日月神示 夏の巻 第十七帖(七三四)から第二十五帖(七四一)

第十七帖(七三四)

 

 神の姿はすべてのものに現われています。道ばたの花の白きにも現われています。それを一度に、すべてを見せて、呑(の)みこませてくれと言ってもわかりはしませんよ。わかるところから、気長に神求めなさい。すべては神から流れ出ているのですから、神にお願いして実行しなければなりません。このわかり切った道理、おろそかにしていますよ。そこに天狗出ていますよ。

 

 

第十八帖(七三五)

 

  自分が自分生むのですよ。陰と陽とに分かれ、さらに分かれると見るのは、人間の住む次元に引き下げての見方ですよ。陰陽分かれるのではないこと、もとのもとの、もとのマコトの弥栄知りなさいな。

 

 

第十九帖(七三六)

 

 その人その人によって、食物や食べ方が少しずつ違うのです。身体に合わないもの食べても何もなりません。かえって毒となりますよ。薬、毒となることあると気をつけてありましょう。ただ歩きまわっているだけではなりません。ちゃんと目当てつくって、よい道進んで下さいね。飛行機あるに馬に乗って行かないように。額にまず気集めて、肚で物事を処理しなければなりませんよ。形ある世界では形の信仰もありますよ。偶像崇拝だと一方的に偏してはマコトはわかりませんよ。

 

 

第二十帖(七三七)

 

 人民の智の中に現われてくる時は、もはや大神ではないのですよ。神ですよ。原因の原因はなかなか見当とれません。

 

 

第二十一帖(七三八)

 

 始めは形あるものを対象として拝むのもよいですが、行き詰まるのは目に見える世界のみに囚われているからですよ。タテのつながりを見ないからですよ。死んでも自分は生きているのですよ。大我に帰したり、理法に融け入ったりして自分というもの無くなるのではないのですよ。霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)とのことはくどう説いてありましょう。神示(ふで)読みなさい読みなさい。大往生(だいおうじょう)の道。弥栄に体得出来るのですよ。霊と体と同じであるといっても、人間の世界では別々ですよ。内と外、上と下なのですよ。取り違いしないようにして下さいね。

 

 

第二十二帖(七三八)

 

 つくり主(ぬし)とつくられるものとでは無限に離れて行くのです。和ないのです。和のないところ天国ないのです。こんなわかりきったこと、何故にわからないのですか。尻の毛まで抜かれていると言ってありましょう。早く目覚めなさい。悪の道、教えにまだ迷っていますが、早く目覚めないと間に合わなくなりますよ。

 

 

第二十三帖(七三九)

 

 無限のものと、有限のものと、ムとウとをまぜまぜにして考えるから、人民の頭はとかくウになりがちなのですよ。欲、浄化しなさい。

 

 

第二十四帖(七四〇)

 

  すべて世の中の出来事はそれ相当に意義あるのですよ。意義ないものは存在ゆるされません。それを人間心で、邪と見、悪と感じるから、狭い低い立場でいるから、いつまでたってもドウドウめぐり。それを毒とするか薬とするかは各々の立場により、考え方や、処理方法や、いろいろの運び方によって知るのであるから、心しなければなりません。「今」に一生懸命になって下さいね。三月三日、ひつく神。

 

 

第二十五帖(七四一)

 

 二十二のように知らせますよ。神の仕組、間違いなし。どしどしと運びなさいな。三月八日、ひつく神。