日月神示 月光の巻 第四十四帖(八三一)から第五十帖(八三七)

第四十四帖(八三一)

 

 この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくありますが、それは大難を小難にし、またメグリが一時に出てきて、その借銭済ましをさせられているのです。

 

 借りたものは返さねばならない道理です。損もよい、病気もよいと言ってありましょうが。ここの道理もわきまえずに理屈ばかり言っていますが、そんな人民の機嫌取りをする暇はなくなったのですから、早く神心になってください。

 

 あなたは祈りが足りません。祈りと言うのは心で祈り願うことではありません。実行しないといけません。地上人はモノとしての行動をしなければなりません。口と心と行いと三つ揃わなければならないと言ってあること、忘れたのですか。

 

 

第四十五帖(八三二)

 

 マコトに祈れと言ってありましょう。マコトとは〇一二三四五六七八九十のことと言ってありましょう。

 

 ただ心で祈るばかりでは、自分で自分を騙すことになります。自分を偽ることは神を偽ることとなるのです。マコトで祈れば何事もスラリスラリと叶う結構な世の中です。

 

 

第四十六帖(八三三)

 

 考えていては何も成就しません。神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよいのです。人間だけの現実界だけで処理しようとするのが今までの考え方です。

 

 今までの考え方では人間の迷いがより深くなるだけと言ってありましょう。迷いを払って真実に生きなさい。御霊鎮めです。神鎮めです。

 

 あなたは信仰のあり方を知りません。長い目で見て、永遠の立場からの幸が、歓喜が、神からのおかげなのです。局部的一時的には嫌なことも起きてきます。

 

 天地を信じ、自分を知り、人を理解するところにこそマコトの弥栄があります。騙す者には騙されてやりなさい。ひとまず騙されて、騙されないように導いてください。

 

 あなたはそんな場合に我を出すからしくじるのです。騙されてやろうとするからカスが残るのです。マコトに騙される修行が大切なのです。

 

 

第四十七帖(八三四)

 

 八のつく日に気をつけなさいと言ってありましょう。八とは開くことです。物事は開く時が大切です。第一歩の前に〇歩があります。〇歩が大切です。心してください。

 

 あなたは行き詰まって苦しんでいるけれど、それは間違った道を歩んで来たからです。行き詰まりは有難いのです。省みる時を与えられたのですから。御魂磨きさえすれば何ごともハッキリとうつって、楽に行ける道がちゃんと作ってあります。

 

 その人その人に応じていかようにでも展開して行きます。犬猫でさえ楽々と栄えているではないですか。洗濯次第でどんな神徳でも与えます。二月十八日。

 

 

第四十八帖(八三五)

 

  世界中を泥の海にしなければならないところまで、それより他に道のないところまで押し迫って来たのですが、なお一理の手立てはあるのです。大神様にお詫び申してすっかり心を改めてください。

 

 神々様も人民様も心得ちがいが多いのです。泥の海となる直前にグレンとひっくり返し、ビックリの道があります。

 

 

第四十九帖(八三六)

 

  あなたの用意が足りません。日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがマコトの道であり、弥栄の道であり、大歓喜なのです。

 

 いつでも神かかれるように神かかっているように、神かかっていても、我にも他にも分からぬようになってください。

 

 鍬(くわ)をとる百姓が自分を忘れ、大地を忘れ、鍬を忘れている境地が、マコトの御魂鎮めであり、神かかりなのです。

 

 そこらでなさる行も、それに至る一つの道ではありますが、それのみではなりません。気をつけ合ってよきに進んでください。あなたが歩むのです。

 

 道は自分で歩まねばなりません。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではありません。あなたの力で、あなた自身の苦労で人を助けねばなりません。

 

 人を助ければその人は神が助けるのです。この道理、何故に分からないのですか。人を助けずに自分を助けてくれと言っても、それは無理というものです。神にも道は曲げられないのです。

 

 

第五十帖(八三七)

 

  何も難しいことを言うのではありません。自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのです。内にあるものを浄化すれば、外から近付くものが変わってくる道理です。

 

 内の自分を洗濯しないで、汚いものが近付くとか、世の中が暗いとか不平を言っていますが、そこにあなたの間違いがあるのです。

 

 木でも草でも中から大きくなっていくのです。三千年に一度の時がめぐり来ているのです。為せば成る時が来ているのです。為さなければ後悔します。

 

 時が過ぎてから種をまいても、くたびれもうけです。あなたは世の中が悪いとか人が良くないとか言っていますが、全ては大神の肚(はら)の中にいて、一応大神がお許しなされているからこそ存在し、生命しているのです。

 

 悪く映るのは心の鏡が曇っているからです。悪い世の中、悪い人と言うのは、神を悪く言って、神界が悪いと言うのと同じなのです。

 

 新しい世界には新しいてんし、天下をこしらえねばなりません。このことを間違えないでください。

 

珍しい御方が出て来てビックリします。ビックリしなければヒックリとはなりません。神は今まで化けに化けていましたが、もう化けてはおられません。

 

 人民ももう化けてはおられません。九分九厘までは化けて、我慢していましたが、化けの世、方便の世、方便の教えは済みました。教えでは世は正されません。

 

 教えの集いは潰れてしまいます。無理してはなりません。あなたの無理押しは良いことを悪く曲げますから。