日月神示 地震の巻 第十二帖

第十二帖

 

 霊人が地上人に語る時は、その想念が同一線上に融和するが為です。霊人が地上人に来る時は、その人の知るすべてを知ることとなるのですが、その語るのは霊人自身でなくて、霊人と和合して体的の自分に語るので、自分と自分が談話しているのです。霊人は現実界と直接には接し得ません。また地上人は霊界と直接には接し得ないのが原則です。しかし、それぞれの仲介を通じていっても、直接行うのと同様の結果となるのです。為に地上人は直接なし得るものと考えるのです。地上人の想念の中には霊界が映像されており、霊人の想念の中には現実界が内臓されています。故に、この二つの世界が一つに見えることもあり得るのです。しかし、映像と実相の隔たりはかなり遠いものです。霊人と地上人との交流において、この間の真相を知らねばならないし、その互いに交わされる談話においても前記のごとくであることを知らねばなりません。霊人も地上人も、自分自身と語り、自分自身の中に見、かつ聞いているのです。霊人が地上人に憑依(ひょうい)したり、動物霊が人間に憑依したりすることは、前記のごとき原則によってあり得ないのです。しかし、外部からの感応であり、仲介された二次的交流であっても、その度の強くなった場合、地上人から見れば憑依せると同様の結果を現わすものです。故に、神が直接、人間を通じて人語を発し、または書記するのではなくして、それぞれの順序を経て地上人に感応し、その地上人の持つそれぞれの人語を使用して語り、その地上人の持つそれぞれの文字を使用して神意を伝達することとなるのです。しかし、神の言葉は、いかに地上人を通じて人語としても、その神に通ずる想念を内臓せぬ地上人には伝え得ないのです。語れども聞き得ず、読むともその真意は通じ得ないのです。霊人の中には、自分たちの住む霊界の他に、別の世界が限りなく存在することを知らず、また、その世界に住む霊人を知らず、また物質世界と地上人を知らない場合もあります。それはちょうど、地上人の多くが、生前及び死後の世界を信じないと同様です。