日月神示 白銀の巻 第一帖(六一二)から第二帖(六一三)

第二十五巻

 

白銀(しろがね)の巻(全七帖)

 

自 昭和二十四年十二月十四日

 

至 昭和二十五年五月八日

 

 

第一帖(六一二)

 

 天地の理(ことわり)書き知らせますよ、この巻「しろかね」の巻。天国です、霊国です、地獄です、浄土です、穢土(えど)ですと言っていますが、そんな分け隔(へだ)てはないのですよ。時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのですが、時節到来したので、まことの天地の理(ことわり)を書き知らせます。三千の世界の中の一つがそなたたちの世界なのですよ。この世もまた三千に分かれ、さらに五千に分かれています。この方(ほう)五千の山に祀れと言ってありましょう。今の人民の知り得る世界はその中の八つです。人民のタネによっては七つしか分からないのです。日の光を七つと思っていますが八であり、九であり、十ですよ。人民では六つか七つにしか分けられないでしょう。「イワトがひらけるとさらに九、十となりますよ。隠してある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁(あかつき)には何もかもわかる」と言ってありましょう。八つの世界とは(△、△、▽、ア、オ、ウ、エ、イ)ですよ。八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考えてよいのです。キとは気の気ですよ。その他に逆の力があります。九と十です。その上にまた霊の霊の個から始まっているのですが、それはムの世界、無限の世界と心得なさい。霊界に入って行けば、その一部は知れますが、皆直(ただ)ちにはわからないのですよ。わからないことはわからないと、わからないといけないと言ってありましょう。天、息吹けば、地、息吹くと言ってありましょう。このことよくわきまえなさい。地の規則、天の規則となることあると言って知らせてありましょう。この大切こと忘れることのないように。想いの世界が天です。肉の世界が地です。想いは肉体と一つです。二つです。三つです。想い起こって肉体動くのです。肉体動いて想い動くこともあります。生まれ赤児(あかご)の心になって聞いて下さいね。何もかも、ハッキリ写りますよ。陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考えていますが、タカミムスヒとカミムスヒと考えていますが、別のミナカヌシ、現われますよ。(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、卍、(卍の反対)、(太文字の+)、+、よく見て下さいね。一であり、二であり、三でありましょう。三が道と言ってありましょう。陰陽二元ではないのです。三元です。三つなのです。ゝなくてはなりません。ゝにも隠れたゝと現われたゝとがありますよ。このことまず心得て下さいね。そなたたちは父と母と二人から生まれ出たのですか。そうではないでしょう。三人から生まれ出ていることわかるでありましょう。どの世界にも人が住んでいるのですよ。(記号不明)の中に(記号不明)があり、その中にまた(記号不明)があり、限りないのですと知らせてありましょう。そなたたちの中にまた人がいて限りないのです。この方人民の中にいると知らせてありましょう。そなたたちも八人、十人の人によって生きているのですよ。また十二人でもあるのですよ。守護神というのは心のそなたたちのことですが、だんだん変わるのですよ。自分と自分と和合しなさいというのは、八人十人のそなたたちが和合することです。それを改心と言うのですよ。和合した姿を善と言うのです。今までの宗教は肉体を悪と言い、心を善と言って、肉体をおろそかにしていましたが、それが間違いであること合点(がてん)いきましたか。一切が善いのだということ合点いきましたか。地獄ないこと合点いきましたか。悪抱き参らせよと言ってあること、これで合点がいきましたか。合点ですネエ。各々(おのおの)の世界の人がその世界の神なのですよ。この世ではそなたたちが神なのですよ。あの世では、そなたたちの心を肉体としての人がいるのですよ。それがカミと言っているものです。あの世の人をこの世から見ると神ですが、その上から見ると人なのです。あの世の上の世では神の心を肉体として神がいますのであって限りないのです。裏から言えば、神様の神様は人間様です。心の守護神は肉体ですと言ってありましょう。肉体が心を守っているのですが、だからと言って肉体が主人顔してはなりません。何処(どこ)までも下に従うのです。順乱すと悪となりますよ。生まれ赤児踏み越え、生まれ赤児になって聞いて下さいね。そなたたちの本尊は八枚十枚の衣(ころも)着ているのですよ。死ということは、その衣、上から脱ぐことですよ。脱ぐと中から出て来てまた八枚十枚の衣つけるようになっているのですよ。わかるように言っているのですよ。取り違いしないようにしなさい。天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気がまた天に反映するのですが、まだまだ地には凸凹あるので、気が天に還らずに横に逸(そ)れることありますよ。その横の気の世界を幽界と言うのです。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところです。地獄ではありませんよ。(十二月十四日)

 

 

第二帖(六一三)

 

 わかるように言うならば、宇宙はゝ真と愛との現われです。愛と真ではありません。ゝ、愛、真、善、智ですが、愛真でもなく、善智でもありません。愛と真が善と智と現われ、喜びとなってはたらき、ゝが加わって弥栄えた生命なのです。愛のみというものありませんよ、真のみというものありませんよ。愛と現われ真と現われるのですよ。人間には現われたものだけよりわからないのですが、言分(ことわ)けて言うなら愛には真隠れ、真には愛隠れ、その奥にゝがあるのです。人間は親を父と母とに区別していますが、母と現われる時は父その中に居り、父と現われる時はその中に母いるのですよ。いずれも親ですよ。父となり母となり現われるのですよ。愛と真、善と智と区別して説かしておきましたが、それは今までのこと、いつまでもそんなところでまごまごさせてはおけません。ゝがわからねばなりません。ゝのゝがわからねばなりません。男の魂は女、女の魂は男と言ってありましょう。人間の目に愛とうつるものは外の愛、真とうつるものは外の真です。中から言えば外は御役の悪なのです。今が過去で、今が未来です。時間にふみ迷わないように。空間に心ふみ迷わないように。皮一枚脱いで心でよく考えなさい。いつも日が出ているではないですか。月輝いているではないですか。力そのものに、力はないのですよ。霊と肉の結びのみで力現われるのではないのです。プラスとマイナスと合わせて組みて力出ると思っているのでしょうが、一歩踏み出さなければならないのですよ。プラスとマイナスと合わせたのではプラスとマイナスなのです。力出ないのです。ゝの力が加わって其処(そこ)にヨロコビ出て、理(ミチ)となり、なり、なりて真実と現われるのですよ。弥栄が真実です。神です。神の心です。竜神と言っていますが竜神にも二通りありますよ。地からの竜神は進化して行くのですよ。進化を嘘だと思うは神様迷信です。一方、天からの竜神は退化して行くのですよ。この二つの竜神が結ばれて人間となるのです。人間は土でつくって、神の気入れてつくったのだと言ってありましょう。岩戸閉めと岩戸開きの二つの御用のミタマあると言ってありましょう。ミタマの因縁恐ろしいのですよ。愛と智は呼吸して喜びとなるのです。よろこびは形をとります。形なく順序なきもの〇なのです。善と真のはたらきを完全にするには、善と真との差別をハッキリとさせねばなりません。融け合わせ、結んでヨロコビと現われるのですが、区別することによって結ばれるのですよ。ゝしなければなりません。すればするほど力強く融け合うのですよ。大きな喜びとなるのですよ。このこと日月(ひつく)の民(たみ)にはわかるでしょう。道は三つです。合点ですねえ。小の中に大あります。無(ム)の中に有(ウ)あります。ものますます小さければ、ますます清ければますます内に大きなものあり、ますます純なものありますよ。神はそなたの中にありますが外にもありますと言ってありましょう。(不明記号)(ウム)よく見て下さいね。愛はそのまま愛ではありませんよ。真はそのまま真ではありませんよ。善はナマでは善ではありませんよ。智はナマでは智ではありませんよ。ゝ入れて、結んで解けてヨロコビとなるのです。ヨロコビ生命です。宇宙のすべて生命ですよ。(一月一日)