日月神示 五葉之巻 第一帖から第八帖

五十黙示録 第七巻

 

五葉(ごよう)之巻(全十六帖)

 

昭和三十六年九月一日

 

 

第一帖

 

 あの子を生んで、この子を産んで去ったのです。その中に一人だけ良くない子が出来ました、その子には海の藻草や山の菜、野菜を食べさせてください、だんだん良い子になりますから。

 

 

第二帖

 

 霊界に方位はありません、人民は東西南北と言っていますが、今に東の東が現れてきます。霊界では光の射す方が北です、その他の東西南北は皆南です、北が北です、北よくなりますと言ってありましょう。

 

 鳴門(なると)の渦巻きを渡る時は舵(かじ)を放して、手放しで流れにまかせると渡れるのです、舵をとると同じところをグルグルなのです。舵を放せる人民は少ないですね。何でもかんでも舵をとって自分の思う通りに船を進めようとするから大変が起きるのです、渦にまかせる時はまかさなければなりません、鳴戸の仕組の一面なのです、大切ごとですよ。

 

 

第三帖

 

 友つくりなさいと言ってありましょうが、友と言っても人間ばかりではありませんよ、山も友です、川も友です、動植物も友です。一人の友を得たら一つの世界を得たことなのです、何もかも皆友です、友は己です、皆己となれば己なくなるのです、己なくなれば永遠に生きられます、無限の己となります。御神前で拝むのもよいですが、空を拝みなさい、山も川も拝みなさい、野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、また己となるのです。足りないことのない細矛千足(くわしほこちたる)の浦安(うらやす)の自分となるのですよ。

 

 

第四帖

 

 お尻を出したらお尻をキレイに拭いてやりなさい、怒ってはなりません、お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのですよ。利子は後からでよいと言いますが、先に払うこともあるのですよ、先にお尻を拭いてあげねばならないこともあります。世が迫って岩戸が開いたのですから、先にお尻を拭くことも出てきますよ、思わぬお尻持ち込まれることもありますが、怒ってはなりません、気持ちよく拭いてやりなさい、やがては神がそなたのお尻を拭いて下さりますよ。

 

 

第五帖

 

 もの与えることなかなかですね、心してよきに与えなければなりませんよ。与えることは頂くことと知らしてありましょうが、与えさせて頂く感謝の心がなくてはなりません、強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってきますよ。自分のものというものは何一つないのですよ、このこと分かれば新しき一つの道が分かりますよ。

 

 

第六帖

 

 仕事はいくらでもあるではないですか、七つの仕事がありますよ、七人の替え身魂(みたま)ありますと知らせてありましょう、高く昇らないと遠くは見えません、目の先ばかり見ているから行き詰るのですよ、道には落とし穴もありますよ、心得て、仕事に仕えまつりなさい。岩戸は開かれているのに何をしているのですか、光が射しているのになぜ背を向けているのですか、十の仕事をして八しか報酬がないこともありますよ、この場合、二は神に預けてあると思いなさい、神の帖面には誤りはないのです、利子がついて返ってきますよ、マコトのおかげは遅いと言ってありましょう。

 

 

第七帖

 

 昨日は昨日、今日は今日の嵐。昨日に囚われることのないように、人民の道は定まっていますが、目の前だけしか見えないので踏み迷うのですよ。薬を飲んで毒死しないようにしてくださいね、薬は毒、毒は薬なのです、大峠にも登りと下りがあります、馬鹿正直はなりません、頭の体操、ヘソの体操大切ですよ。

 

 

第八帖

 

 出し切ってしまうと味がなくなりますよ、自分の力が隠せないようでは大仕事は出来ません。取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下さい、地球という大船に乗って一蓮托生なのです、現在の仕事が御神業と心得てください、不満を持ってはなりません、あなたが招いた仕事ではありませんか。この道理分からねば迷信の迷路に入りますよ。