日月神示 黒鉄の巻 第一帖(六一九)から第十帖(六二八)

第二十六巻

 

黒鉄(くろがね)の巻(全三十九帖)

 

自 昭和二十五年一月二十二日

至 昭和二十五年十月十八日

 

 

第一帖(六一九)

 

 汽車あれば汽車に乗りなさい。飛行機あれば飛行機に乗りなさい。歩いたり、馬で行くのでは間に合わないことになっていますよ。昔のままの宗教のやり方ではいけません。根本はよくても中々に目的地にはつかないのです。飛行機時代には飛行機に乗りなさいな。乗って進む宗教の道によらねばなりません。今は今の姿が真実です。そなたの頭で割れ切れないといってブツブツ言わないでくださいね。あるものそのものが真実なのです。そのあるものを拝(おろが)み、祝福して其処(そこ)から出発しなさい。現在を祝福することは過去を、未来を、すべてを祝福することです。たとえ如何(いか)なる現在も、その現在を祝福しなければなりません。喜びしなければなりません。喜び元と言ってありましょう。この巻「くろかね」の巻。(一月二十三日)

 

 

第二帖(六二〇)

 

 一切に向かって涙しなさい。懺悔(ざんげ)しなさい。一切を受け入れ、一切を感謝しなさい。一切が自分ですよ。一切が喜びですよ。(一月二十二日)

 

 

第三帖(六二一)

 

 理屈は一方的のものですよ。どんな理屈も成り立つが理屈ほど頼りないもの、力にならないものはありません。理が(不明記号)(かみ)の御能(おんはたらき)です、よく見極めねば間違いますよ。囚われないように。他の為に苦労することは喜びですよ。全体のために働くことは喜びです。光の生命です。誰でも重荷(おもに)負わせてあるのです。重荷あるからこそ、風にも倒れないのです。この道理、涙で笑って汗で喜びなさい。それとも重荷外してほしいのですか。重い重荷もありますよ。軽い重荷もありますよ。今播(ま)いた種、今日や明日には実りません。早く花が見たくて、実がほしいから焦るのですよ、人間の近欲(ちかよく)というものです。神の大道に生きて実りの秋(とき)まちなさい。播いた種です。必ず実ります。誰も横取りはしませんよ。万倍になってそなたに返ると言ってありましょう。未来にもえつつ現在にもえなさい。神相手に悠々(ゆうゆう)と天地に歩みなさい。(一月二十二日)

 

 

第四帖(六二二)

 

 道は自分で歩まねばなりません。自分の口で食物噛まねばなりません。かみしめなさい。ウジ虫に青畳(あおたたみ)、苦のたねです。畳には畳に座るだけの行してから座らなければなりません。生命はコトです。コトはミコトです。ミコトは神の心です。喜びです。ミコトに生きなさいと言ってありましょう。コトあればオトありますよ。オトあればイロありますよ。イロあればカズありますよ。善にも神の心あり。悪にも神の心があります。(一月二十二日)

 

 

第五帖(六二三)

 

  プラスとマイナスと和合せねばなりません。ただの和合ではムになって力出ません。今までの和合のやり方ではいけません。喜びの和合。融け合う和合。ゝある和合でないと、少しでも曇りあったら和合ではありません。堪(こら)え堪えているのでは和合ではありません。今までの和合の仕方ではカスあるでしょう。悪の和合ですよ。神示肚(はら)に入れないで御用難しいのです。始めは目標(めあて)作って進まないと、行ったり来たり同じ道をドウドウめぐりですよ。掴(つか)める所から掴んで行きなさい。拝んで行きなさい。統一した幸福こそ、二二(フジ)晴れの幸福です。(一月二十二日)

 

 

第六帖(六二四)

 

 気づいたことから早く改めて下さいね。トコトンまで行って神がさせるのでは人間の面目ないですから。人間同志でよく致して下さいね。ただ有り難いだけではなりません。仕事せねばなりません。努力せねばなりません。じっとしていては進めない道理です。灯(あか)りつけなければ闇の世は歩けませんよ。それぞれの灯りとなりなさいな。油は神示(ふで)です。油つきません、いくらでも灯りつけて下さいね。マツリから出直しなさいと言ってありましょう。結構に大きまつり、小さいまつり、まつろいて下さいね。神心になれば、神ありやかに見えます。(一月二十二日)

 

 

第七帖(六二五)

 

 芽を出したから間引(まび)かねばなりません。神示読んで、神示読まない人間と神示肚に入り込んでもう大丈夫と、神が見届けた人間と間引くのですよ。肚に入った芽は間引いて他に植えかえるのですよ。読んで読まないもの、間引いて肥料としますよ。わざわざ遠い所へお詣(まい)りしないでも、自分の家に祀ってあるのだから、それを拝めば同じことだ。それでよいのだと理屈言っていますが、格の上の所へ求めて行くのが仁義、礼儀というもの。キあれば必ず出来るのです。立て替え致さずに行けば、この世は行くほど悪くつまるのですよ。早く目覚めなさい。マツりせねば真理は通りません。子供にまつろわねば子供導けない道理。自分わかれば一切ありやか。(一月二十二日)

 

 

第八帖(六二六)

 

 神の言うようにすれば、神が護(まも)るから何事も思うようにスラリスラリと心配なく出て来ますよ。区別と順をわきまえて居れば、何様を拝んでもよい。時、所、位に応じて誤らなければ弥栄えますよ。同じ愛、同じ想念のものと自ら集まって結ばれます。天国のカタチ、ウツシが奥山です。ミソもクソも一緒にしていますよ。(一月二十二日)

 

 

第九帖(六二七)

 

 神心には始めも終わりも無いのです。すべてがあるのですよ。世界見なさい。三千世界よく見なさい。すべてが秘文(ひふみ)です。他力の中に自力あるのですよ。自力ばかりでは成就しませんよ。足ふみばかり。愛は愛のみでは愛ではありませんよ。真は真のみでは真ではありませんよと言ってありましょう。まつり合せてゝ入れて愛となり真となるのですよ。愛のみ出ると悪となり、真のみ出ると偽(ぎ)となることありますよ。偽(いつわ)りと悪とまつりて善の働きすることありますよ。心しなさい。(一月二十二日)

 

 

第十帖(六二八)

 

 難しいこと言わずに、平たく解きなさいと言ってありましょう。ミタマは上中下三段、三段に分けて説いて聞かさないと仕組遅れますよ。初めは神様がして下さいますが、向上すると自分でしなければなりません。いつまでも神を使っていてはなりません。理解は真から、意志は善からですが、今まではそれでよいと説いて来ましたが、いよいよ岩戸開きとなったのですから、次の鍵渡すから、よく心得なさい。今までの教えではマボロシですよ。力ありませんよ。まつり合わせて意志と働き、ゝ入れて理解出来るのですよ。まつりまつりと言ってありましょう。上のまつりですよ。マボロシとは人間智慧のこと。理屈のことです。理屈とは悪の学のことです。理でなければなりません。(一月二十二日)