日月神示 月光の巻 第三十七帖(八二四)から第四十三帖(八三〇)

第三十七帖(八二四)

 

 あなたのやることはいつも時が外れています。餅をつくにはつく時がありますと知らせてありましょう。時の神を忘れてはなりません。

 

 春には春のこと、夏には夏のことがあります。あなたは御神業だと言って、他に迷惑をかけているではありませんか。そこから改めなければなりません。

 

 鼻つまみの御神業はないのです。あなたはお先真っ暗だと言っていますが、夜明けの前は暗いものです。暗い闇の後に夜明けが来ることは分かっておりましょうが、神は全てを見通していますから、直ぐのおかげは小さいのです。

 

 利子をつけた大きなおかげを結構に頂いてください。

 

 

第三十八帖(八二五)

 

 初めの喜びは食物です。次は異性です。いずれも大きな驚きでありましょう。これは和すことにより起こるのです。融け合うことにより喜びとなります。よろこびは神なのです。

 

 和さねば苦となります。かなしみとなります。まず自分と自分と和合せよと言っていましょう。そこにこそ神の御働きがあるのです。しかしこれは外の喜び、肉体の喜びです。

 

 元の喜びは霊の食物を食べることです。その大きな喜びを与えてあるのに、なぜ手を出さないのですか。その喜び、驚きをなぜ求めないのですか。なぜ神示を食べないのですか。見るばかりでは身に付きません。なぜよく噛みしめて味わって喜びとしないのですか。

 

 喜びが神なのです。

 

 次には神との交わりです。交流です。和です。そこにはかつて知らなかった驚きと大歓喜が生まれます。神との結婚による絶対の大歓喜があります。神が霊となり花婿となるのです。

 

 人民は花嫁となるのです。分かるでしょう。この花婿はいくら年を経ても花嫁を捨てはしません。永遠に続く結びなのです。結魂なのです。

 

 何ものにも比べることの出来ない驚きです。よろこびです。花婿どのが手を差し延べているのに、なぜ抱かれないのでしょうか。神は理屈では分かりません。夫婦の交わりは説明出来ないでしょう。

 

 神が分かっても交わらないと、神と融け合わなければ真理は分かりません。何という結構なことかと人民ビックリする仕組みなのです。

 

 神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものなのです。消えざる火の大歓喜なのです。これがマコトの信仰、神は花嫁を求めておられます。早く神の懐に抱かれてくださいな。二月一日。

 

 

第三十九帖(八二六)

 

 何事が起ってきてもあなたはまず喜びなさい。それが苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎えなさい。喜ぶ心は喜びを生みます。人民が喜べば神も喜びますと言ってありましょう、天地晴れます。輝くのです。

 

 あなたは先ばかり見ていますね。足で歩くのです。足元に気をつけないといけません。あなたは自分一人で勝手に苦しんでおりますけど、皆が仲良く相談なさりなさい。相談は結構です。相談して悪いことは気をつけ合って進んでください。

 

 

第四十帖(八二七)

 

 分からないことは神示に聞くがよろしい。遠慮はいりません。あなたは一足飛びに二階に上がりたい気持ちが抜けませんね。何事も一段ずつ、一歩ずつ進まねばなりません。それより他に進み方はないのですから。

 

 まずあなたの中にいるケダモノを言向(ことむ)け合わさねばなりません。よく話し、教え、導かねばなりません。獣を人間と同じようにしようとしてはなりません。獣は獣として導かねばなりません。

 

 金は金。鉛は鉛なのです。鉛を金にしようとしてはなりません。鉛は鉛として磨かないといけません。浄化とはそのこと。世は七度の大変わり、いよいよの段階に入ったら、何がなんだか、自分さえ良ければよいという人民にはいよいよ分からなくなり、焦れば焦るほど深みに落ち込みます。

 

 心の窓を大きく開き、小さい我の欲望を捨てると、遠くが見えて来ます。見えたらまず自分の周囲に知らせねばなりません。知らすことにより次の道が開けてくるのです。

 

 自分だけでは嬉し嬉しとはなりません。嬉しくないものは弥栄しません。冬になれば冬ごもりです。死ぬ時には死ぬのが弥栄です。遊ぶ時は遊ぶがよいでしょう。言(こと)と、時は、その順序さえ心得ておれば、何をしても、何を話しても、何を考えてもよいのです。

 

 

第四十一帖(八二八)

 

  あなたはいつも深刻な顔をして考え込んでいますが、考え方にも幾通りもあるのです。考えは迷いと言ってあるのは、あなたのような場合です。

 

 あなたは苦に向かい苦に克(か)ったつもりで、苦を楽しんでいますが、苦は曲がることだと知らせてありましょう。苦を作り出してはなりません。苦を楽しむより、楽を楽しむ心の方が高いと知らせてありましょう。

 

 苦しむと曲がり、楽しむと伸びます。二月十日。

 

 

第四十二帖(八二九)

 

  未来にもえることが現在に生きることです。あなたは現在に生きる努力が足りません。夢ばかり追っていては泡沫(うたかた)です。あなたは先祖に対する考え方が間違っています。

 

 先祖はあなたではありませんか。地下にあるあなたの根が先祖ではありませんか。根のない草木はすぐ枯れる道理です。先祖は家を継いだ兄が祀っているから、分家した自分は先祖は祀らないでもよいと言っていますが、よく考えてください。

 

 根から芽が出て幹となり枝が栄えているのと同じことなのです。枝には根は不要と言うのと同じような間違いなのです。分家しても先祖は祀らねばなりません。先祖をおろそかにしないようにと、気をつけるように言ってありましょう。

 

 

第四十三帖(八三〇)

 

  あなたはまだ方便を使っていますが、方便の世は済んでいます。方便の教えとは横の教え、イロハの教え、平面の教えのことです。仏教もキリスト教もイスラム教もみな方便ではありませんか、教えはみな方便です。

 

 教えではどうにもなりません。ギリギリの世となっているのです。道でなくてはなりません。変わらぬ太い道でなくてはなりません、方便の世は済みほうべんの世となり、そのほうべんの世もやがて終焉を迎えると知らせてありましょう。

 

 道とは三つの世界を貫く道のことなのです。宇宙に満ち満つ神のあり方です。法則です。秩序です。神の息吹です。弥栄です。喜びです。分かりましたか。