日月神示 春の巻 第二十一帖(六七八)から第二十八帖(六八五)

第二十一帖(六七八)

 

 太一二(不明記号)大神(オーヒツキクニオオカミ)としてのこの神は一柱(ひとはしら)ですが、働きはいくらでもありますよ。その働きの名がもろもろの神様の名です。無限ですよ。この方(ほう)一柱ですが無限柱ですよ。すべてが神です。一神です。多神です。汎(はん)神です。すべてが神です。喜びです。始めから全体を掴もうとしても、それは無理というもの。手でも足でもよい、何処(どこ)でもよいから掴(つか)める所から掴んでくださいね。だんだんわかってきますから。全体を掴むには全体と同じにならねばなりません。その人民々々の掴めるところから掴んで参りなさい。この方抱き参らせてやりますよ。マツリから出直しなさい。天地見なさい。大きマツリ致して居ろうがな。霊と肉のまつり第一。頭と肚のまつり結構。夫婦のマツリ、出船の港です。奥から来るものは喜びです。念です。力の元です。生きの生命です。神様には肚を向けなさい。

 

 

第二十二帖(六七九)

 

 宇宙のすべてはこの神の現われであり、一面ですから、その何処(どこ)つかんで拝んでもよいのです。その何処つかんで、すがってもよいのですよ。水の流れも宗教ですと言ってありましょう。すべてに神の息、通っていますよ。一本の箸拝んでもよいのですが、ちゃんと目当て、よい目当て、決めねばなりません。内の自分に火つけなさい。心暗くては何もわかりません。世の中は暗く見えるでしょう。真っ暗に見えたら自分の心に光ないのです。心しなさい。自分光れば世の中明るいのですよ。より上のものから流れてくるものにまつりて行くことが大切です。それがまつりの元。それが宗教です。宗教は生活です。生活は宗教です。裏と表です。

 

 

第二十三帖(六八〇)

 

 順と区別さえ心得て居れば、何様を拝んでもよいと言ってありましょう。日の神様ばかりに囚われるとわからないことになります。気つけておいてくださいね。それでは道になりません。父だけ拝んで母拝まないのは親不孝ですよ。おかげありませんよ。おかげあったら邪(よこしま)のおかげと心得なさい。手だけ尊んではいけません。足だけ尊んではいけません。一切に向かって感謝しなさいと言ってありましょう。門もくぐらず玄関も通らずに奥座敷には行けない道理。順序を馬鹿にしてはなりませんよ。いつまで門に立っていても何もなりません。お出直しです。川がなければ水流れない道理。始めはカタ踏んで行かなければなりませんよ。(ひつくの神二月三日)

 

 

第二十四帖(六八一)

 

 自分捨てて他力なし。人民なくてこの世の仕事出来ません。人民は道具です。神は心です、元です、元だけではなりません。道具だけではなりません。大神は一切を幸し、一切を救い給うのですよ。一切が神であり一切が喜びですよ。その人民にメグリなくしてもメグリ負うことありますよ。人類のメグリは人類の誰かが負わなければなりません。一家のメグリは一家の誰かが負わなければなりません。果たさなければなりません。善人が苦しむ一つの原因です。神の大きな恵みであり試練です。わかりましたか。愛するものほど、その度が濃いほど、魂が入っているのです。先祖が大切していたものは大切せねばなりませんよ。現界のみの理屈は通りませんよ。飛んだ目に遭いますよ。気つけておくように。念じてから行いなさい。

 

 

第二十五帖(六八二)

 

 局部的に見るからわからないのです。文字書くのは心ですが、心は見えません。手が見えるのです。手見るはまだよい方です。筆の先だけしか見えない、筆が文字書いているというのが、今の人民の考え方なのです。筆が一番偉いと思っているのですよ。信仰に入った始めはよいのですが、途中からわからなくなるのです。そこが大切なのです。わからなくなったら神示(ふで)読みなさい。キ頂いて甦りますよ。出足の港は夫婦の道からですと言ってありましょう。真理と言ってありましょう。これが乱れると世が乱れますよ。神界の乱れイロからですと言ってありましょう。男女の道正さない限り、世界はちっともよくはなりません。今の世の様(さま)見て、早く改心、結構いたしてくださいね。和は力です。

 

 

第二十六帖(六八三)

 

 神にまかせ切るといっても、それは自分で最善をつくした後のことですよ。努力なしにまかせるのは悪まかせです。悪おまかせ多いですね。魂の財産は金を得るより数倍難しいのです。濡れ手で粟(あわ)のやり方、カスつかみますよ。むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、悔しくなったりするのは、まだめぐりあるからです。めぐりの霊界との因縁が切れて居ないからです。愛は養わなければなりません。夫婦はいのちがけで、お互いにきづき合わなければなりませんよ。夫婦愛はあるのではないのです。築き上げなければならないのです。生み出すのです。つくり出すのです。そこに尊さあるのです。喜びあるのです。左には宗教、右には芸術。

 

 

第二十七帖(六八四)

 

 八合目あたりに参るとすべての様子が、ほぼ見当つきますよ。それまでは誰でもよくわからないものです。これという先達(せんだつ)があったら、先達の言うこと、言う通りについて行きなさい。おかしい先達は始めからおかしいのですよ。苦労し、手をかけ、金かけるほどよいもの出来ますよ。信念越えて自分より上のものにまかせ切ったのが理解ですよ。信念だけでは何事も出来ません。確信は理解からです。

 

 

第二十八帖(六八五)

 

 親子、夫婦、兄弟姉妹と生まれても逆縁ありますよ。カタキ同志結ばれることありますよ。それは神の大き恵みです。それに打ち克(か)って、新しき生命うみ出してつかえまつりなさい。体験ないところに宗教はありません。