日月神示 扶桑之巻 第一帖から第七帖

五十黙示録 第一巻

 

扶桑(ふそう)之巻(全十五帖)

 

昭和三十六年五月五日

 

 

第一帖

 

 東は扶桑(ふそう)なり、日(神)出(い)づる秋(とき)は来にけり。この巻、扶桑の巻、続く六の巻を合わせて七の巻、一百四十四帖の黙示を五十黙示(いせもくじ)と言いなさい。

 

 イシもの言いますと言ってありましたが、イセにはモノ言うイシがあると昔から知らしてありましょう、五のイシがモノ言うのですよ、開けば五十となり、五百となり、五千となります。握れば元の五となります、五本の指のように一と四です、この方(ほう)を五千の山に祀れと言ってありましょう、これがイチラ(五千連)です、五十連(イツラ)です、わかりましたか、五十連世に出ますよ。

 

 天に神の座あるように、地には人民の座があります、天にも人民の座があります、地に神の座があります。七の印(しるし)と言ってあります、七とはモノのなることです、天は三であり、地は四であると今までは説かせてありましたが、いよいよ時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐(イザナギ)となり、伊邪那美(イザナミ)となりなりて、ミトノマグワイして五となるのですよ、五は三百六十です、天の中の元のあり方なのです、七の燈台は十の燈台と成り出(い)づる時となったのです、天は数ですと言ってありましょう、地はイロハですよ。わからない者が上に立つこととなりますよ、大グレン目の前、日本のみのことではありませんよ、世界中のことなのですよ、今度は三千世界が変わるのですから今までのような立て替えではないのですよ。何もかも鏡にうつるのですよ。鏡が御神体なのです、何も写らない御神体のカガミは何もなりませんよ。

 

 

第二帖

 

 中臣(なかとみ)の太祝詞言(ふとのりとごと)ふとにのりあぐ。一はいくら集めても一なのですよ、わからないものいくら集めてもわからない道理、二は二、三は三ですよ、一を二つ集めても二にはなりませんよ、人民大変な取り違いを致していますよと言ってありましょう、〇(レイ)がもとです、◎一(レイ)がもとです、結びです弥栄です、よく心得なさいな。世の元、〇の始めから一と現われるまでは〇を十回も百回千回も万回も、繰り返したのですよ、その時は、それはそれはでしたよ、火と水のドロドロでしたよ、その中に五色五頭の竜神が御働きなされて、つくり固めなされました、今の人民は竜神といえば、すぐ横を向いて耳をふさぎますが、マコトのことを知らさないといけない時ですから、言分(ことわ)けて言っているのですよ、竜神とは◎神ですよ、五色の竜神とは国常立尊(クニトコタチノミコト)の御(おん)現われの一つなのですよ。

 

 戒律をつくってはなりません、戒律がなくてはグニャグニャになると思うかもしれませんが、戒律は下(げ)の下の世界、今の人民には必要ですが、いつまでもそんな首輪はいりませんよ、戒律する宗教は亡びると言ってありましょう。

 

 

第三帖

 

 高天原(たかあまはら)に千木高(ちぎたか)しりて仕へまつらむ。岩戸の開けたその当座は、不合理に思えることばかり出てきますよ、逆様(さかさま)の世界が、この世界に入り交じるからですよ、親よりも子の方が早く目覚めますよ、子が親となりますよ、逆様の世界といっても悪の世界ではありません、霊の世界には想念のままにどんなことでも出来るのですよ、嬉しい、恐い世界が近づいて来ているのですよ。

 

 

第四帖

 

 罪穢(つみけが)れ、今はあらじと祓(はら)へ給(たま)ひそ。空白とは九八九ですよ、八と九、九と八の境を開くことが岩戸を開くことです、空白とは最も根本を為す最も力あることなのですよ。

 

 

第五帖

 

 八塩路(やしほじ)の塩(しお)の八百会(やほあい)母いますくに。天の声ありますよ、地の声ありますよ、和して十の日月地と現われますよ、五十人の仁人が出て来ますよ、仁人とは神人(かみひと)のこと、この仁人が救世主ですよ、救世主は一人ではありませんよ。各々の民族に現われて五十人ですが、五十という数に囚(とら)われないようにしてください、五十人で一人です、数に囚われるとわからないことになり、岩戸閉めとなりますから気をつけてくださいね。

 

 

第六帖

 

  はらひため千城百国精治万歳。三年と半年、半年と三年です、その間は暗闇時代、火を灯(とも)しても暗いのですよ、明るい人民には闇でも明るい、日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年です、五日と五日です、このこと間違えないでくださいね。手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追いやられたのですが、マコトはマコトです、時めぐりきて、我(が)がとれたので、光が射(さ)し初(そ)めたのですよ、岩戸が開けたのですよ。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのですよ。世界中の苦しみ、地上の苦しみ、天上の苦しみですよ、この大峠を越してから大いなる試しがあります、人の心の難しさ、計り知れないほどですが、見て御座れ、見事なこと致して見せますよ。

 

 

第七帖

 

  岩隠れし比売(ひめ)のミホトは焼かへ給ひて。三分の一の人民になると、早くから知らせてあったことの実地が始まっているのですよ。何もかも三分の一なのです、大掃除して残った三分の一で、新しき御代(みよ)の礎(いしずえ)と致す仕組です、三分難しいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心なのですよ、堪忍(かんにん)の堪忍、我慢の我慢なのですよ、九の神の花咲きますよ。