日月神示 龍音之巻 第十三帖から第十九帖

第十三帖

 

 時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替わっていることもあるのですよ、この場合は肉体に入り込んだと考えてよいのです。こういう場合、例えばそれが狐ならば狐の様相を露呈するので、誰にでもすぐわかるのですが、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代時代の流れに合わせて化けていますから、なかなか見破ることは難しいのです、心得てくださいね。ある種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでいると誤信しているものもいますが、こうした霊が感応した場合は自信をもって断言する場合が多い。人間が知らぬ世界のことを、自信をもって強く告げられると、多くの審神者(さにわ)は参ってしまいます。

 

 

第十四帖

 

 幽界霊も時により正しく善なることを言いますが、それはただ言うだけなのですよ。悪人が口先だけで善を語るようなものなのですよ、よいことを語ったとしても直ちに善神と思ってはなりません。よい言葉ならば、たとえ悪神が語ってもよいではないかと思うものもありますが、それは理屈です、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと言うことですよ。真の善言真語は心・言・行一致ですから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心・言・行が一致していないと力しません。偽りの言葉は、落ち着いて聞けばすぐわかりますよ、同じ「ハイ」という返事でも、不満を持つ時と喜びの時では違いましょう。我は天照大神なり、などと名乗る霊にロクなものはいませんよ、大言壮語する人民は眉唾(まゆつば)もの。

 

 

第十五帖

 

 審神(さにわ)は、場合によって霊媒を誘導してもよいのですよ、また霊に向かって常に愛を持って接しなければなりませんよ。誰でも絶えず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから審神はそれを助け、導くように努力しなければなりませんよ。

 

 

第十六帖

 

 始めに出て来る霊はほとんど下級霊ですよ、玄関にまず出て来るのは玄関番ですよ。祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いのです、浄化した高級霊ともなれば、人民にわかるような感応はほとんどありません。

 

 

第十七帖

 

 霊の要求だと言って、そのまま受け入れてはなりません。よく判断した上で処理しなければなりません。下級霊、動物霊の場合は酔いどれのように箸(はし)にも棒(ぼう)にもかからないことを言うのです。ことにその霊が病気に関連を持っている場合は微妙ですから、よく心得なさい。悪い企て、悪い行為だとしても、直ちに決めつけてはなりません、やんわりともちかけて善(よ)きに導かなければなりません。悪を嫌う心があってはなりません、悪抱き参らせと言ってありましょう。邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、それに倍してブリ返しますよ、この呼吸大切。

 

 

第十八帖

 

 霊に日月神示を読んで聞かせてみよ、その偉大さがハッキリ分かりますよ。どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけません、馬鹿にすると反射的に審神者(さにわ)を馬鹿にして始末におえないことになりますよ。霊覚者や行者(ぎょうじゃ)の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくありますよ、一般の人民はそれに騙(だま)されることがよくあるのですよ、いずれも下級霊の仕業(しわざ)ですよ、正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡なのですよ、奇跡するものは亡びます。高級霊は態度が立派なのです、わかりましたか。

 

 

第十九帖

 

 霊の発動を止めて静かにする法は、「国常立大神(クニトコタチノオオカミ)、守り給え幸(さき)はえ給(たま)え」と三回繰り返すこと。また、「素サ鳴大神(スサナルノオオカミ)、守り給え幸はえ給え」と三回繰り返すこと、または「太日月地大神(オオヒツキクニオオカミ)、守り給え幸はえ給え」と三回繰り返すこと。世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早く鎮(しず)めないと手におえないこととなりますが、見ていなさい、見事なことを致して御目(おんめ)にかけますよ。