日月神示 月光の巻 第五十九帖(八四六)から第六十二帖(八四九)

 第五十九帖(八四六)

 

 一度決意したことは、どこまでも貫く信念を持ったあなたは、大変に結構です。しかし囚われてもいますね。

 

 この神様は大変に大きな、今までにない大変革を起こすのですから、あまりにも小さい考え方に囚われ続けていれば、真理が分からなくなってきます。

 

 固まる時には一度に固まらねばなりません。昨日は昨日、今日は今日なのです。あなたは動機が善ならば、たとえ失敗してもそれは薬になると、自分の都合の良いように、自分を弁解していますけど、弁解したのでは薬にはなりません。

 

 毒となることもあるのです。反省しなさい。あなたはどんな神様であっても、仏でも、何でも拝んでいますが、その順序と区別がよく分かっていませんね。

 

 理解せずに、ただ闇雲に拝むのは駄目です。心得てください。あなたは「ああ、忙しい、忙しい、神示を読む暇もない」と言っていますが、真に忙しいのは、神の恵みなのです。

 

 淀んだ水は腐ります。忙しい中にこそ、神示を読む時があるのです。逃げ道を作ってはなりません。

 

 

第六十帖(八四七)

 

 あなたは自分の力を人に見せようとしていますが、無邪気なものですね。自分の力が隠せぬようでは、頭に立つことは出来ません。

 

 何もかも出してしまったのでは味気ないのです。

 

 あなたはよく祈りますね。祈ることは結構なことですが、祈るばかりでは物事は成就しないのです。為すには、まず祈らねばなりませんが、あなたはあなたの神にのみ祈っていますね。

 

為すのは自分自身ですから、自分に祈らねばなりません。自分に祈った後、自分が為さねばならないのです。乳房を与えられても、自分で吸おうとしないと、自分の身にはつかぬ道理なのです。

 

 しかし、為しただけではまだ足りません。時々は省みなければなりません。あなたは形や口先ばかりでものを拝んでいますが、心と行いと口と、三つが揃わねばなりません。三つが揃って拝むならば、どんなものでも与えられるのです。

 

 拝むところへものは集まってくる。神も集まってくる。足りないものはなくなるのです。余ることもなくなり、満たされるのが誠の富なのです。清い富なのです。

 

 

第六十一帖(八四八)

 

 あなたの苦労は取り越し苦労。心配りは忘れてはなりませんが、取り越し苦労、過ぎ越し苦労は不要です。そうした苦労は、そうした霊界を作り出し、自分自身が不要な苦労をすることになります。

 

 何事も神に任せなさい。あなたはまだ神業の取り違いをしています。あなたに現在与えられている仕事が神業なのです。

 

 その仕事をより良く、より浄化するよう行わなければなりません。務めた上にも務めねばなりません。それが御神業なのです。

 

 あなたはあなたの心と口と行いが違うので、違うことが次から次へと折り重なるのです。コトを正して行かねばなりません。苦を楽として行かねばなりません。

 

 苦を心するから苦しくなるのです。楽と心すれば楽と出てきます。

 

 ちょっとの心の向け方、霊線の繋ぎ方なのです。あなたは「悪人は悪人であって、神として拝めというのは無理な話だ」と言っていますが、一枚の紙にも裏表があるのです。

 

 あなたはいつも裏ばかり見ているから、そんなことになるのです。相手を神として拝めば神となるのです。この世は皆、神の一面の現れなのです。

 

 

第六十二帖(八四九)

 

 あなたは現実世界のことしか分からないから、現実のことばかり考えて、1に1を足せば2になるとばかり思い込んでいますね。それは、現実世界ではその通りです。

 

 でも、それは平面の見方、考え方なのです。それでは、いくらその方向で考え込んでみても、進歩も輝きもありません。

 

 1に1を足す世界。1に1を足す無限の世界。超現実。霊の世界。立体の世界。それを超えた世界のあることを心得てください。

 

 あなたは心を持っていますね。心があれば、心が属する世界のある理屈が分かりましょう。

 

 心で描いて、心で最初に考えてから、その次に行為をしますね。その順序があることは分かりますね。

 

 心の動きが先なのです。その後に肉体が動くということは、理解していますね。

 

 心の世界に無いものは、物質の世界にも無い道理も分かっていますね。それなのに、なぜ迷うのですか?霊界が主で、現世が従う関係性であることを理解してください。

 

 あなた自身が逆立ちしていて、あなた自身で苦しんでいることを、早く納得してください。そして、嬉しい気持ちで毎日を暮らしてください。三月三日。