第十帖(七九七)
一はいくら集めても一です。二も三も四も五も同様です。神にかえり、神によって結ばれるのです。
神がムスビなのです。弥栄です。喜びです。
第十一帖(七九八)
病むことは神から白紙の手紙を頂いたのですと知らせてありましょう。心して読んでください。ありがたき神からの手紙です。おろそかにしてはなりません。
腹八分、二分はまず捧げなさい。運が開けます。病も治ります。
第十二帖(七九九)
逃げ道を作ってから追わねばなりません。あなたは相手の逃げ道を塞いでギュウギュウ追い詰めるから逆恨みされるのです。逆恨みでも恨みは恨みの霊団を作り出します。
悪を抱きなさい。消化しなさい。浄化しなさい。何もかも太神の許し給えるものであるが故に存在するのです。
あなたは神に凝り固まっています。凝り固まると動きの取れないことになります。一度あなたの持つ神を捨て去るとよいのです。捨てるとつかめます。
第十三帖(八〇〇)
木にも竹にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿っているのです。人間や動物ばかりでなく、すべてのものに宿っているのです。
宿っているというよりは、霊と体とで一つのものが出来上がっているのです。
一枚の紙の裏表のようなものです。表ばかりのものもない、裏ばかりのものもない道理です。
数学にも文字にもそれぞれの霊が宿っており、それぞれの能(はたらき)をしているのです。順序が分かれば初段、和に徹すれば名人です。
第十四帖(八〇一)
流れ出たものはまた元に還ると言っても、そのままでは還られないのです。天から降った雨がまた天に昇るには、形を変えるでしょうけど、この道理をわきまえないと、悪かみかかりとなります。
それはあなたの自己欲から出ているのです。自己欲もなくてはなりませんが、だんだん浄化して行かねばなりません。
浄化して大きい自己の欲としなさい。自分のみの欲となるから弥栄しないのです。弥栄しないものは神の御心に逆行します。
自分で判断出来ることをなぜ聞くのですか。神に聞けば神に責任を着せるのと同様です。人間の悪いクセです。出直しなさい。
第十五条(八〇二)
与えることは頂くことですと言っても、度を過ぎてはなりません。過ぎると、過ぎるものが生まれて、生んだあなたに迫って来ますから。
第十六条(八〇三)
五十九柱と言ってありますが、その中の九柱は隠れた柱です。ヤイユエヨワ〇エヲです。一二三四五六七八九です。
この柱は〇です。心得なさい。現われの五十柱の陰の、隠れた九柱、心して大切にしてください。
真っ直ぐに真上に神を戴(いただ)くと言うことは、上ばかりではありません。真下にも横にも前後にも、立体三六〇度に真っ直ぐに神を戴かねばならないということです。
神人交流の第一歩。
第十七条(八〇四)
あなたの仕事、思い付き結構ですが、神の御意志を頂かねば成就はしません。
神と言っても、あなたが勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神ではありません。
分かっただけでは駄目です。行動しなければなりません。生活しなければなりません。芸術しなければなりません。
第十八条(八〇五)
現実的には不合理であっても、不合理にならない道を開くのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道、行き詰まりのない道、新しき世界への道なのです。
平面のみではどうにもならない時となっているのに、何をしているのですか。黒船にビックリしては間に合いません。