日月神示 至恩之巻 第一帖から第八帖

五十黙示録 第六巻

 

至恩(しおん)之巻(全十六帖)

 

昭和三十六年九月一日

 

 

第一帖

 

 岩戸開きと言ってありますが、天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸を開くのですから、その立場立場によって違うところがありますよ、それを自分の物差しで計って、岩戸開きとはこんなものだと定めていると、いよいよ分からない時代となってきますよ、気をつけてください。

 

 

第二帖

 

 フトマニとは大宇宙の法則であり秩序ですよ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210がありますよ、〇九十(まこと)の誠ですよ、合わせて二十二、富士ですよ、神示の始めに示してありましょう。二二(フジ)は晴れたり日本晴れですよ。

 

 

第三帖

 

 わかるように説いて聞かすので、今までの智をひとまず捨てて、生まれ赤児となりて聞いて下さいよ。天之(アメノ)ウヅメの命(ミコト)が天照大神に奉った巻物には一二三四五六七八九十と書いてあったのですよ。その時はそれで一応よかったのですが、それは限られた時と所でのことで永遠のものではないのですよ。

 

 

第四帖

 

 この時代には、一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も蘇るほどの力があったのですが、だんだんと曇りが出て来て、これだけでは役に立たないことになって来たのです。岩戸開きの鍵でしたが、今度の岩戸開きには役に立たないようになったのです。始めに神がなくてはなりません、神は神です。

 

 

第五帖

 

 人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生まれたのですよ。故に同じ型、同じ性を持っているのです、その神の天津神(あまつかみ)はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りの果てにイザナギ、イザナミの命(ミコト)となり給いて、まず国土(くにつち)をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならし、八尋殿(やひろどの)を見立てられたのですよ、これがこの世の元、人民の頭に東西南北の四方があり八方と拡がりますが、八十となり、八百、八千と次々に広がって八百万(やおよろず)と成り成るのですよ。

 

 

第六帖

 

 四と八によってなされたのですから、神羅万象の悉(ことごと)くがその気を受けているのですよ。原子の世界でもそうですが、これが今の行き詰まりの原因ですよ、八では足りません、十でなくてはなりません、〇でなくてはなりませんよ。岩戸開きの原因はこれでわかったでしょう。

 

 

第七帖

 

 根本の元の元の元の神は、〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのですよ、別天津神五柱(ことあまつかみいつはしら)と言ってありましょう、五が天なのですよ。五は数ですよ、転じて十となりますが、動き栄えるには十と一の神が現れなければなりません、これが中を取り持つ二柱(ふたはしら)の神です。

 

 

第八帖

 

 ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられましたが、火の神を生み給いてナミの神は去ったのです。物質偏重(へんちょう)の世はやがて去るべき宿命にあります、心得てください。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれました。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給い、妻神を訪ね給い、相談されたのですが、話が途中からコジレてついに別々に住み給うこととなり、コトドを見立てられて千引(ちびき)の岩戸を閉め、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのです。