日月神示 碧玉之巻 第一帖から第九帖

五十黙示録 第二巻

 

碧玉(あおたま)之巻(全十九帖)

 

昭和三十六年五月六日

 

 

第一帖

 

 反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁(にご)るばかりですよ、合流するには、立体でやらなければなりません、立体となれば反対が反対ではなくなるのですよ、立体から復立体に、復々立体に、立立体にと言ってありましょう、漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かなければなりません、それが岩戸開きなのです、低い世界は戒律なくてはなりませんよ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにしていますよ、平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷いの道なのですよ、気をつけて下さいね。病むことは神から白紙の巻物をもらったことなのですよ、この巻物をどんなに読み取るかによって新しき道が開けるのですよ。神からの巻物おろそかにしないように。

 

 

第二帖

 

  気の合う者のみで和していますが、それでは和にならないと言ってありましょう、今度は合わないものと合わせるのですよ、岩戸が開けたから、逆様のものが出てきているのですよ、この行(ぎょう)なかなかですが、これが出来なければ岩戸は開けません、マコトの神さえ魔神のワナにかかっているのです、人民が騙(だま)されるのも無理ありませんが、騙されていては今度の御用は成就しません。自分自身に騙されている人民も多いのですが、ついてきてください、少しは苦しき行もありますが見事なことを致して御目にかけますよ、自分でもビックリですよ、始めから神示よく読んで下さいね、霊かかりよろしくありませんよ、やめて下さいと言ってありましょう。

 

 

第三帖

 

  生命の樹、生命の水を間違えないでくださいね。樹とはキなのですよ、水とは道なのですよ、樹と水にたとえてあるのを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのですよ。

 

 

第四帖

 

  真の懺悔(ざんげ)は正法をおさむることなのですよ、掃除することなのですよ。まず御(おさ)め、次に治(おさ)め、次に知(おさ)めなければなりませんよ、素サ鳴(スサナル)の大神はまず滄海原(あおうなはら)を御め給い、さらに滄海之原(あおうなのはら)を治め給い、次に天ヶ下(あめがした)を知め給うたのですよ。素サ鳴の大神が悪神とうつるのは悪がそなたの中にあるからですよ。

 

 

第五帖

 

  七は成り、八は開くと言ってありましょう、八の隅から開きかけるのですよ、開けると〇と九と十との三が出てきます、これを宮と言うのですよ、宮とはマコトのことなのですよ、西と東に宮建てよと言うこと、これでよくわかるでしょう、マコトの数を合わせると五と五十なのです。中心に五があり、その周辺が五十となるのですよ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数なのですよ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)ですよ、五十は伊勢ですよ、五百は日本ですよ、五千は世界ですよ、この方(ほう)五千の山、五万の川、五億のクニですよと言ってありましょう。

 

 

第六帖

 

  禍(わざわい)というものは無いのですよ、光を忘れ、光に背くから、嫌なことが起こるのですよ、影がさすのですよ、禍とか悲しみとかいう暗いものがないのがマコトなのです、中心は無と言ってありましょう。中心は見えないから、わからないから、外のカスばかり見ているからつまらないことで、つまらないことが起こってくるのですよ、その見えぬ力が永遠の生命と現れるのですよ、見えるものは有限なのです。この世の大泥棒を高山(たかやま)だと言って、この世を自由にさせておいてよいのですか、元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えないものを掴(つか)まなければなりませんよ、そこから正さなければ外側からばかり清めても何もなりません。

 

 

第七帖

 

 始めの日は始めの日に過ぎません、始めの前にあるものがわからなければ、それはただの理屈に過ぎませんよ、マコトではありませんよ、根から出たものではない、枝葉に過ぎません、男から女は生まれませんよ、奇数から偶数は生まれないと言ってありましょう、一つのものの表が男なのですよ、裏が女なのですよ、男から女をつくったと言うのは或る時期における教えです、岩戸が開けたのですから教えではいけません、道でなくてはならないと言ってあるのです、道は永遠です、〇から出て〇に至るのです。

 

 

第八帖

 

  四ツ足を食べてはなりません、共食いとなりますよ、草木から動物生まれると言ってありましょう、神民の食物は五穀野菜の類(たぐい)ですよ。今の人民の言う善も悪も一度に開いて、パッと咲き出るのが、次の世の新しき世の有り様なのですよ、取り違いしないように、悪と言っても魔ではないのですよ、アクなのですよ。大峠の最中になったら、キリキリ舞(まい)して、助けてくれと押し寄せますが、その時では間に合いません、逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることも出来ません、皆己の心だからです、今の内に改心結構、神の言う言葉がわからないのならば、天地のあり方、天地のあり方による動きをよく見極めて下さいよ、納得の行くように致して見せてあるではないですか。

 

 

第九帖

 

  九分行ったら一休みしなさい、始めから終わりまで休まずに行くと、今の人民では息切れしますよ、一休みして自分の来た道を振り返りなさいな。この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのですよ、活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)れないものが沢山に出てくるからですよ、立て替え、立て直し、一時に来ているから、我れ善しの人民にはわからないことになりますよ、この世の動きがわからないのは我れ善しだからですよ、今度の岩戸開きは五度の岩戸閉めを一度に開くのですから、人民にはなかなかに理解出来ないことに折り重なってきますから、何事も神の言うとおりハイハイと素直にきくのが一等なのですよ。