日月神示 碧玉之巻 第十三帖から第十九帖

第十三帖

 

 まだ〇のみ追っている人民沢山ありますが、〇では世は治まりません、自分自身は満たされませんよ、ゝでなくてはなりません、と言ってゝだけでもなりませんよ、ゝが元なのです、内なのです、〇は末です、外です、ゝから固めて下さいね、〇は自ずから出来てきます、ふさわしい〇が出来てくるのです。今の世は開けた開けたと言っていますが、それは半面だけのこと、半面が開けると半面が閉ざされる世の中、開け放しの明るい世が目の前に来ているのですよ。用意はよいですか、真中動いてはなりませんと言ってありましょう、動くのは外です、忙しい忙しいと言うのは外側にいる証拠ですよ、気をつけて早く中心に飛び込みなさい、真中結構、日本は真中の国なのですよ、日本精神は真中精神、末代動かぬ精神ですよ、三千世界の大掃除ですから、掃除するには、掃除する道具もいるのですよ、人民もいりますよ、今の有り様(さま)では、いつまでたっても掃除は出来ません、ますます穢(けが)れるばかりです、一刻も早く日本から、日本を足場として最後の大掃除を始めて下さいよ。神が致すのは人民が可哀想なから、くどう言っているのですよ。

 

 

第十四帖

 

  頭と尻尾だけでは何も出来ません、化け物です。八尾八頭(やつおやつがしら)の時代は済んだのです、肝心の胴体がないのです、日本が胴体なのです、日本を何処(どこ)に忘れて来たのか、自分でもわからないでしょう、尻の毛まで抜かれた化物の姿、鏡に映して見るがよろしい、鏡は神示ですと早くから知らせてありましょう。

 

 

第十五帖

 

  五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるのですよ。六六六がマコトのミロクの世なのですが、六六六は動きはないのです、六六六は天地人の大和の姿なのですが、動きがないからそのままでは弥栄しないのです、666となりまた六六六とならなければなりませんよ、新しき世の姿、よく心得なさい。

 

 

第十六帖

 

  盲の人民がいくら集まって相談したとしても、すればするほど闇となるのですよ、行き詰って上げも下ろしも出来ないことになるのですよ、すべてを数だけで決めようとするから悪平等となるのですよ、盲をいくら並べてみても何もなりません、早く改心しなさい、新しきタマの選挙があるではないですか。

 

 

第十七帖

 

 はじめに碧玉(あおたま)を並べて下さいよ、次に赤玉、次に赤黄玉、次に黄赤玉、次に黄玉、次に黄青玉、次に青黄玉、次に青玉、次に青赤玉、次に赤青玉、次に紫水晶、合わせて十一玉、この巻、碧玉の巻ですよ。

 

 

第十八帖

 

  氷と水と水蒸気ですと言ってありましょう、同じであって違うのですと知らせてありましょう、地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのですよ、霊界に起こったことが現界に写ると言っても、そのままで写るのではないのですよ、また物質界が霊界に反映すると言っても、そのままに反映するのではないのですよ、すべてが太神の中での動きですから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのですよ、それをフトマニと言うのですよ、太神の歓喜から生まれたものですが、太神もその法則、秩序、統一性を破ることは出来ない大宇宙の鉄則ですよ、鉄則ですが、無限角度をもつ球ですから、如何(いか)ようにも変化して誤らない、摩邇(マニ)の珠(たま)とも言うのですよ。その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向かって弥栄するのですよ。弥栄すればこそ、呼吸し、脈搏(みゃくはく)し、進展して止(や)まないのですよ。このことわかれば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのですよ。

 

 

第十九帖

 

 百は九十九によって用(はたら)き、五十は四十九によって、二十は十九によって用(はたら)くのですよ、この場合、百も五十も二十も、天であり、始めなのですよ、用(はたら)きは地の現われ方なのですよ、フトマニとは二十の珠(たま)であり、十九は常立(トコタチ)ですよ、根本の宮は二十年毎(ごと)に新しく致さねばなりません、十九年過ぎて二十年目なのですよ。地上的考え方で二十年を一まわりと考えていますが、十九年で一まわりするのですよ、イロハ(母)の姿見なさい。