでしょうが結構な御役です。

 

 この神示腹に入れておいてくださいと言うに、言うこと聞く臣民少ないのですが、今に後悔するのがよくわかっているから、(〇の中にゝの印)はくどう気をつけておきなさい、読めば読むほど神徳あります、どんなことでもわかるようにしてあります、言うこときかねば一度は種だけにして、根も葉も枯らしてしまって、次の世の大掃除せねばならないから、種のあるうちに気つけておれど、気つかねば気の毒出来ますよ。

 

 今度の祭典(まつり)御苦労でした、神界では神々様大変の御喜びです、雨の神、風の神殿、ことに御喜びになられました。

 

 この大掃除一応やんだと安堵(あんど)する。この時、富士鳴門がひっくり返りますよ、天の道、地の道です、ひっくり返ります、早く改心してくださいね。八月の十一日、(〇の中にゝの印)のひつくの神。

 

 

第三帖(八三)

 

 メリカもキリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになって神の国に攻め寄せて来ますから、その覚悟で用意しておきなさい。神界ではその戦の最中です。学と神力との戦と言ってありましょう、どこからどんなこと出来るか、臣民にはわからないでしょう、一寸先も見えないほど曇っていて、それで神の臣民と思っているのですか、畜生にも劣っていますよ。まだまだ悪くなって来ますから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ない臣民沢山ありますよ。

 

 玉とは御魂(おんたま)です、鏡とは内に動く御力です、剣(つるぎ)とは外に動く御力です、これを三種(みくさ)の神宝(かんだから)と言います。今は玉がなくなっているのです、鏡と剣だけです、それで世が治まると思っていますが、肝腎(かんじん)の真中ないのです、それでちりちりばらばらです。アとヤとワの世の元要ると言ってありましょう、この道理わかりませんか、剣と鏡だけでは戦勝てませんよ、それで早く身魂磨いてくださいと言ってあるのです。上下(うえした)ないのです、上下に引っ繰り返しますよ、もう神待てないところまで来ていますよ、身魂磨けたらどんなところでどんなことしていても心配ありませんよ、神界の都(みやこ)には悪が攻めて来ているのです。八月の十二日、(〇の中にゝの印)のひつくの神。

 

 

第四帖(八四)

 

 一二三(ひふみ)の仕組が済んだら三四五(みよいづ)の仕組ですと言ってありましたが、世の元の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのです、五六七のしくみはミロクの仕組のことです、獣と臣民とハッキリ分かったら、それぞれの本性出すのです、今度は万劫末代(まんごうまつだい)のことです、気の毒出来るから洗濯大切と言ってあるのです。今度お役決まったらそのままいつまでも続くのですから、臣民よくこの神示読んでおいてくださいね。八月十三日、(〇の中にゝの印)のひつくのか三。

 

 

第五帖(八五)

 

 喰うものがないと言って臣民不足言っていますが、まだまだ少なくなって、一時は喰う物も飲むものもなくなるのです、何事も行であるから喜んで行して下さいね。滝に打たれ、蕎麦粉喰うて行者、行していますが、断食する行者もいますが、今度の行は世界の臣民みな二度とない行ですから厳しいのです。この行出来る人と、よう我慢出来ない人とあります、この行出来なければ灰にするよりほかないのです、今度の御用に使う臣民はげしき行さして神うつるのです。今の神の力は何も出てはいないのです。この世のことは神と臣民と一つになって出来ると言ってありましょう、早く身魂磨いて下さいね。

 

 外国は〇、神の国はゝと言ってありますが、ゝは神です、〇は臣民です、〇ばかりでも何も出来ません、ゝばかりでもこの世の事は何も成就しません、それで神かかれるように早く大洗濯してくれと言っているのです、神急けるのです、この御用大切です、神かかれる肉体沢山要るのです。今度の行は〇を綺麗にする行です、掃除出来た臣民から楽になるのです。どこにおっても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼言って、末代名の残る手柄立てさせます。神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのです、今は一分もありません、一厘もありません、これで神国の民と言って威張っていますが、足許(あしもと)からビックリ箱があいて、四ツん這(ば)いになっても助からないことになるのです、穴掘って逃げても、土もぐっていても、灰になる身魂は灰です、どこにいても助ける臣民、助けます。神が助けるのではないのです、神助かるのです、臣民も神も一緒に助かるのです、この道理よく肚に入れてくださいね、この道理わかったら神の仕組はだんだんわかって来て、何という有り難いことかと、心がいつも春になります。八月の十四日の朝、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三。

 

 

第六帖(八六)

 

 今は善の神が善の力弱いから、善の臣民苦しんでいますが、今しばらくの辛抱です、悪神総がかりで善の肉体に取りかかろうとしているから、よほどフンドシ締めていないと負けます。親や子に悪の神かかって苦しい立場にして、悪の思う通りにする仕組立てているから気をつけなさい。

 

 神の、もう一つ上の神の世の、もう一つ上の神の世の、もう一つ上の神の世は戦済んでいますよ、三四五から五六七の世になれば、天地光って何もかも見えすきます。八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけておいてくださいね、いよいよ世が迫って来ると、やり直し出来ないと言ってありましょう。いつも剣の下にいる気持ちで心引き締めていてくださいね、臣民口で食べる物ばかりで生きているのではないのです。八月の十五日、ひつく神と(〇の中にゝの印)のひつ九のか三しるさせます。

日月神示 富士の巻 第七帖(八七)から第十三帖(九三)

第七帖(八七)

 

 悪の世であるから悪の臣民世に出ているのです、善の世にグレンと引っ繰り返ると言うのは、善の臣民の世となることです。今は悪が栄えていますが、この世では人間の世界が一番遅れているのですよ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになっているのです。一本の大根でも一粒の米でも何でも尊くなったでしょう、一筋の糸でも光出て来たでしょう、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれないでしょう、神が御礼言うほどに尊い仕事出来る身魂です、殊(こと)に神の国の臣民みな、まことの光あらわしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいてはおれないことになるのです。結構な血筋に生まれていながら、今の姿は何事ですか。神はいつまでも待てないから、いつ気の毒出来るか知れませんよ。戦恐れていますが、臣民の戦くらい何が恐いのですか、それより己の心に巣食っている悪のみたまが恐いのですよ。八月の十六日、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三。

 

 

第八帖(八八)

 

 山は神です、川は神です、海も神です、雨も神、風も神です、天地みな神です、草木も神です、神祀りなさいと言うのは神にまつろうことと言ってありましょう、神々まつり合わすことです、皆何もかもまつりあった姿が神の姿、神の心です。皆まつれば何も足らないことないのです、余ることないのです、これが神国の姿です、物足りない足りないと臣民泣いていますが、足りないのではないのです、足りないと思っていますが、余っているではないですか、上(かみ)の役人どの、まず神祀りなさい、神祀って神心となって神の政治しなさい、戦などは何でもなくケリつきます。八月十七日、(〇の中にゝの印)の一二のか三。

 

 

第九帖(八九)

 

 神界は七つに分かれています、天(あま)つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国(地獄)も上中下の三段、中界の七つです、その一つ一つがまた七つに分かれているのです、その一つがまた七つずつに分かれています。

 

 今の世は地獄の二段目です、まだ一段下ありますよ、一度はそこまで下がるのです、今一苦労あるとくどう言ってあることは、そこまで落ちることです、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めない所ですから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのです。この世は人間にまかしているのですから、人間の心次第です、しかし今の臣民のような腐った臣民ではありません、いつも神の憑(か)かっている臣民です、神憑かりとすぐわかる神憑かりではなく、肚の底にシックリとゝ鎮まっている臣民です、それが人間の真の姿です。

 

 いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でいてくださいね、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に出づることです、神のまことの姿と悪の見られないさまと、ハッキリ出て来ます、神と獣と分けると言ってあるのはこのことです。何事も洗濯第一。八月の十八日、(〇の中にゝの印)の一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十帖(九〇)

 

 いよいよ戦烈しくなって、喰うものもなく何もなくなり、住むとこもなくなったら行く所なくなります。神の組から除かれた臣民と神の臣民とどちらがえらいか、その時になったらハッキリします、その時になってどうしたらよいかと言うことは神の臣民なら誰でも神が教えて手引っ張ってあげますから、今から心配せずに神の御用しなさいな。

 

 神の御用と言って自分の仕事をなまけてはなりませんよ。どんな所にいても神がスッカリと助けてやりますから、神の言うようにして、今は戦しておってくださいね。てんし様御心配なさらぬようにするのが臣民のつとめです。神の臣民、九十に気をつけなさい、江戸に攻め来ましたよ。八月の十九日、(〇の中にゝの印)のひつ九の(〇の中にゝの印)。

 

 

第十一帖(九一)

 

 神土(つち)は、白は「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、くろは「く」のつく山々里々から出て来ます、よく探して見なさい、三尺下の土なればよいのです、いくらでも要るだけ一杯出て来ます。八月二十日、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三。

 

 

第十二帖(九二)

 

 御土は神の肉体です。臣民の肉体もお土から出来ているのです、このことわかったら、お土の尊いことよくわかるでしょう。おヒナは女(おみな)です。甲斐の仕組ご苦労でありました。これからいよいよ厳しくなります、よく世の中の動き見ればわかるでしょうが、汚れた臣民上がれない神の国に上がっているではないですか。いよいよとなったら神が臣民にうつって手柄させますが、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれませんよ。早く神の言うことよく聞いて、生まれ赤子の心になって、神の容れものになってくださいね。一人改心すれば千人助かります、今度は千人力与えます、何もかも悪の仕組はわかっています、いくらでも攻めて来てみなさい、(〇の中にゝの印)には世の元からの神の仕組してあります、学や知恵でまだ神にかなうと思っているのですか、神にはかないませんよ、八月の二十一日、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三。タイチご苦労でした。

 

 

第十三帖(九三)

 

 何もかもてんし様のものではないですか、それなのにこれは自分の家です、これは自分の土地ですと言って自分勝手にしているのが神の気に入りません、一度は天地に引き上げと知らしてあったこと忘れてはなりませんよ、一本の草でも神のものです。野から生れたもの、山から採れたもの、海の幸も、みな神に供えてから臣民戴きなさいと言ってあるわけも、それでわかるでしょう。

 

 この神示(ふで)よく読んでさえおれば病気もなくなります、そう言えば今の臣民、そんな馬鹿あるかと言いますが、よく察して見なさい、必ず病も治りますよ、それは病人(やみびと)の心が綺麗になるからです、洗濯しなさい掃除しなさいと言えば臣民何もわからないから、あわてていますが、この神示読むことが洗濯や掃除の始めで終わりなのです、神は無理は言いませんよ、神の道は無理していないのです、よくこの神示読んでくださいね。読めば読むほど身魂磨かれますよ、と言っても、仕事をよそにしてはなりませんよ。臣民というものは馬鹿正直だから、神示読めと言えば、神示ばかり読めばよいように思っていますが、裏も表もあるのです。役員よく知らしてやりなさい。八月の二十二日、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三のお告げ。

日月神示 富士の巻 第十四帖(九四)から第十九帖(九九)

第十四帖(九四)

 

 臣民にわかるように言うなれば、身も心も神のものですから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのです、それでその身体(からだ)をどんなにしたらよいかということわかるでしょう、夜になれば眠った時は神にお返ししているのだと思いなさい、それでよくわかるでしょう。身魂磨くと言うことは、神の入れものとして神からお預かりしている、神の最も尊いとことしてお扱いすることです。八月二十三日、(〇の中にゝの印)の一二のか三。

 

 

第十五帖(九五)

 

 嵐の中の捨小船(すておぶね)ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにもわかるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ)も櫂(かい)さえ折れた船、どうすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして、肥やしになりと思えども、肥やしにさえもならぬもの、沢山出来ておろうがな、北から攻めて来る時が、この世の終わり始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終わりと思えかし、この世の終わりは神国の、始めと思え臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意を急ぐぞよ。八月二十四日、(〇の中にゝの印)の一二か三。

 

 

第十六帖(九六)

 

 一二三(ひふみ)は神食、三四五(みよいづ)は人(ひと)食、五六七(みろく)は動物食、七八九(なやこ)は草(くさ)食です、九十(こと)は元に一二三食、神国弥栄です。人、三四五食に病ないのです。八月二十四日、一二(〇の中にゝの印)ふみ。

 

 

第十七帖(九七)

 

 九十(こと)が大切ですと知らしてありましょう、戦ばかりでないのです、何もかも臣民では見当とれないことになって来ますから、上(うえ)の臣民九十に気をつけなさい、お上(かみ)に神祀ってくださいね、神にまつろうてくださいね、神くどう言っておきますよ、早く祀らねば間に合いませんよ、神の国の山々にはみな神祀りなさい、川々にみな神祀りなさい、野にも祀りなさい、臣民の家々にも落つる隈(くま)なく神祀りなさい、まつりまつりてミロクの世となるのです。臣民の身も神の宮となって神まつりなさい、祀りの仕方知らしてありましょう、神は急(せ)けますよ。八月二十五日、(〇の中にゝの印)のひつ九神。

 

 

第十八帖(九八)

 

 神々様みなお揃(そろ)いなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、五柱七(いつはしらなな)柱、八(はち)柱、十(と)柱の神々様がチャンとお心合わしなされて、今度の仕組の御(おん)役決まりてそれぞれに働きなされることになりたよき日です。辛酉(かのととり)はよき日と知らしてありましょう。

 

 これから一日一日烈(はげ)しくなります、臣民心得ておいてくださいね。物持たぬ人、物持てる人より強くなりますよ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいということになります、理屈は悪魔と知らしてありましょう、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りです、臣民の食い物、足りるように作らしてあるのに、足らぬと言っていますが、足らないことはないのです、足らないのはやり方悪いのです、食べて生くべきもので人殺すとは何事ですか。それぞれの神様にまつわれば、それぞれのこと、何でもかなうのです、神にまつわらずに、臣民の学や知恵が何になるのか、そこ知れているではないですか。

 

 戦(いくさ)には戦の神あります、お水に泣くことあります、保持の神様御怒りなされているから、早く心入れ替えなさい、この神様お怒りになれば、臣民日干(ひぼ)しになりますよ。八月の辛酉の日、ひつくのか三さとします。

 

 

第十九帖(九九)

 

 神世のひみつと知らしてありますが、いよいよとなったら地震、雷ばかりではないのです、臣民アフンとして、これは何としたことだと、口あいたままどうすることも出来ないことになるのです、四(よ)ツン這(ば)いになって着る物もなく、獣となって這い廻る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かれて来るのです。

 

 獣は獣の性来(しょうらい)いよいよ出すのです、火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなければならないことになりました。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのですから、人一人も生きてはおられないのです、それが済んでから、身魂磨けた臣民ばかり、神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのです、どこへ逃げても逃げ所ないと言ってありましょう、高い所から水流れるように時に従っておりなさい、いざという時には神が知らして、一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのですよ。人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来ないのです、くどう気つけておきなさい、何よりも改心が第一です。八月の二十六日、(〇の中にゝの印)のひつくのか三。

日月神示 富士の巻 第二十帖(一〇〇)から第二十四帖(一〇四)

第二十帖(一〇〇)

 

 今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておきなさい、保持の神様御怒りだから、今年は五分くらいしか食べ物とれないから、そのつもりで用意しておいてくださいね。神は気(け)もない時から知らしておくから、この神示よく読んでいなさい。ひと握りの米に泣くことあると知らしてありましょう、米ばかりではありません、何もかも、臣民もなくなるところまで行かねばならないのです、臣民ばかりではありません、神々様さえ今度は無くなる方あります。臣民というものは目の先ばかりより見えないから、呑気(のんき)なものですが、いざとなっての改心は間に合わないから、くどう気つけてあるのです。日本ばかりではありません、世界中はおろか三千世界の大洗濯と言ってありましょう、神にすがって神の言う通りにするよりほかには道ないのです、それで神々様を祀って、上の御方からも下々からも、朝に夕に言霊(ことたま)がこの国に満つようになったら神の力現わすのです。江戸にまず神まつれと、くどう言ってあることよくわかるでしょう。八月の二十七日、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三。

 

 

第二十一帖(一〇一)

 

 神の言うこと何でも素直に聞くようになれば、神は何でも知らしてやりますよ。配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのです、臣民みな喜ぶように出来るのです、何もかも神に供えてからと言ってありましょう、山にも川にも野にも里にも家にも、それぞれに神祀りなさいと言ってありましょう、ここの道理よくわかりませんか。神は知らしてやりたいのですが、今では猫に小判です、臣民神にすがれば、神にまつわれば、その日からよくなると言ってありましょう、何も難しいことではないのです、神は無理言いませんよ、この神示読めばわかるようにしてあるのですから、役員早く知らして、縁ある臣民から知らしてくださいね。

 

 印刷できないと言えば何もしないでいますが、診察しないでも知らすこと出来るのです、よく考えて見なさい、今の臣民、学に囚(とら)えられていると、まだまだ苦しいこと出来ますよ、理屈ではますますわからないようになります、早く神まつりなさい、上も下も、上下揃ってまつってくださいね、てんし様を拝みなさい、てんし様にまつわりなさい、その心が大和魂です、益人(ますひと)の益心(ますこころ)です、ますとは弥栄(いやさか)のことです、神の御心です、臣民の御心も神の御心と同じことになって来ます、世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来ましたよ。八月の二十八日、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三ふで。

 

 

第二十二帖(一〇二)

 

 まつりまつりと、くどう言って知らしてありますが、まつり合わしさえすれば、何もかも、嬉し嬉しと栄える仕組です、悪も善もないのです、まつれば悪も善です、まつらねば善もないのです、この道理わかりましたか、まつりと言って神ばかり拝んでいるようでは何もわかりませんよ。そんな我れ善(よ)しでは神の臣民とは言えませんよ、早くまつりてくださいと言うこと、よく聞き分けてくださいね。

 

 我(われ)が我がと思っているのはまつりていない証拠です、鼻高となればポキンと折れると言ってある道理よくわかるでしょう、この御道は鼻高と取り違いが一番邪魔になるのです、と言うのは、慢心と取り違いはまつりの邪魔になるからです。ここまで分けて言えばよくわかるでしょう、何事もまつりが第一です。八月の二十九日、(〇の中にゝの印)の一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第二十三帖(一〇三)

 

 世界は一つになりました、一つになって神の国に攻め寄せて来ると言ってあることが出て来ました。人民にはまだわからないでしょうが、今にわかって来ます、くどう気つけておいたことのいよいよが来ました、覚悟はよいですか、臣民一人一人の心も同じになっておりましょう。

 

 学と神の力との大戦(おおたたかい)です、神国の神の力あらわす時が近くなりました。今あらわすと、助かる臣民ほとんどないから、神は待てるだけ待っているのです、臣民もかわいいが、元を潰すことならないから、いよいよとなったらどんなことあっても、ここまで知らしてあるのですから、神に手落ちはないのです。いよいよとなれば、わかっていることなれば、なぜ知らさないのだと言いますが、今では何馬鹿なと言って取り上げないことよくわかっているのです。因縁の身魂にはよくわかります、この神示読めば身魂の因縁よくわかります、神の御用する身魂は神が選りぬいて引っ張りているのです、遅し早しはありますが、いずれはどうしても、逃げてもイヤでも御用させるようになっているのです。

 

 北に気をつけなさい、東も西も南もどうするつもりですか、神だけの力では臣民に気の毒出来ますよ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのです、早く身魂磨けと言うことも、悪い心洗濯しなさいと言うこともわかるでしょう。八月の三十日、(〇の中にゝの印)の一二か三。

 

 

第二十四帖(一〇四)

 

 富士を目ざして攻め寄する、大船小船、天(あめ)の船、赤鬼青鬼黒鬼や、大蛇(おろち)、悪狐(あくこ)を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)い、海を埋(うず)めてたちまちに、天日(てんじつ)暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光現われぬ、これこそ救いの大神と、救い求むる人々の、目に映れるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何ぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬともかくも、生命(いのち)あっての物種(ものだね)と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨地震(つちふる)い、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉(ことごと)く、この世の外(ほか)にと失(う)せにけり、風やみ雨も収まりて、山川鎮まり国土(くにつち)の、ところどころに白衣(しろぎぬ)の、神の息吹に甦る、御民(みたみ)の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまず)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり岩戸あけたり。八月の三十日、(〇の中にゝの印)の一二の(〇の中にゝの印)。

日月神示 富士の巻 第二十五帖(一〇五)から第二十七帖(一〇七)

第二十五帖(一〇五)

 

 世界中の臣民はみなこの方の臣民ですから、ことに可愛い子には旅させねばならないから、どんなことあっても神の子ですから、神疑わないようにしなさい、神疑うと気の毒出来ますよ。いよいよとなったら、どこの国の臣民ということないのです、大神(おおかみ)様の掟(おきて)通りにしなければならないから、可愛い子だとて容赦(ようしゃ)出来ないから、気をつけていなさい、大難を小難にまつり変えたいと思っても、今のやり方はまるで逆様ですから、どうにもならないから、いつ気の毒出来ても知りませんよ。

 

 外国から早くわかって、外国にこの方祀ると言う臣民、沢山出来るようになって来ますよ。それでは神の国の臣民申し訳ないでしょう、山にも川にも海にもまつりなさいと言ってあるのは、神の国の山川ばかりではありません、この方世界の神ぞと言ってありましょう。裸になった人から、その時から善の方にまわしてやると言ってありますが、裸にならねば、なるようにして見せますよ、いよいよとなったら苦しいから、今の内と言ってあるのです。すべてをてんし様に捧げなさいと言うこと、日本の臣民ばかりでないのです、世界中の臣民みなてんし様に捧げなければならないのですよ。八月の三十日、(〇の中にゝの印)のひつ九のか三。

 

 

第二十六帖(一〇六)

 

 戦は一度おさまるように見えますが、その時が一番気をつけねばならない時です、向こうの悪神は、今度は神の元の神を根こそぎ無きものにしてしまう計画ですから、そのつもりでフンドシ締めてくださいね、誰も知れないように悪の仕組してあること、神にはよくわかっているから心配ありませんが、臣民助けたいから、神はじっと堪(こら)えに堪えているのですよ、八月の三十日、(〇の中にゝの印)のひつ九の神。

 

 

第二十七帖(一〇七)

 

 神の堪忍袋切れますよ、臣民の思うようにやれるなら、やってみなさい、九分九厘でグレンと引っ繰り返ると言ってありますが、これからはその場で引っ繰り返るようになるのですよ。誰もよう行かない、臣民の知れないところに何しているのですか、神には何もかもわかっていると言ってありましょう、早く兜脱いで神にまつわりて来なさい、改心すれば助けてやりますよ、鬼の目にも涙です、まして神の目にはどんな涙もあるのですよ、どんな悪人も助けてやりますよ、どんな善人も助けてやりますよ。

 

 江戸というのは東京ばかりではないのです、今のような都会みな穢土(えど)です。エドはどうしても火の海です。それよりほかやり方ないと神々様言っておられますよ。秋ふけて草木枯れても根は残りますが、人民枯れて根の残らないようなことになっても知りませんよ、神のこのふみ、早く知らしてやってくださいね。八と十八と五月と九月と十月に気をつけなさい。

 

 これでこの方の神示の終わりです。この神示は『富士の巻』として一つにまとめておいて下さいね、今に宝となりますよ。八月の三十日、(〇の中にゝの印)のひつ九神。

 

<『富士の巻』了>

 

 

第一帖(八一)原文

 

 三八一九ゝ百ゝゝ七ゝ十十ゝ三十ゝ百四一十百ゝゝ八ゝ九ゝ八ゝゝゝ三(〇の中にゝの印)ゝ三八一三一ゝゝ(〇の中にゝの印)ゝ四ゝ三ゝ八ゝゝ三ゝゝゝ八四一十百四ゝ一ゝゝ十七九十四ゝ百ゝゝ三ゝゝゝ八四一四二百四ゝ一ゝゝ三ゝゝゝ九ゝ二ゝゝ八ゝゝ一ゝゝ三(〇の中にゝの印)ゝ三八一ゝ三(〇の中にゝの印)ゝ七ゝゝ三(〇の中にゝの印)ゝ七ゝゝゝ七ゝ一ゝ八七ゝゝゝゝ(〇の中にゝの印)八四ゝ三九ノ九十ゝゝゝ九四ゝ三ゝ七一七ゝ十一ゝ二八ゝゝゝ九ゝ三三ゝゝ十二ゝゝ八九ゝ九十八ゝゝゝ三三ゝゝ三ゝゝゝ一一三八ゝゝ十ゝ(〇の中にゝの印)ノ一二(〇の中にゝの印)

 

 

第二帖(八二)「この大掃除・・・」以下の原文

 

 九ゝゝゝゝ

 一お八ゝゝゝあんゝゝゝゝ九

 ゝゝゝゝ二七ゝゝゝ七九り

 ゝゝゝ十てゝゝ三ゝゝゝ

 ゝ七九りゝゝゝ三八四か

 一四ん四て九れ四

 八かつの十一にち (〇の中にゝの印)のひつくの(〇の中にゝの印)

日月神示 天つ巻 第一帖(一〇八)から第四帖(一一一)

第四巻

 

天つ巻(全三十帖)

 

自 昭和十九年八月三十一日

至 昭和十九年九月十四日

 

 

第一帖(一〇八)

 

 富士は晴れたり日本晴れ、富士に御社(みやしろ)してこの世治めますよ。五大州ひっくり返りているのが神には何より気に入りません。一の大神様祀りなさい、二の大神様祀りなさい、三の大神様祀りなさい、天の御三体(ごさんたい)の大神様、地(ち)の御三体の大神様祀りなさい、天から神々様御降(おんくだ)りなされます、地から御神々様お昇りなされます、天の御神、地(つち)の御神、手を取って、嬉し嬉しの御歌(おんうた)、うたわれます。神の国は神の国、神の肉体です、汚してはならないところですよ。八月の三十一日、一二のか三。

 

 

第二帖(一〇九)

 

 これまでの改造は膏薬(こうやく)貼りですから、すぐ元にかえるのです。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ですから、臣民界のみでなく、神界も引っくるめて改造するのですから、この方(ほう)らでないと、そこらにいる守護神様にはわからないのです、九分九厘までは出来ますが、ここというところで、オジャンになるでしょう。

 

 富や金(きん)を返したばかりでは、今度は役に立ちません、戦(いくさ)ばかりでないのです、天災ばかりでないのです、上(うえ)も潰れます、下(しも)も潰れます、潰す役は誰でも出来ますが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にもわかってはいないのです。

 

 星の国、星の臣民、今はえらい気張りようで、世界構うように言っていますが、星ではダメです、神の御力でないと何も出来はしませんよ、八月三十一日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第三帖(一一〇)

 

 一日の日の間にも天地ひっくり返ると言ってありましょう、ビックリ箱が近づきましたよ、九、十に気を付けなさいと、くどう言ってありましょう、神の言うこと一分一厘違いませんよ、違うことならこんなにくどうは言いません、同じことばかり繰り返すと臣民言っていますが、この方の言うことみな違っていることばかりです、同じこと言っていると思うのは、身魂曇っている証拠です。改心第一です。八月三十一日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第四帖(一一一)

 

 この方は元の肉体のままに生き通しですから、天明にも見せなかったのです、あちこちに人身(じんしん)の肉体かりて予言する神が沢山出てきますが、九分九厘はわかっておれども、とどめの最後はわからないから、この方に従って御用しなさいと言っているのです。砂糖にたかる蟻とならないように。

 

 百人千人の改心なれば、どんなにでも出来ますが、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ですから、そんなチョロコイことではないのです。ぶち壊し出来ても立て直しわからないでしょう。火と水で岩戸開きます、智恵や学でやると、グレンとひっくり返ると言っておきましたが、そう言えば智恵や学は要らないと臣民早合点しますが、智恵や学も要るのです。悪も御役です、この道理よく肚(はら)に入れて下さいね。

 

 天の神様、地に御降(おんお)りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのです、国々の神々様、産土(うぶすな)様、力ある神々様にも御苦労になっているのです。天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)様はじめ神々様、篤(あつ)く祀ってくださいねと言ってきかしてありましょう、神も仏(ほとけ)もキリストも元は一つです。八月三十一日、ひつ九の神。

日月神示 天つ巻 第五帖(一一二)から第十二帖(一一九)

第五帖(一一二)

 

 牛の食べ物食べると牛のようになります、猿は猿、虎は虎となるのです。臣民の食べ物は決まっているのです、いよいよとなって何でも食べねばならないようになったら虎は虎となるのです、獣と神とが分かれると言ってありましょう、縁ある臣民に知らせておきなさい、日本中に知らせておきなさい、世界の臣民に知らせてやりなさい。

 

 獣の食い物食う時には、一度神に捧げてからにしなさい、神から頂きなさい、そうすれば神の食べ物となって、何食べても大丈夫になるのですよ、何もかも神に捧げてからと言ってあることの道理、よくわかったでしょう、神に捧げきらないと獣になるのです、神がするのではないのです、自分がなるのですと言ってあることも、よくわかったでしょう、くどう言いますよ。

 

 八から九から十から百から千から万から何が出るかわからないから、神に捧げなければ生きて行けないようになるのですが、悪魔に魅入(みい)られている人間いよいよ気の毒出来るのです。八月の三十一日、ひつ九のか三。

 

 

第六帖(一一三)

 

 天(あめ)は天の神、地(くに)は地の神が治(し)らすのです、お手伝いはありますが。秋の空のすがすがしさが、グレンと変わるのです、地獄に棲むもの地獄がよいのです、天国です。逆様はもう長くは続きません、無理通らぬ時世(ときよ)が来ました、いざとなったら残らずの活神(いきがみ)様、御総出(おんそうで)です。九月の一日、ひつ九のか三。

 

 

第七帖(一一四)

 

 富士は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよしなさい、二本のお手々で働きなさい、日本の神の御(おん)仕組、いつも二本となっています、一本足の案山子(かかし)さん、今更(いまさら)どうにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、いうこと最早(もはや)わかったら、神が与えた二本足、日本のお土に立って見なさい、二本のお手々打ち打ちて、神拝(おろが)みなさい天地(あめつち)に、響くまことの柏手(かしわで)に、日本の国は晴れますよ、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり、岩戸開けたり。九月一日、ひつ九か三。

 

 

第八帖(一一五)

 

 嵐の中の捨小船(すておぶね)と言ってありますが、今その通りとなっておりましょう、どうすることも出来ないでしょう、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいのです、神祀ってくださいね、神にまつわりてください、神はそれを待っているのです、それでもしないよりはましです、そこに光現われます。光現われると、道はハッキリとわかって来るのです、この方にだまされたと思って、言う通りにして見なさい、自分でもビックリするように結構が出来てるのにビックリしますよ。

 

 富士の御(おん)山に腰かけて、この方世界中護(まも)ります。辛酉(かのととり)、結構な日と言ってありましょう、結構な日は恐い日ですよ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降(くだ)りで忙しくなりますよ。てんし様御遷(おうつ)り願う時近づいて来ましたよ。奥山に紅葉(もみじ)あるうちにと思えども、いつまでも紅葉ないのです。九月の二日、ひつ九神。

 

 

第九帖(一一六)

 

 ひふみの秘密出でひらき鳴る、早く道展き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ。九月二日、ひつぐのかみ。(原文は後に掲載)

 

 

第十帖(一一七)

 

 一二三の裏に〇一二(ひふ)、三四五(みよいつ)の裏に二三四(ふみよ)、五六七(みろく)の裏に四五六(よいむ)、御用あります。五六七(みろく)済んだら七八九(なやこ)です、七八九の裏には六七八(むなや)あります、八九十(やこと)の御用もあります。だんだんに知らせるから、これまでの神示(ふで)よく心に入れて、ジッとしておいてくださいね。九月の三日、ひつくのか三。

 

 

第十一帖(一一八)

 

 この神示、言葉として読んで下さいね、神々様にも聞かせてくださいね、守護神どのにも聞かしてくださいね、守護神どのの改心まだまだですよ、一日(ひとひ)が一年になり、十年になり百年になると、目がまわって真底からの改心でないとお役に立てないことになって来ますよ。九月四日、一二か三。

 

 

第十二帖(一一九)

 

 遠くて近きは男女(なんにょ)だけでないのです、神と人、天と地、親と子、食べる物も遠くて近いがよいのです、神粗末にすれば神に泣きます、土尊べば土が救ってくれるのです、尊ぶこと今の臣民忘れていますよ、神ばかり尊んでも何もなりませんよ、何もかも尊べば何もかも味方です、敵尊べば敵が敵でなくなります、この道理わかりましたか、臣民には〇ゝと同じ分け御霊(みたま)授けてあるのですから、磨けば神になるのです。神示は謄写(とうしゃ)よいのです、始めは五十八、次は三四三です、よいですね。八月の五日、ひつくのか三。

日月神示 天つ巻 第十三帖(一二〇)から第一九帖(一二六)

第十三帖(一二〇)

 

 空に変わったこと現れたならば、地に変わったことがあると心得なさい、いよいよとなって来ているのです。神は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願いしているのですが、もうおことわり言う術(すべ)なくなりました。

 

 玉串神に供えるのは衣(ころも)供えることです、衣とは神の衣のことです、神の衣とは人の肉体のことです。臣民を捧げることです、自分を捧げることです、この道理わかりましたか。人に仕える時も同じことです、人を神として仕えねばならないのです、神として仕えると神となるのです、ですからもてなしの物出す時は、祓い清めて神に供えると同様にしてくださいね。

 

 食べ物今の半分で足りると言ってありましょうが、神に捧げたものか、祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのです、天の異変気をつけなさい。(〇の中にゝの印)気をつけておきます。神世近づきました。九月六日、一二のか三。

 

 

第十四帖(一二一)

 

 海一つ越えて寒い国に、まことの宝隠してあるのです、これからいよいよとなったら、神が許してまことの臣民に手柄させるのです、外国人がいくら逆立ちしても、神が隠してあるのですから手は着けられないのです、世の元からのことですが、いよいよが近くなったから、この方の力で出して見せます、ひつくのか三。ビックリ箱が開けて来ますよ。八月七日。

 

 

第十五帖(一二二)

 

 神の国には神の国のやり方あります、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方違うのです、教えもそれぞれに違っているのです、元は一つですが、神の教えが一等よいと言っても、そのままでは外国には通りませんよ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気をつけてくださいね、猫に小判何にもなりませんよ、神の一度言った言葉、一分(いちぶ)も違いませんよ。八月七日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十六帖(一二三)

 

 今度の戦(いくさ)済んだらてんし様が世界中治(しろ)しめして、外国には王はなくなるのです。いったん戦(たたか)い収まっても、あとのゴタゴタなかなかに鎮まりませんよ、神の臣民ふんどし締めて、神の言うことよく肚に入れておいてくださいね、ゴタゴタ起きた時、どうしたらよいかということも、この神示よく読んでおけばわかるようにしてあるのです。

 

 神は天からと中(ちゅう)からと地からと力合わして、神の臣民に手柄立てさせるようにしてあるのですが、今では手柄立てさせる、神の御用に使う臣民一分もないのです。神の国が勝つばかりではないのです、世界中の人も草も動物も助けて、みな喜ぶようにしなければならないのですから、臣民では見当取れません、永遠(とことわ)に続く神世に致すのですから、素直に神の言うこときくが一等です。

 

 人間の智恵でやれるなら、やって見なさい。あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻(うなぎ)つかみです、思うようにはならないでしょう、神の国が元の国ですから、神の国から改めるのですから、一番辛(つら)いことになるのですよ、覚悟はよいですか、腹さえ切れないようなフナフナ腰で大番頭とは何ということですか、てんし様は言うもかしこし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。人の力ばかりで戦しているのではないことくらいわかっておりましょう、目に見せてありましょう、これでもわかりませんか。八月七日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十七帖(一二四)

 

 昔から生き通しの活神様のすることです、泥の海にするくらい朝飯前のことですが、それでは臣民が可哀そうだから、天の大神様にこの方が詫びして一日(ひとひ)一日と延ばしているのですよ、その苦労もわからずに臣民勝手なことばかりしていると、神の堪忍袋切れたらどんなことあるかわかりませんよ、米があると言って油断しないように、いったんは天地へ引き上げです。八月七日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十八帖(一二五)

 

 いつも気付けてあることですが、神が人を使っているのですよ、今度の戦で外国人にもよくわかって、神様にはかないません、どうか言うこときくから、夜も昼もなく神に仕えるから許してくれと言うようになるのですよ、それには神の臣民の身魂掃除しなければならないのです、くどいようなれど、一時(いちじ)も早く、一人でも多く、改心して下さいね、神は急ぐのです。八月の七日、一二の(〇の中にゝの印)。

 

 

第十九帖(一二六)

 

 神の力がどんなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやらねば納まらないのです、世界揺さぶって知らせねばならないようになりますが、少しでも弱く揺すって済むようにしたいから、くどう気つけているのですよ、ここまで世が迫って来ているのですよ、まだ目醒めませんか、神はどうなっても知りませんよ、早く気づかないと気の毒出来ます、その時になっては間に合いませんよ。八月七日、一二(〇の中にゝの印)。

日月神示 天つ巻 第二十帖(一二七)から第二十八帖(一三五)

第二十帖(一二七)

 

 神の世と言うのは、今の臣民の思っているような世ではないのです、金(きん)は要りません、お土からあがりたものが光りて来るのです、衣類、食べ物、家倉(いえくら)まで変わるのです。草木も喜ぶ政治と言ってありましょう、誰でもそれぞれに先のわかる世になるのです。お日様も、お月様も、海も山も野も光り輝きます、水晶のようになるのです。悪はどこにも隠れること出来ないようになるのです、博打(ばくち)、娼妓(しょうぎ)は無くします。雨も要るだけ降らしてやります、風もよきように吹かしてやります、神を讃える声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのです。八月の七日、ひつ九のか三 ふで。

 

 

第二十一帖(一二八)

 

 みろく出づるには、はじめ半(なか)ばは焼きます、人、二分は死、みな人、神の宮となります。西に戦(いくさ)しつくし、神世とひらき、国毎(ごと)に、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、神急ぎます。八月七日、ひつくのかみふみぞ。(原文は後に掲載)

 

 

第二十二帖(一二九)

 

 十柱(とはしら)の世の元からの活神様、御活動となりていることわかったでしょう、獣(けもの)の容れ物にはわからないでしょうが、神の臣民にはよくわかっているはずです。まただんだんに烈(はげ)しくなって、外国の臣民にもわかるようになって来るのです。その時になってわかったのでは遅い遅い、早く洗濯してくださいね。九月の八日、ひつ九のか三。

 

 

第二十三帖(一三〇)

 

 我(が)がなくてはなりません、我があってはならず、よくこの神示(ふで)読みなさいと言うのです。悪はあるが無いのです、善はあるのが無いのです、この道理わかったらそれが善人(千人)です。千人力(せんにんりき)の人が善人です、お人好しではなりません、それは善人ではないのです、神の臣民ではありません、雨の神どの、風の神どのに、とく御礼言いなさい。八月の九日、一二(〇の中にゝの印)

 

 

第二十四帖(一三一)

 

 今の臣民、盲、聾ばかりと言ってありますが、その通りではないですか、この世はおろか自分の身体のことさえわかってはいないのです、それでこの世をもちていくつもりですか、わからないと言ってもあまりではないですか。

 

 神の言うこと違ったではないかと言う臣民も今に出て来ます、神は大難を小難にまつりかえているのにわからないのですか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあることわからないのですか、ひどいこと出て来ること待っているのは邪の身魂です、そんなことでは神の臣民とは言えませんよ。

 

 臣民は神に、悪いことは小さくしてくれと毎日お願いするのが務めです。臣民近欲(ちかよく)だからわからないのです、欲もなくてはなりません、取り違いと鼻高とが一番恐いのです。神は生まれ赤子の心を喜びます、磨けば赤子となるのです、いよいよが来ました。九月十日、ひつくのか三。

 

 

第二十五帖(一三二)

 

 今に臣民何も言えなくなりますよ、神は烈しくなるのです、目あけてはおれないことになるのです。四ツン這(ば)いになって這いまわらなければならないことになるのです、ノタウチまわらなければならないのですよ、土にもぐらなければならないのですよ、水くぐらなければならないのですよ。臣民可哀想なれど、こうせねば鍛えられないのです、この世始まってから二度とない苦労ですが、我慢してやり通してくださいね。九月十日、ひつ九のか三。

 

 

第二十六帖(一三三)

 

 天(あめ)の日津久(ひつく)の神と言っても一柱(ひとはしら)ではないのです、臣民のお役所にようなものと心得なさい、一柱でもあるのです。この方はオオカムツミノ神とも顕(あらわ)れるのです、時により所によりてはオオカムツミノ神として祀ってくださいね、青人草(あおひとぐさ)の苦瀬(うきせ)、治してやりますよ。天明は神示(ふで)書かす御役です。九月十一日、ひつ九神。

 

 

第二十七帖(一三四)

 

 石物言う時来ます、草物言う時来ますよ。北拝みなさい、北光りますよ、北よくなりますよ、夕方よくなりますよ、暑さ寒さ、みなやわらかくなりますよ、ミロクの世となりますよ。慌てずに急いでくださいね。神々様、皆の産土様(うぶすなさま)、総活動です、神々様祀ってくださいね、人々様祀ってくださいね、御礼言ってくださいね。九月十二日、一二か三。

 

 

第二十八帖(一三五)

 

 遅し早しはありますが、一度言ったこと必ず出て来るのです。臣民は近欲で疑い深いから、何もわからないから疑う者もありますが、この神示一分一厘違わないのです。世界ならすのです、神の世にするのです、善一筋にするのです、誰(だ)れ彼(か)れの分け隔(へだ)てないのです。土から草木生まれます、草木から動物、虫けら生まれます。上下(うえした)ひっくり返るのです。九月の十三日、ひつ九のか三。

日月神示 天つ巻 第二十九帖(一三六)から第三十帖(一三七)

第二十九帖(一三六)

 

 この方オオカムツミノカミとして書き知らせます。病あるか無いかは手まわして見ればすぐわかります、自分の身体中どこでも手届くのです、手届かないところあったら病のところすぐわかるでしょう。臣民の肉体の病ばかりではありません、心の病も同様です、心と身体と一つであるからよく心得ておきなさい、国の病も同様です。

 

 頭は届いても手届かないと病になるのです、手はどこへでも届くようになっていると言ってありましょう、今の国々の御姿(みすがた)見なさい、御手(みて)届いていないでしょう、手なし足なしです。手は手の思うように、足は足です、これでは病治りませんよ、臣民と病は、足、地についていないからです。足、地につけなさい、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけておりましょう。

 

 三尺上は神界です、お土に足入れなさい、青人草と言ってありましょう、草の心で生きねばならないのです。尻に帆かけて飛ぶようでは神の御用つとまりませんよ、お土踏まして頂きなさい、足を綺麗に掃除しておきなさい、足汚れていると病になります、足からお土の息が入るのです、臍(へそ)の緒のようなものです。

 

 一人前になったら臍の緒切って、社(やしろ)に座っておって三尺上で神に仕えてよいのです、臍の緒切れないうちは、いつもお土の上を踏まして頂きなさい、それほど大切なお土の上固めていますが、今にみな除きてしまいますよ、一度はいやでも応でも裸足でもお土踏まなければならないことになるのです、神の深い仕組ですから、有り難い仕組ですから、喜んでお土拝みなさい、土にまつろいなさいと言ってありましょう。

 

 何事も一時に出て来ます、お土ほど結構なものありませんよ、足の裏、殊(こと)に綺麗にしなければなりませんよ。神の言うよう素直に致しなさい。この方、病治してやりますよ、この神示読めば病治るようになっているのです、読んで神の言う通りに致して下さいね、臣民も動物も草木も、病なくなれば、世界一度に光るのです、岩戸開けるのです。戦も病の一つです、国の足の裏、掃除すれば国の病治るのです、国、逆立ちしていると言ってあること忘れずに掃除してくださいね。

 

 上(うえ)の守護神どの、下(しも)の守護神どの、皆の守護神どの、改心してくださいね。いよいよとなっては苦しくて間に合わないことになるから、くどう気つけておきなさい。病ほど苦しいものはないでしょう、それぞれの御役忘れないように。天地唸(てんちうな)ります、でんぐり返るのです、世界一度に揺するのです。神は脅すのではありません、迫っているのです。九月十三日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第三十帖(一三七)

 

 富士とは火の仕組です、(渦の印)海(うづうみ)とは水の仕組です、今にわかって来ます。神の国には政治も経済も軍事もないのです、まつりがあるだけです。まつろうことによって何もかも嬉し嬉しになるのです。これは政治です、これは経済ですと言っているから鰻つかみになるのです、分ければ分けるほどわからなくなって、手に負えないことになるのです。

 

 手足は沢山は要らないのです、左の臣(おみ)と右(みぎり)の臣とあればよいのです。ヤとワと言ってありましょう、その下に七七ゝゝゝゝと言ってありましょう。今の臣民、自分で自分の首くくるようにしているのです、手は頭の一部です、手の頭です。頭、手の一部ではないのです、この道理よく心得ておきなさい。

 

 神示は印刷することなりません、この神示解いて、臣民の文字で読めるようにしたものは一二三(ひふみ)と言いなさい。一二三は印刷してよいのです。印刷結構です。この神示のまま臣民に見せてはなりません、役員よくこの神示見て、その時により、その国によって、それぞれに説いて聞かせなさい。日本ばかりでないのです、国々ところどころに仕組して神柱(かみばしら)つくってあるから、今にビックリすること出来るのです、世界の臣民にみな喜ばれる時来るのです。

 

 ミロクの世近づいて来ました。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善一筋とは神一筋のことです。この巻を「天つ巻」と言う。すっかり写してくださいね、すっかり伝えてください。九月十四日、ひつ九のか三。

 

<『天つ巻』了>

 

 

第九帖(一一六)原文

 

 一二三 一二三 五八七八八九 三八七四九 八四七三三 十八四二十十三八九ノ七七十一二三一三一十(〇の中にゝの印)五一九二 一二三

 

 

第二十一帖(一二七)原文

 

 六五二八一五八八九三一十 二六四三七七十十三八七二 四二一九三四九十四十八九二九十二一二三(ヒフミ) 三四五十百千卍(ミヨイツトモモチヨロヅ)(〇の中にゝの印)一十九三四八七一二(イソグゾヨハチガツナノカヒツキ)(〇の中にゝの印)二三三(フミゾ)

日月神示 地つ巻 第一帖(一三八)から第八帖(一四五)

第五巻

 

地つ巻(全三十六帖)

 

自 昭和十九年九月十五日

至 昭和十九年十月十一日

 

 

第一帖(一三八)

 

 書き知らせます。世界は一つのミコトとなるのです、それぞれの言の葉はありますが、ミコトは一つとなるのです。てんし様のミコトに従うのです、ミコトの世近づいて来ましたよ。九月十五日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第二帖(一三九)

 

  今は闇の世ですから夜の明けたこと言っても、誰にもわかりませんが、夜が明けたらなるほどそうであったのかとビックリしますが、それでは間に合わないのです、それまでに心改めておいて下さいね、この道信じれば、すぐ良くなると思っている臣民もありますが、それは己の心のままです、道に外れたものは誰(だ)れ彼(か)れないのです、これまでのやり方スクリと変えねば、世は治まらないと言ってありますが、上(うえ)の人苦しくなりますよ、途中の人も苦しくなりますよ、おまわりの言うこと聞かないようになります。九月の十六日、ひつ九のか三。

 

 

第三帖(一四〇)

 

 人民同士の戦いでは到底(とうてい)かないませんが、いよいよとなったら神がうつって手柄させるのですから、それまでに身魂磨いておいてくださいね。世界中が攻め寄せたと言っても、誠には勝てないのです、誠ほど結構なものないから、誠が神風(かみかぜ)ですから、臣民に誠なくなっていると、どんな気の毒出来るかわからないから、くどう気つけておくのです、肚(はら)、掃除しなさい。九月の十六日、ひつ九のか三。

 

 

第四帖(一四一)

 

 この神示(ふで)いくらでも出て来るのです、今の事と先の事と、三千世界、何もかもわかるのですから、よく読んで、肚に入れておいてくださいね、この神示盗まれないようにしなさい、神示盗りに来る人あるから気をつけなさい。

 

 この道は中行く道です、左も右(みぎり)も偏(かたよ)ってはなりません、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆけるようになっているのです、我(われ)が我がと思っていると、鼻ポキリと折れます。九月十六日、ひつ九神。

 

 

第五帖(一四二)

 

 片輪車でトンテントンテン、骨折損のくたびれ儲けばかり、いつまでしているのですか、神にまつろえと言ってありましょう、臣民の智恵で何が出来ましたか、早く改心しなさい。三月三日、五月五日は結構な日です。九月十六日、ひつ九のか三。

 

 

第六帖(一四三)

 

 神の国八つ裂きと言ってあることいよいよ近づきました、八つの国、一つになって神の国に攻めて来ます。目覚めたらその日の生命(いのち)お預かりしたのです、神の肉体、神の生命、大切にしなさい。神の国は神の力でないと治まったことないのです、神第一です、いつまで卍(仏)や十(キリスト)や九(いろいろなもの?)にこだわっているのですか。出雲の神様大切に、有り難くお祀りしなさい、尊い御神様です。天津神、国津神、みなの神々様に御礼言いなさい、まつろいて下さいね、結構な恐い世となって来ましたよ、上下(うえした)グレンです。九月十七日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第七帖(一四四)

 

 神にまつろう者には生き死にもないのです、死のこと、まかると言ってありましょう、生き通しです、亡骸(なきがら)は臣民は残さなければならないのですが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのですよ、それがまことの神国の臣民です、ミコトです。

 

 世の元と言うものは、天も地も泥の海であったのです。その時から、この世始まってから生き通しの神々様の御(おん)働きで五六七(ミロク)の世が来るのです。肚が出来ていると、肚に神つまりますのです、高天原(たかあまはら)です、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れないように。そこからわかって来ますよ。

 

 海をみな船で埋めねばなりません、海断たれて苦しまないようにしてくださいね、海めぐらしてある神の国、清めに清めておいた神の国に、外国の悪渡って来て神は残念です。見ておざれ、神の力現わす時来ました。九月十八日、ひつ九神。

 

 

第八帖(一四五)

 

 祓いなさいと言ってあることは、何もかも借銭なしにすることです。借銭なしとはメグリなくすることです、昔からの借銭は誰にでもあるのです、それ払ってしまうまでは誰によらず苦しむのです、人ばかりではありません、家ばかりではありません、国には国の借銭あります。世界中借銭なし、何しても大望(たいもう)です。

 

 今度の世界中の戦(いくさ)は世界の借銭なしです、世界の大祓(おおはらえ)です。神主、お祓(はら)いの祝詞(のりと)あげても何にもなりませんよ、お祓(はらえ)祝詞は宣(の)るのです、今の神主宣っていません、口先ばかりです、祝詞も抜けています。畔放(あはなち)、頻蒔(しきまき)や、国津罪、みな抜けて読んでいるではないですか、臣民の心には汚く映るでしょうが、それは心の鏡曇っているからです。悪や学に騙されて、肝心の祝詞まで骨抜きにしているではないですか、これでは世界は浄(きよ)まりません。祝詞は読むものではないのです、神前で読めばそれでよいと思っているのですか、それだけでは何にもなりません。宣るのです、いのるのです、なりきるのです、とけきるのです、神主ばかりでないのです、皆心得ておきなさい、神のことは神主に、仏は坊主にと言っていること根本の大間違いです。九月十九日、ひつ九の神。

日月神示 地つ巻 第九帖(一四六)から第十五帖(一五二)

第九帖(一四六)

 

 一二(ひつき)の神にひと時拝しなさい、神の恵み、身にも受けなさい、からだ甦りますよ、神の光を着なさい、み光を頂きなさい、食べなさい、神ほど結構なものありませんよ、今の臣民、ヒ(日)を頂かないから病になるのですよ、神の子は神の子と言ってありましょう。九月二十日、ひつ九のか三。

 

 

第十帖(一四七)

 

 何事も方便と言って自分勝手なことばかり言っていますが、方便と言うもの神の国には無いのです。まことがことです、まのことです、言霊(ことたま)です。これまでは方便と言って逃げられたが、もはや逃げること出来ません、方便の人々、早く心洗ってくださいね、方便の世は済んだのです、今でも仏の世と思っているとビックリが出ます、神の国、元の神がスッカリ現われて富士の高嶺(たかね)から天地(あめつち)へ祝詞します、岩戸閉める御役にならないように。九月二十日、ひつ九のか三。

 

 

第十一帖(一四八)

 

 世界丸めて一つの国としますと言ってありますが、国はそれぞれの色の違う臣民によって一つ一つの国作らします。その心々によって、それぞれの教え作らすのです。旧(ふる)きものまかりて、また新しくなるのです、その心々の国と言うのは、心々の国です、一つの王で治めるのです。天津日嗣(あまつひつぎ)の皇子(みこ)様が世界中照らすのです。地(くに)のひつきの御役(おんやく)も大切の御役です。

 

 道とは三つの道が一つになることです、満ち満つことです、元の昔に返すのです、修理固成(つくりかため)の終わりの仕組です、終わりは始めです、始めは一(ひ)(霊)です。富士、都(みやこ)となるのです、幽界(がいこく)行きは外国行きです。神の国、光って目あけて見られないことになるのです、臣民の身体からも光が出るのです、その光によって、その御役、位(くらい)、わかるのですから、ミロクの世となったら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのです、今の文明なくなるのではありません、魂(たま)入れて、いよいよ光りて来るのです、手握って草木も四(よ)つ足もみな歌うこととなるのです、御光(みひかり)にみな集まって来るのです、てんし様の御光は神の光なのですよ。九月二十と一日、一二か三。

 

 

第十二帖(一四九)

 

 この道は道なき道です。天理も金光も黒住も今は魂(たましい)抜けておれど、この道入れて生きかえるのです、日蓮も親鸞も耶蘇(やそ)も何もかもみな脱げ殻です、この道で魂(たま)入れてくださいね、この道はゝ、〇の中にゝ入れてくれと言ってありましょう。臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことです、ゝ入れてくださいね、〇を掃除していないとゝ入りません、今度の戦は〇の掃除だと言ってありましょう、まつりとは、まつり合わすことと言ってありましょう、この道は教えでないと言ってありましょう、教会や他の集いでないと言ってありましょう、人集めてくれるなと言ってありましょう。世界中の臣民みな信者と言ってありましょう、この道は道なき道です、時なき道です、光です。この道でみな生き返るのです。天明阿呆になってくださいね、我(が)捨ててください、神憑(か)るのに苦しいのです。九月二十二日、あの一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十三帖(一五〇)

 

 赤い眼鏡かければ赤く見えると思っていますが、それは相手が白い時ばかりです、青いものは紫に映ります。今の世は色とりどりの眼鏡とりどりですから見当とれないことになるのです、眼鏡はずすに限るのです、眼鏡はずすとは洗濯することです。上(うえ)ばかり良くてもならず、下(しも)ばかり良くてもなりません。上も下も天地揃って良くなって、世界中の臣民、獣(けもの)まで安心して暮らせる新(さら)の世に致すのです、取り違いしないように。九月二十三日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十四帖(一五一)

 

 この道わかった人から一柱(ひとはしら)でも早く参りて神の御用しなさい。何処(どこ)にいても御用はいくらでもあるのです。神の御用と言って、稲荷下げや狐憑きの真似はさせませんよ。この道は厳しい道ですから楽な道なのです。上にも下にも花咲く世になるのです、後悔は要らないのです。上(かみ)は見通しでないとカミではないのです、今のカミは見通しどころか目ふさいでいるではないですか。蛙(かえる)いくら鳴いたとて世明けませんよ。赤児になりなさい、ごもく捨てなさい、その日その時から顔まで変わるのです、神烈(はげ)しく結構な世となったのです、九月二十三日、ひつ九のか三。

 

 

第十五帖(一五二)

 

 神の国の上(かみ)の役員にわかりかけたらバタバタに埒(らち)つきますが、学や智恵が邪魔してなかなかにわからないから、くどう言っているのです。臣民物言わなくなるのです、この世の終わり近づいた時です。石、物言う時です。神の目には外国も日本(やまと)もないのです。みなが神の国です。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせません、一つの王で治めさすのです。てんし様が世界みそなわすのです。世界中の罪負いておわしますスサノオの大神様に気づきませんか、盲、聾ばかりと言ってもあまりではないのですか。九月の二十三日、ひつ九のか三。

日月神示 地つ巻 第十六帖(一五三)から第十八帖(一五五)

第十六帖(一五三)

 

 神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪に負けて汚してしまって、それで不足言っていることに気づきませんか。一にも金、二にも金と言って、人が難儀しようが我(われ)さえよければよいと言っているではありませんか。それはまだよいのです、神の面(めん)かぶって口先きばかりで神様神様、てんし様てんし様と言ったり、頭下げたりしていますが、こんな臣民一人もいりませんよ、いざという時は尻に帆かけて逃げ出す者ばかりです、犬猫は正直でよいのです、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しです。

 

 神の言ったこと一分一厘違いませんよ、その通りになるのです。上に唾(つばき)すればその顔に落ちるのです、時節ほど結構な恐いものないのです、時節来ましたよ、慌てずに急いで下さいね。世界中唸(うな)りますよ。陸が海となるところあります。今に病神(やまいがみ)の仕組にかかっている臣民苦しむ時近づきました、病はやります、この病は見当とれない病です、病になっていても、人もわからなければ我もわからない病です、今に重くなって来るとわかって来ますが、その時では間に合いません、手遅れです。この方の神示よく肚に入れて病追い出しなさい、早くせねばフニャフニャ腰になって四ツン這(ば)いで這い廻らなければならないことになると言ってありましょう、神の入れものワヤにしていますよ。九月二十三日、ひつ九のか三。

 

 

第十七帖(一五四)

 

 まことの善は悪に似ています、まことの悪は善に似ています、よく見分けなければなりません、悪の大将は光り輝いているのです、悪人はおとなしく見えるものです。日本の国は世界の雛型(ひながた)です、雛形でないところは真の神の国でないから、よほど気をつけてくださいね、一時は敵となるのですから、ちっとも気許せません、神がとくに気をつけておきます。今は日本の国となっても、神の元の国でないところもあるのですから、雛形見て、よく肚に入れておいて下さいね、後悔間に合いませんよ。九月二十三日、ひつ九の神。

 

 

第十八帖(一五五)

 

 我(わ)れ善(よ)しの政治ではなりません、今の政治経済は我れ善しです。臣民のソロバンで政治や経済してはなりません、神の光のやり方でないと治まりませんよ、与える政治がまことの政治です、臣民勇む政治とは、上下(うえした)まつろい合わす政治のことです、神(日)の光ある時は、いくら曇っても闇ではありません、いくら曇っても悪が防げても昼は昼です、いくら灯(あか)りつけても夜(よ)は夜です、神のやり方は日の光と言って、くどう気つけてありましょう。

 

 政治です、これは経済ですと分けることは、政事(まつりごと)ではありません。神の臣民、魂(たま)と肉体の別ないと言ってあることわかりませんか、神のやり方は人の身魂(からたま)、人のはたらき見ればすぐわかるでしょう。肚にチャンと神鎮まっておれば何事も箱さしたように動くのです、いくら頭が偉いと言って、胃袋は頭の言う通りには動きません、この道理わかりましたか、と言っても味噌も糞も一つにしてはなりません。

 

 神の政治はやさしい難しいやり方です、高きから低きに流れる水のやり方です。神の印(しるし)つけた悪来ます。悪の顔した神あります。飛行機も船も臣民もみな同じです。足元に気をつけなさい、向こうの国はちっとも急いではおりません、自分で目的達せねば子の代、子で出来ねば孫の世と、気長くかかっているのです、神の国の今の臣民、気が短いからしくじるのです。しびれ切らすと立ち上がれませんよ、急いではなりませんよ、急がねばなりませんよ。神の言うこと取り違いしないようにしてくださいね。よくこの神示読んでください、元の邪気凝(じゃきこ)りて湧いて出た悪の種は、邪鬼(じゃき)と大蛇(おろち)と四ツ足となって、邪鬼には二本の角、大蛇は八ツ頭(やつがしら)、八ツ尾、四ツ足は金毛(きんもう)ですから気をつけなさい。四ツ足は女(おみな)に憑いて化けているから、守護神殿、臣民殿、騙(だま)されないように致して下さいね。九月二十三日、あの、ひつ九のか三。

日月神示 地つ巻 第十九帖(一五六)から第二十五帖(一六二)

第十九帖(一五六)

 

 世成り、神国の太陽足り満ちて、皆みち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄にひらき、月光、総てはみち、結び出づ、道は極みに極む、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄々々ぞ、神、仏、耶ことごと和し、和して足り、太道ひらく永遠、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ。九月二十四日、一二(〇の中にゝの印)ふみ。(原文は後に掲載)

 

 

第二十帖(一五七)

 

 世界に変わったこと出来たら、それは神々様の渡られる橋です。本清めねば末は清まりませんよ、根絶ちて葉は繁りませんよ、元の種が大切です、種は元から選(よ)り分けてあるのです、せんぶり苦いのです。九月の二十四日、ひつ九のか三。

 

 

第二十一帖(一五八)

 

 神界のことは現界ではなかなかにわかるものではないということわかったら、神界のことわかるのです。一に一足すと二となるというソロバンや物差しでは見当取れないのです。今までの戦でも、神が蔭から護っていることわかるでしょう、あんな者がこんな手柄立てたと言うことありましょう、臣民からは阿呆に見えても、素直な人には神が憑かりやすいのですから、早く素直に致してくださいね。海の津波気をつけてください、前に知らしてやりますよ。九月二十五日、ひつ九か三。

 

 

第二十二帖(一五九)

 

 我(われ)が助かろうと思ったら助からないのですよ、その心我れ善しです。身魂(みたま)磨けた人から救ってやるのです、神うつるのです、身魂曇った人にも〇はうつるのです、(〇の中にゝの印)のうつった人と〇の憑かりた人との大戦(おおいくさ)です、ゝと〇とが戦して、やがてはゝを中にして〇がおさまるのです。その時は〇は〇ではなく、ゝもゝでないのです、(〇の中にゝの印)となるのです、ゝと〇のまつりと言ってありましょう。

 

 どちらの国も潰れるところまでになるのです、人民同志はもう戦かなわんと言っても、この仕組成就するまでは、神が戦やめさせんから、神がやめるわけに行かんから、今やめたら、またまた悪くなるのですよ、〇の世となるのですよ、〇の世界となるのです。今の臣民九分通り〇になっていますよ、早く戦済ませてくれと言っていますが、今、夜明けたら、臣民九分通り無くなるのです。お洗濯第一です。九月の二十六日、ひつ九のか三。

 

 

第二十三帖(一六〇)

 

 この神示、心で読んでくださいね、声出して読んでくださいね、病も治ります、草木もこの神示読んであげれば花咲くのです。この道広めるには、教会のようなものつとめてくれるなよ、集団(まどい)を作らないように。心から心、声から声、身体から身体へと広めてくださいね、世界中の臣民みなこの方の民ですから、早く伝えてくださいね。神も人も一つです、考えていては何も出来ません、考えないで思う通りにやるのが神のやり方です、考えは人の迷いです、今の臣民、身魂曇っているから考えねばなりませんが、考えればいよいよと曇ったものになる道理わかりませんか。日暮れを気をつけなさい、日暮れ良くなりますよ、日暮れに始めたことは何でも成就するようになるのです、日暮れを日の暮れとばかり思っていると、臣民の狭い心で取っていると間違いますよ。神のくれのこと言うのですよ。九月の二十八日、ひつ九のか三。

 

 

第二十四帖(一六一)

 

 この方、明神(みょうじん)とも現れているのですよ、臣民守護のために現われているのです。衣(ころも)はくるむものです、くるむものとは、まつろうものです、神の衣は人です、汚(けが)れ破れた衣では神は嫌です。衣は何でもよいと言うようなものではありません、暑さ寒さ防げばよいと言うような簡単なものではないのです。今は神の衣なくなっています、九分九厘の臣民、神の衣になれないのです。悪神(あくがみ)の衣ばかりです、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのです。神の国、霊の国と、この世とは合わせ鏡ですから、この世に映って来るのです、臣民身魂洗濯してくれとくどう言ってありましょう、この道理よくわかりましたか。十月とは十(カミ)の月です、|(陽)と-(陰)との組みた月です。九月の二十八日、ひつ九のか三。

 

 

第二十五帖(一六二)

 

 新しくその日その日の生まれ来るのです、三日は三日、十日は十日の神殿(どの)護るのです、時の神ほど結構な恐い神ないのです、この方とて時節にはかなわないことあるのです。今日なれば九月の二十八日ですが、旧の八月十一殿を拝みてくださいね、二十八殿もありますよ。何事も時待ってください、炒豆(いりまめ)にも花咲くのです、この世では時の神様、時節を忘れてはなりませんよ、時は神なりです。何事もその時節来たのです、時過ぎて種蒔(ま)いてもお役には立たないのです、草物言います。旧の八月の十一日、ひつ九か三。