日月神示 風の巻 第五帖(三五六)から第八帖(三五九)

第五帖(三五六)

 

 我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても言うこと聞いてあげますよ、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、と言ってお願いすれば、万里先に居ても、この世の荒れ、地震、逃せてあげますよ、神々に届く行(ぎょう)で言いなさい。

 

 こんな善き世は今までになかったのです、膝元(ひざもと)に居ても言葉ばかりの願い聞こえませんよ、口と心と行いと三つ揃った行い、マコトと言って知らせてありましょう。時節来ていますが、わからない人民多い故、物事遅くなりて気の毒なりますよ、今しばらくの辛抱です、神は人民に手柄立てさせたいのです、許せるだけは許して善き世にするのです、ここまで開(ひら)けたのも神がしたのです、今の文明なくせないと言ってありましょう、文明残してカスだけ無(のう)にするのです、取り違い慢心しないように。

 

 日本の国いくら大切と言っても、世界中の臣民とは替えられないから、国引っくり返ること、まだまだあるかも知れません、地(くに)の軸動くと知らせてありましょう。この神示キのままですから、心なき人民には見せないように、あまりきつくて毒になるから、役員薄めて見せてあげなさい、一日も早く一人でも多く助けてやりたいのです、神まつり結構です、神まつらいでいくら道説いても肚(はら)に入りませんよ、肚に入らない道は悪の道となるのです、頭ばかりで道歩めない道理わかりませんか、改心足りませんよ。二月十六日、一二神。

 

 

第六帖(三五七)

 

  江戸の仕組、江戸で結びませんよ。この道開くに急いではなりませんよ、無理しないように、無理急ぐと仕組壊れますよ。まだまだ敵出てきますが、神心になれば敵、敵でなくなりますよ、敵憎みてはなりませんよ、敵も神の働きです。神は難しいこと言いませんよ、神に心任せてしまって、肉体欲(にくたいよく)捨ててしまって、それで嬉し嬉しです。神が限りなき光、よろこび与えるのですよ。嫌なら嫌でそなたの好きにやりなさい、いったん天地引き上げと言ってある通りになりますよ。一度の改心難しいからくどう言っているのですよ。

 

 今まで他で出ていたのは皆神示先(ふでさき)です、これは神示(ふで)です、いつもの如く思っていると大変が足元から飛び立つのですよ、取り返しつかないから気つけているのです。いずれは作物採(つくりものと)らしておくから、たくさん採れたら、さらにさらにいよいよざと心得なさい。

 

 神の国治めるのは物ではありません、マコトです、世界治めるのもやがては同様です、人民マコトと言うと何も形ないものだと思っていますが、マコトが元ですよ。タマとコト合わしてまつり合わしてマコトと言うのです。〇とゝをまつりたものです、物無くてはなりませんよ、タマなくてはなりませんよ。マコト、一つの道ですと言ってありましょう、わかりましたか。

 

 身魂相当に取りて思う様(さま)やってみなさい、行(ぎょう)出来ればその通り行くのです、神に気に入らないことスコタンばかりですから、引っ込み思案せずに堂々やりて下さいね。こんな楽な世になっているのです、屁(へ)も放(ひ)りなさい、沈香(じんこう)も焚(た)きなさい、ふらふらして思案投首(しあんなげくび)この方(ほう)嫌いです。光る仕組が中行く経綸(しくみ)となるのです。二月十六日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第七帖(三五八)

 

  神にすがりおりたればこそだと言う時、目の前に来ていますよ。まだ疑っている臣民人民気の毒です、我(われ)恨むより方法ありませんよ。神の致すこと、人民の致すこと、神人共に致すこと、それぞれに間違いないように心配(こころくば)りしなさい。慢心鼻ポキンです、神示よく読んでいないと、みるみる変わって、人民心ではどうにもなりません、見当取れないことになるのですよ、神示始めからよく読み直して下さいね、読みかた足りませんよ。

 

 天の神も地の神も無きものにして、好き勝手な世にして、偽物の天の神、地の神つくって、我がよければよいと言って、我れ善しの世にしてしまっていたこと少しはわかって来たでしょう。いよいよマコトの先祖の、世の元からの生き神、生き通しの神々様、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神です、スクリと現われなさって、生き通しの荒神(あらがみ)様引き連れて御活動に移ったのですから、もうチットも待たれないことになったのです、神示に出したらすぐに出て来ますよ、終わりの始めの神示です、ゆめゆめおろそかしないように、キの神示です、くどいようなれどあまり見せないように。二月十六日、ひつ九神。

 

 

第八帖(三五九)

 

  世界自由自在に分け獲(ど)りしていた神々様、早く改心第一です。一つの王で治めるのです。てんし様とは天地様のことだと言ってありましょう、この方シチニの神と現われると言ってありましょう、てん二様のことですよ。

 

 行(ぎょう)なしではマコトのことわかりませんよ、出来はしませんよ、神の道無理ないのですが、行は誰によらずしなければなりませんよ。この方さえ三千年の行しましたよ、人民には一日(ひとひ)もようせん行の三千年、相当のものですよ。

 

 海にはどんな宝でも龍宮の乙姫殿持ちなされているのですよ、この世の宝皆この方つくったのですよ、神の道無理ないと言って楽な道ではありませんよ、もうこれでよいということない道です。日本の人民も、渡りて来た人民も、世持ちあらした神々様も人民も、世界の人民皆思い違いです、九分九分九厘と一厘とで、物事成就するのですよ。

 

 世をもたれん天地の大泥棒をこの世の大将と思っていて、それでまだ目覚めないのですか、よく曇りなされたなあ、立て替えは今日の日の間にも出来ますが、あとの立て直しの世直し中々ですから、人民に少しは用意出来ないと、遅くなるばかりです、それでカタ出せカタ出せと言っているのですよ。あれこれとあまり穢(けが)れている腸(はらわた)ばかりだから、一度に引き出して、日に干(ほ)してからでないと、洗濯出来ないようになっているのですよ。日干し堪(こぼ)れん人民あるから、今のうちから気つけているのです。けんびき痛いですよ、あまりにも狂っていますよ。元の根本の世より、も一つキの世にしなければならないのですから、神々様にも見当取れないのです、元の生き神でなければ、今度の御用出来ませんよ。二月十六日、ひつ九の神。