日月神示 梅の巻 第八帖(四三五)から第十六帖(四四三)

第八帖(四三五)

 

 口と心と行(おこない)と三つ揃ったら今度は次にゝ入れてくださいね、ゝは(不明記号)です、神示(ふで)です、神示元(もと)です、と言ってありましょう、三つ揃っても肝腎(かんじん)の神示肚に入っていないと何にもならないことになりますよ。九分九分九厘となっていることもわかるでしょうが、御用勇んで仕えまつりなさい。

 

 目覚めたらその日の生命(いのち)頂いたのだと言ってありましょう、新しき生命弥栄に生(あ)れるのです。今日一日(ひとひ)神に仕えまつりなさい、与えられた仕事御用です、生命です、取り違いしないように。七月になると上の人民番頭殿、顔の色悪くなって来ますよ。八、九月となればいよいよ変わって来ますよ、秋の紅葉(もみじ)の色変わりますよ。

 

 いくら因縁あっても身魂曇っていると今度は気の毒出来ますから、今度引き寄せられた人民だとて、役員だと言っても、ちっとも気ゆるし出来ません。澄(す)んだ言霊(ことだま)で神示読み上げてくださいね、三千(さんぜん)世界に聞かすのです、そんなことで世が良くなるかと人民言うでしょうが、神の申す通り、わからないでも神の言う通りにやって下さいね、三千世界に響き渡って神々様も、臣民人民様も、心の中から改心するようになるのですよ、世が迫っていることは、どの神々様にも人民にもよくわかっていて、マコト求めているのです、マコト知らせてくださいね。

 

 何もかも一度に出て来ます、日増しに激しくなって来ますよ、どうすることも出来ないように、悪〇ゝ、悪の人民、手も足も出せないことに、(何から何まで、何が何だかわからないことに)折り重なって来ますよ、キリキリ舞いしなければならないことになって来ますよ、キリキリ舞いにも良きと悪しきとあるのです、良きは結構ですねえ、中々です。十一月十六日、一二(不明記号)。

 

 

第九帖(四三六)<第十帖(四三七)?>

 

  肉体がこの世では大切ですから、肉体を傷つけたら苦しめたら、その守護神は、それだけのメグリ負うのですよ、霊々と言って肉体苦しめてはなりませんよ、今の人民とっておきのマコトの智ないから、持っている智を皆出してしまうから、上面(うわべ)ばかり飾って立派に見せようとしているから、いざという時には間に合わないのです、上面しか見えないから、マコトのことわからないから、神の言うことわからないのも道理ですねえ。

 

 立て直しの仕組、立派に出来ているから心配しないように、立て替え延ばしに延ばしている神の心わからないから、あまり延ばしては丸潰れに、悪のワナに落ちるから、とどめの一厘の蓋(ふた)開けるから、目開けておれんことになるのですよ、早く知らせる人民には知らせてあげなさい、まず七人に知らせなさいと言ってありましょう。ひつ九のか三。

 

 

第十帖(四三七)<第九帖(四三六)?>

 

 悪いことは蔭口(かげぐち)せずに、親切に気つけ合って仲良う結構です、蔭口世を汚し、己汚すのですよ、聞かない人民は時待ちて気つけてくださいね、縁ある人民、皆親同胞(おやはらから)です、慢心、取り違い、疑いと我(が)が、この道の大き邪魔となるのですよ、くどいようですが繰り返し繰り返し気をつけるように。

 

 時来たら説き出すものです、親の心察して子から進んでするものですよ、その心よきに幸(さき)わうのです、もの聞くもよいですが、聞かなくてはわからないようでは幽国(がいこく)身魂です、神の臣民、親の心うつして言われない先にするものですよ。世は神界から乱れたのですよ、人間界から世立て直して、地(くに)の岩戸人間が開いて見せると言うほどの気魄(きはく)なくてはならないのです、その気魄幸(さき)わうのですよ、岩戸開けますよ。十一月十六日、ひつ九の神。

 

 

第十一帖(四三八)

 

  日本の上に立つ者に外国の教え伝えて外国魂にしたのは、今に始まったことではありません、外国の性根(しょうね)入れたのが岩戸閉めですよ、五度(ごたび)です、わかりましたか。それを元に戻すのですから今度の御用中々です、中つ枝(え)からの神々様にはわからないことだと言ってあることもガッテン出来るでしょう。

 

 この神示肚に入れておれば、どんなことあっても先に知らせてあるから心配ないのです、ソレ出たとすぐわかるから、胴すわっているから何事も結構にお蔭頂くのです。死ぬ時は死んだがよく、遊ぶ時は遊べ遊べ、嬉し嬉しですよ。十一月十六日、ひつ九のか三。

 

 

第十二帖(四三九)

 

  万物の長(ちょう)とは神の臣民のことです、世界の人民も皆万物の長ですよ、この世の神は臣民です、神に次いでの良い身魂です、臣民は地(くに)の日月の神様です。火の粉でやけどしないように、気つけてくださいね。世に出ている守護神のすること知れていますよ。元の生き神様御一方御力(おんひとかたおちから)出しなされたら手も足も出ないことになるのです、神力(しんりき)と学力(がくりき)とのいよいよの力くらべです、元の生き神様の御(おん)息吹き、どんなにお力あるものか、今度は目にもの見せねばならないことになったのです、肉体ばかりか、魂まで無(のう)になるやも知れませんよ、震え上がりますよ。(不明記号)が(不明記号)です。(不明記号)が(不明記号)の御はたらきですと言ってありましょう。十一月十六日、ひつ九のか三。

 

 

第十三帖(四四〇)

 

  天(あめ)の岩戸ばかりではないのです、地(くに)の岩戸臣民の手で開かなければならないのです、マコト一つで開くのです、マコトの手力男(たぢからお)の神、マコトの宇受女(うずめ)の命殿(みこと)、御用結構です。騙(だま)した岩戸開きでは騙した神様お出ましです、この道理わかりませんか、取り違い禁物です、生まれ赤子の心になればわかるのですよ。今の臣民、お日様明るいと思っていますが、お日様、マコトの世のマコトのお日様どんなに明るいか見当とれないでしょう。見ていなさい、見事な世と致して御目(おんめ)にかけましょう。

 

 神示読んで聞かせてあげなさい、嫌な顔する人民後まわしです、飛びつく人民縁あるのです、早く読み聞かす神示より分けておいて下さいね、間に合いませんよ、御無礼ないようにしてくださいね。十一月十七日、一二のか三。

 

 

第十四帖(四四一)

 

 日本には五穀、海のもの、野のもの、皆人民食いて生くべき物、作らしてあるのですよ、日本人には肉類禁物です。今に食い物の騒動激しくなると言ってあること忘れないように、今度は共喰(ともぐ)いとなるから、共食いしてはならないから、今から心鍛えて(食い物大切にせよ)、食い物拝(おろが)む所へ食い物集まるのですよ。ひたすらに神にすがりてお詫びしなさい、それより外に今は道なし。

 

 外国を日本の地面にしなければなりません、日本とにほんを取り違いしないように。何事も神第一です、神よそに為すこと言うことスコタンばかりです。分け隔(へだ)てあると思うは我が心に分け隔てあるからですよ、世界中のそれぞれの国、皆氏神(うじがみ)様、産土(うぶすな)様、いよいよ天の命令通りにかかり下さいね、もう待てないことに時節参っていますよ、世界の人民皆泥海の中に住んでいるのですよ、元の水流して清めてやらねばならないのですが、泥水を泥水と知らずに喜んでいるので始末に困るのです、清い水に棲(す)めない魚(うお)はマコトの魚ではないのです。つらい役は因縁の身魂にさせますよ。心得(こころえ)なさい。十一月十七日、ひつ九のか三。

 

 

第十五帖(四四二)

 

  このままで世持ちて行かんということわかっておりましょうが、所々の氏神様、今までの様な氏子の扱いでは立ちて行きません、天の規則通りにやり方変えて下さいね、間に合わないことあります。血尊びなさい、血は(不明記号)です(不明記号)です、血にごしてはなりませんよ、血は混ぜこぜにしてはなりませんよ、黄金(こがね)は黄金の血、白銀(しろがね)は白銀の血、黄金白銀混ぜ混ぜて、別の血つくってはならないのです、外国には混ぜこぜもありますが、元を混ぜこぜなりませんよ、混ぜることは乱すことです、学はこの大事な血乱すように仕組みてあるのです、それが良く見えるようにしたのは悪神(あくがみ)です、人民の目くらましているのです、科学科学と人民言っていますが、人民の科学では何も出来ません、乱すばかりです、神に尋ねて神の科学でないと何事も成就しませんよ、わからなくなったら神に尋ねと言ってあること忘れないように、一に一足す二ばかりとは限りません、わかりましたか。十一月十八日、ひつ九のか三。

 

 

第十六帖(四四三)

 

  神代(かみよ)になりたら天地近くなりますよ、天も地も一つになるのですよ、今の人民にはわからないでしょうが、神も人も一つ、上も下も一つとなって自(おの)ずから区別出来て、一列一平上下(いちれついったいらうえした)出来るのですよ。この世は放っておいても自然にどうにか動いて行くものだと上に立つ守護神逃げていますが、そんなことで政事(まつりごと)出来ると思っているのですか、自然には動きませんよ、その奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥のキのイキから動いていることわからないでしょう、人民の思っていることは天地の違いですよ、ゝの中にまた〇(タマ)があり、その〇(タマ)に(不明記号)があり(五回繰り返し)限り無いのですよ。人民の研究もよいのですが、研究は神です。道にひたすら仕えまつりなさい、拝(おろが)みなさい、研究ではマコトのことわからないのです、我(が)折りてわからないことは神の言うこと聞くのですよ、わからないでも聞いて下さいね、悪いようには致しませんよ。まつれまつれとくどう言ってありましょう、我捨てて拝めば、神のキ通じて何でもわかって来るのですよ。十一月十八日、ひつ九の神。