日月神示 龍音之巻 第七帖から第十二帖

第七帖

 

 仙人と名乗るものは如何(いか)に高度なものであっても、それは幽界に属します、仙人界には戒律があるからですよ、神界には戒律はありません、戒律ある宗教は亡びます、マコトの宗教には戒律はありませんよ。しかし神界にも仙人的存在はありますよ。

 

 

第八帖

 

 竜体をもつ霊は神界にも幽界にもあります。竜体であるからと言っても神界に属すると早合点はいけません。

 

 

第九帖

 

霊界に住むものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知りません。その霊界がすべての霊界であるかの如く思うものなのです。同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのですが、段階が異なってくるとわからなくなるのですよ。他の霊界は霊自身のもつ感覚の対照とならないからです。人民界のことをよく知っている霊は、人民界を去って間もない霊か、地上世界に長く住んでいた動物霊か、人民に憑依していた霊なのですよ。特別な使命をもつ天使は別として、人霊以外の霊で人民に憑依するのは、日本では天狗風(てき)、仙人風(てき)、狐風(てき)、狸風(てき)、猫風(てき)などが大部分ですから気をつけてくださいね。

 

 

第十帖

 

 人間の肉体に他の霊が入って自由にしているのだと、多くの霊覚者や審神者(さにわ)が信じていますけれど、事実そう見えますけれど、それは誤りなのですよ。人間の肉体は原則として真理の宿り給う神の生宮(いくみや)ですから、下級霊はなかなかに入ることは出来ません。例外はありますが、肉体霊、外部霊、副守護霊等の想念は、時によって動物的、幽界的となるものですから、それと同一波長の動物的霊が感応します、感応はしますが肉体の内部までは入り込めません、しかし感応の度が強ければ入ったと同様に見える状態となるのです。先祖霊もだいたい同様ですよ。

 

 

第十一帖

 

 霊には物質は感覚の対照とはなりません。霊には、人間の肉体は無いのと同じなのです。祖先霊に化かせて何かを企てる動物霊が多いから注意しなさい。動物霊が何故祖先のことを知るかと言えば、その憑依の対照となる人間の肉体霊の知っていることを、直ちに知り得るからです。

 

 

第十二帖

 

 動物霊が人間の言葉を使うことは、腑に落ちないと言うものが沢山ありますが、よく考えて見なさい、例えば他人の家に入って、其処(そこ)にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理なのですよ、わかりましたか、動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間の持つ言葉をある程度使いこなせるのですよ、故に日本人に感応すれば日本語、米人ならば英語を語るのですよ。今の偉い人民がこの神示を読むと、理屈に合わない無茶苦茶な文章ですから、下級霊の所産だと断じますが、それはあまりにも霊界のことを知らない、霊的白痴であることを、自分で白状しているのですよ、気の毒ですね、ましてこの神示は八通りに読めるのですから、いよいよわからないことになりますよ。