日月神示 黄金の巻 第二十六帖(五三七)から第三十三帖(五四四)

第二十六帖(五三七)

 

 与えてあるのに何故手出さないのですか。より善(よ)き教えに変わるのは宗祖の喜ぶことくらいわかるでしょう。うまいこと言って人集めると、うまいこと言って人が去るのですよ。二四(ニシ)と一ヵ四(ヒガシ)に宮建てなさい。建てる時近づきましたよ。間に合う守護神九分通り悪になっていますよ。経には差別ありますよ。緯は無差別です。この道理わからねば一列一平(いちれついちたいら)とはなりません。金欲しい者には金儲けさせてあげなさい。欲しいもの与えてやりなさい。人間心、神心、逆さまです。与えることは戴くこと。まだわからないのですか。皆何も天国に行くようになっているではないですか。この世でも天国、あの世でも天国、目出度(めでた)いですね。地獄説く宗教は亡(ほろ)びます。地獄と思うもの、地獄つくって地獄に住みます。地獄はげしくなります。人間の力だけでは、これからは何も出来ません。アカの世からキの世になりますよ。世は七度の大変わりと知らしてありましょう。二(ツギ)の世はキの世。口静かにしなさい。かのととり。一二十

 

 

第二十七帖(五三八)

 

 何故、喜び受けないのですか。宗教は無くなってしまいますよ。誠光るのです。光のマコトの宗教生まれるのです。その時は宗教ではありませんよ。心得なさい。かしわでとカシワデと二つあります。拍手はちかいとチカイのしるし。手摺(す)るのは願いのしるし。かのととり。一二十

 

 

第二十八帖(五三九)

 

 外が悪くて中が善いということないのです。外も中も同じ性を持っているのです。時節来ているから、このままにしておいても出来ますが、それでは人民可哀想なので、くどく言っているのですよ。三千年花咲きます。結構な花、三年、その後三年です。二(ツギ)の三年めでたいなあめでたいなあ、ヒカリの神示(ふで)、裏まで読んで見なさい、よく解(わか)ってビシビシその通りになっておりましょう。この方(ほう)念じてやりなさい。この火(ほう)この水(ほう)です。この火ばかりと思わないように。火(ヒ)と水(ミ)です。善き火(ホー)にまわしてやりますよ、良き水(ホー)の御用もまわしてやりますよ。しくじりも人間にはあります。しくじったらやり直しなさい。しくじりは火と水の違いです。このことよく心得ていなさいな。しくじり、しくじりでなくなります。何も思案投首(しあんなげくび)一番罪深い。皆それぞれに喜び与えられているではないですか。何不足言うのですか。かのととり。一二十

 

 

第二十九帖(五四〇)

 

 二二(フジ)の盗み合い、世の乱れ。心して怪(あや)しと思うことは、たとえ神の言葉と言っても一応は考えなさい。神の言葉でも裏表の見境(みさかい)なく唯(ただ)に信じてはなりません。サニワしなさい。薬、毒となることあると言ってありましょう。馬鹿正直、まことの道見失うことあると言ってありましょう。道は易(やす)し、楽し、楽しないのは道ではないのですよ、奉仕ではないのですよ。

 

 世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならないのです。それが順序と言うもの。神示で知らしてありましょう。ここは種つくるところ、種は人民でつくれないのです。神の言うよう、神の息戴いて下さいね。天の道、地の道、天地の道ありますよ。人の道ありますよ。何も彼(か)も道ありますよ。道に外(はず)れたもの外道(げどう)ですよ。前は一筋です。二筋です。三筋です。曲がっていますよ。真っすぐですよ。心得なさいな。節分からオーヒツキクニオーカミと現われますよ。讃えまつりなさい。三年の大グレ。かのととり。一二十

 

 

第三十帖(五四一)

 

 一四三〇一四三〇(ビヨーサマビヨーサマ)、改心早う結構です。道知るのみでは何にもなりません。道味わいなさい、歩みなさい、大神の道には正邪ないのです。善悪ないのです。人の世にうつりて正と見え邪と見えるのです。人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのです。レンズ通してもの見ると逆立(さかだ)ちしますよ。神に善と悪あるように人の心にうつるのです。レンズ外(はず)しなさい。レンズ外すとは神示読むことですよ。無き地獄、人が生むのです。 罪です。曲(まが)です。今までは蔭の守護であったが岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃(そろ)った守護になりたら、まことの守護です。悪も善も、もう隠れるところ無くなりますよ。かのととり。一二十

 

 

第三十一帖(五四二)

 

  人民それぞれに用意してくださいね。自分出しては集団(まどい)こわしますよ。力出ませんよ。早くうつりなさい。的(まと)としなさい、と言ってありましょう。マトは光の射(さ)し入るところ、的として月一度出しなさい。自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのですよ。かのととり。一二十

 

 

第三十二帖(五四三)

 

 神の道に進むために罵(ののし)られることは人民の喜びですよ。その喜び越えて神の喜びに入れば罵られることないのです。神敬(うやま)うはまだまだです。早うサトリて、神に融(と)け入りなさい。かのととりの日。一二十

 

 

第三十三帖(五四四)

 

 神国、神の宮早うつくりなさい。今度此処(ここ)へ神が引き寄せた者は、みなキリストです。釈迦ですと言ってありましょう。磨けば今までの教祖にもなれるミタマばかりですよ。それだけに罪深いのです。岩戸あけて、めぐり果たさせたいのです。このこと肚によくわかるでしょう。かのととり。一二十