日月神示 月光の巻 第五十一帖(八三八)から第五十四帖(八四一)

第五十一帖(八三八)

 

 世界を一つにするのですから、王は一人です。動きは二つとなりますが、二つでないと動かないのです。キはキの動き、ミはミの動き、動いて和すのです。和すから弥栄なのです。

 

 和せば一つとなるのです。キミとなるのです。あなたは自分と他との境界を作っていますが、境界を作ってはなりません。境界を作らずに、自ずからなる自他の別を生み出さねばなりません。

 

 世界一家のやり方を間違えています。それぞれの言葉はありますが、ミコトは一つと言って知らせてありましょう。

 

 大難を小難にすることは出来ますが、無くすことは出来ません。不足は不足を生みます。あなたは口を慎みなさい。あなたは一度、神を捨てなさい。神にしがみついているから、小さく囚われた、ゆとりのない神を、あなた自身が作り上げているのです。

 

 それでは、信じれば信じる程に危ないのです。大空に向かって大きく呼吸し、今までの神の概念を捨て去って、心の洗濯をしてください。神を信じつつも迷信に落ちていると言ってあること、よく心得てください。

 

 

第五十二帖(八三九)

 

 あなたはつまらないことにいつも心を残すから、つまらないことが出てくるのです。心を残すということは、霊界との繋がりがあることなのです。つまらない霊界にいつまでもくっついているのです。

 

 何事も清めてください。清めるとは和すことです。同じもの同士では和ではありません。違ったものが和すことにより新しきものが生まれるのです。奇数と偶数を合わせて、新しい奇数を生み出すのです。

 

 それがマコトの和であり清めです。善は悪と、陰は陽と和すのです。和すには同じあり方で、例えば五と五との立場で和すのですが、位においては陽が中心であり、陰が外でなければなりません。

 

 天が主であり地が従でなければなりません。男が上で女が下です、これが和の正しきあり方です。逆さまはなりません。これを公平と言います。

 

 口先ばかりで良いことを言えば悪くなります。心と行いが伴わなければなりません。分かり切ったこの道理が行われないのは、あなたを取り巻く霊の世界に幽界の力が強いからです。あなたの心の大半を幽界的なもので占めているからです。

 

 自分自身の戦はまだまだと言ってありましょう。この戦は中々ですが、正しく和して、早く弥栄結構です。

 

 あなたの持つ悪い癖を治してください。その癖を治すことが御神業です。自分で世界を立て直すような大きなことを言っていますが、あなたの癖を治すことが最も大切な御用ではありませんか。

 

 これに気が付かないと落第です。恐れてはなりません。恐れを生むからです。喜びなさい、喜びなさい、喜べばよろこびを生みます。

 

 喜びは神です。神様御自身も刻々弥栄しておられます。故にこそ生長なされます。人も同様でなくてはなりません。

 

 昨日の自分であってはなりません。今の自分です。中、今の自分に生きねばなりません。自分にどんな力があったとしても、我を出してはなりません。我を出すと力がなくなります。

 

 我を、大きな我に昇華させなさい。大我に融(と)け入らねばなりません。大我に融け入ったとしても、小我が無くなるのではありません。

 

 人を拝(おろが)みなさい。物を拝みなさい。拝むと自分の喜びとなり、拝まれたものも喜びとなります。

 

 嬉し嬉しとはそのことなのです。

 

 

第五十三帖(八四〇)

 

 これほど言葉を使い分けて言っても得心出来ないのならば、得心の行くまで思うままにやってみなさい。あなたは神の中にいるのですから、いくら暴れ回っても神の外には出られません。

 

 死んでも神の中にいるのですから。思うようにやってみて、早く得心改心してください。回心して仕事をめでたいことと仕えまつってください。

 

 結構ですね。あなたは自分は悪くないが周囲が良くないのだ、自分は正しい信仰をしているのだから、家族も知友も反対する理由はない、自分は正しいが他が正しくないのだから、正しくない方が正しい方へ従って来るべきだと言っていますが、内にあるから外から近寄るのだと言ってありましょうが。

 

 あなたは無抵抗主義が平和の基だと言って、右の頬を打たれたら左の頬を差し出していますが、それは真の無抵抗ではありません。よく聞きなさい、打たれるようなものをあなたが持っているからこそ、打たれる結果となるのです。

 

 マコトに磨けたら、マコトに相手を愛していたのならば、打たれるような雰囲気は生まれないのです。頬を打たれないでください。生まれ赤子を見なさいと知らせてありましょう。

 

 

第五十四帖(八四一)

 

 頭を下げて見なさい、流れて来ますから。頭も下げず低くならないのならば、流れては来ません。神の恵みは淡々とした水のようなものなのです。

 

 あなたは頭が高いのです。天狗なのです。その鼻を曲げて自分のにおいを嗅いでみなさい。あなたは左に傾いています。左を見なければなりませんが、片寄って歩いてはなりません。

 

 あなたは右を歩きながら、それを中道と思っていますね。あなたは平面上を行っているから、中道のつもりで、他に中を行く道はないと信じ切っていますが、それでは足りません。

 

 立体の道を早く悟りなさい。正中の大道があるのですから。左でもなく右でもなく、嬉し嬉しの道があります。左も右も上も下も相対の結果の世界なのです。

 

 原因の世界に入らねばなりません。平面より見れば相対はありますが、立体に入り、更に復立体、復々立体、立立体の世界を知らねばなりません。

 

 相対では争いなのです。戦なのです。真の世界平和は今のやり方、考え方では成就しません。三千世界和平から出発せねばなりません。

 

 あなたは神示をよく読んでいますが、それだけでは足りません。神示を肚(はら)に入れなければなりません。付け焼刃ではなりません。

 

 神示を血とし生活とすれば、何事も思う通りスラリスラリと面白いほど栄えて来ます。思うように運ばなかったら省みなさい。自分が自分に騙されて、自分の為のみに為していることに気付きませんか。

 

 それが善であっても、己の為のみならば死し、全の為の善ならば弥栄えます。善にも外道の善があるのです。心しなさい。

 

 神示見ていないとビックリが出てきます。この世が始まって以来、なかったことが出てきます。世界の片端浜辺からです。分かりましたか。

 

 あなたは神体を偶像と言っていますが、それはあなた自身が偶像であるが故なのです。礼拝を忘れ、祈りを忘れることは神を忘れることです。

 

 あなたの住む段階では、祈り畏(かしこ)み謹(つつし)んで実践しなければなりません。拝まなくても拝んでいる境地はなかなかですね。

 

 あなたは自分が助かろうとするから助からないのです。世界はこの世ばかりではないことを、よく得心してください。我を捨て去り素直に為しなさい。三千年の秋(とき)が来ているのです。