日月神示 地震の巻 第十帖

第十帖

 

 地上人は、内的に生前の霊人と+(通じ)、また死後の霊人と+(通ず)る。地上人が、生前を知得するのは、この霊人を+(通ず)るが故であり、死後を知得するのも、また同様に+(通ず)るからです。生前と死後は同一線上に置かれているが同一ではありません。地上には、物質的+(形式)があり、霊界には霊的+(形式)があります。その+(形式)は+(歓喜)の交叉し、発するところによって自ら+(成る)ものです。+(形式)なくしては+(合一)なく、+(力)なく、+(形式)あるが故に+(もの)が+(総て)に+(合一)し、(弥栄)し、+(力)し、+(大弥栄)するのです。+(形式)の中に+(和)することは、その++(個々)が、++(差別)されているからです。++(差別)し、++(区別)せられることは、その各々に、++(各々)が共通する内質を持つからです。++(共通性)なきものは、++(差別)し、++(区分)することができません。+(霊界)と+(現実界)との関係はかかるものであるが故に、+(常)に+(相応)し、+(力)し、+(力)を生じ、また常に、+(相通)じて+(力)を生みゆく。これは、平面的頭脳では、なかなかに+(理解)しがたいのですが、この根本+(原理)を体得、理解し得たならば、+(神)+(幽)+(現)三界に通じ、永遠に弥栄する+(大歓喜)に住するのです。されば+(差別)は、+(平等)と+(合一)することによって+(立体)の++(差別)となり、+(平等)は+(差別)と合一することによって++(立体平等)となり得ます。+(霊人)が+(地上人)と+(和合)し、また+(地上人)が+(霊人)と+(和合)し、+(弥栄)するのは、この++(立体平等)と++(立体差別)との+(弥栄)するが為であることを知らねばなりません。この二つの+(相反)するものを+(統一)し、常に+(差別)しつつ+(平等)に導き、++(立体)していく+(力)こそ、+(神)そのものの+(力)であり、+(歓喜)です。この+(二つの力)と+(神)の+(歓喜)なくしては、十(地上人)なく、また(霊人)もあり得ないのです。++(生成発展)もなく+(神)も+(歓喜)し得ません。この(力)なくしては、+(地上人)は+(霊人)と+(和)し、+(神)に+(和)し奉ることはできません。故に、+(生命)しないのです。