日月神示 扶桑之巻 第八帖から第十五帖

第八帖

 

 平坂の岩戸ひらけむ音のきこゆる。神に怒りはないのですよ、天変地異を神の怒りと取り違い致してはなりません。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますのです。またすべてが喜びにましますが故に怒りはないのですよ、もし怒りが出た時は、神の座から外れてしまうのですよ。救いの手は東(ひむかし)より差し延べられると知らせてありましょう、その東とは、東西南北の東ではないのです、このことよくわかりて下さいね。今の方向では東北(うしとら)から救いの手が差し延べられるのですよ、ウシトラとは東北です、ウシトラコンジンとは国常立尊ですよ、地の元の、天地の元の元の元の神ですよ、始めの始め、終わりの終わりですよ、弥栄の弥栄です、礎(いしずえ)なのです。

 

 

第九帖

 

 ささげてむ和稲荒稲(わしねあらしね)横山のごと。五人ありますよ、中二人、外三人、この仕組天の仕組。一切と手をつながねばなりません。人民のみで世界連邦をつくろうとしても、それは出来ない相談、片車輪と言ってありましょう、目に見えない世界、目に見えない人民との、縦のつながりつけなければならない道理、人民同志の横糸だけでは織物にはなりませんよ。天は火です、地は水です、火水組み組みて織りなされたものが、錦(にしき)の御旗(みはた)です、火水の経綸なのですよ。

 

 

第十帖

 

  赤丹(あかに)の頬にきこしめしませ御酒(みき)たてまつる。何事が起こって来てもまず喜んで迎えねばならないのです、近づいてくるのは呼び寄せたからですよ、こんな嫌な、汚いものはごめんですと言う人民もありますが、それは皆己の心の写しではありませんか。内に無いものが外から近寄る道理はないのですよ、どんなものでも、喜んで迎えるとよろこびとなる結構な仕組、よく会得しなさい。何事も一段ずつ、一歩ずつです、一足飛びは大怪我のもと。

 

 

第十一帖

 

  沖(おき)つ藻葉辺津藻葉(もはへつもは)ぞ、母治(し)らす御国の五の働きはいずれも十のつばさを持っています、足は十本ですよ、さらに五十のつばさとなりなる仕組み、五十の足がイツラです、イツラでは動きはとれません。四十九として働いてくださいな、真中の一は動いてはなりません。真中動かないように言ってありましょう、時過ぎて種蒔(たねま)く人民多いですね、人民というのは天狗ですから、自分はよいのですが、世の中悪いのだと言っていますが、世の中というものは大神の働きの現われなのですから、大神の中での動きなのですから、世の中が悪いと思うのは、大神が悪いと思うことになるのですよ、其処(そこ)に底知れないほどの魔の仕組があるのですよ、気をつけてください。

 

 

第十二帖

 

 進(たてまつ)る宇都の幣帛(みてくら)きこしめしたべ。神の御手に巻物があります、その巻物の数は五十巻です、この巻物を見たものは今までに一人もなかったのですよ、見てもわからないのです。巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となってしまうのです、人民にはわからないのです。説くことは出来ないのです、この巻物は天の文字で書いてあります、数字で書いてあります、無が書いてあります、無の中に有が記してあります、心を無にすれば白紙の中に文字が現われるのですよ、時節参りて誰の目にも黙示とうつるようになった、有り難いことです、岩戸が開けていよいよの時となったのです、始めからの巻物よく読んで下さいね、よくよく分けて下さいね、何もかも一切ありやかに刻まれているのです、残る十二巻と一巻は人民ではわかりませんよ、無の巻物です、空に書いてありますよ。

 

 

第十三帖

 

  称言太祝詞(たたえごとふとのりと)こと今ぞ高らに。木でも草でも皆、中から大きくなるのですと言ってありましょう、付け焼刃や膏薬(こうやく)貼りで大きくなるのではないのですよ、三千年に一度という、またとない結構な時がめぐりて来ているのですよ、為せば為ります、難しいこと言っているのではないのです、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨きなさいと言っているのですよ、磨けば神と同列のミタマです、釈迦です、キリストですと言ってありましょう、内にあるものを磨けば外から響くものも、磨かれた穢れのないものとなるのですよ、中の自分を掃除しないで居るといつまでたっても、岩戸が開けていても岩戸は開きません。

 

 

第十四帖

 

  青海原青垣山の内に御子生る。神の御座(みくら)のまわりには十の宝座があります、十の宝座は五十と五十、百の光となって現われるのですよ、大摩邇(まに)は百宝を以(もつ)て成就すると知らせてありましょう、五十種の光、五十種の色と言ってありましょう、光の中に百億の化仏(けぶつ)と言ってありましょう、百が千となり万となり億となるのですよ、今までは四の活物と知らせてありましたが、岩戸が開けて、五の活物となったのですよ、五が天の光ですよ、白、青、黄、赤、黒、の色ですよ。

 

 

第十五帖

 

  百不足八十隈手(ももたらずやそくまで)いまひらかん時ぞ。天のことは今までは人民にわからなかったのです、時めぐりて来て、岩戸が開けて、わかるようになったのですよ、今までの人民であってはなりません、地そのものが変わっているのですよ、人民は我(が)が強いから一番遅れているのですよ、人民の中では宗教人が一等遅れているのですよ、神人(かみひと)とならなければ生きては行けません、天地がアメツチとなってきているからです、天と近くなります、地も近くなりますと気をつけていたのに目覚めた人民少ないですね、今に昇り降りで忙しくなり、衝突するものも出てきますよ、他人におんぶされたり、車に乗せられていた人民たちよ、もうその時は過ぎているのですから、自分の足で歩まなければなりませんよ、大地を踏みしめなさい、大地の気が身内に甦りますよ。