日月神示 雨の巻 第四帖(三三八)から第六帖(三四〇)

第四帖(三三八)

 

 世界の臣民、皆手引き合って行く時来たくらい、言わないでもわかっているでしょうが、それでもまだまだ一(ひと)苦労二(ふた)苦労あります、頭でわかっても肚(はら)でわからねば、本根(ほつこん)の改心出来ねばまだまだ辛(つら)い目に遭(あ)うのです、人民自分で首くくるようなことになるのです、わかりたでしょう。天の御三体(ごさんたい)の大神様と地(ち)の御土(おつち)の先祖様でないと、今度の根本の大立て替え出来ないのですよ、わかってもなかなかわからないでしょうけど。洗濯足らないのですよ。今度はめんめにめんめの心改めて下さいね、神は改めてありますが、神から改めさすのでは人民可哀想だから、めんめめんめで改めて下さいね、改まっただけお蔭(かげ)あるのですよ。

 

 今度の岩戸開いたら末代(まつだい)のことですよ、天地の違いに何事も違うのですよ。信者引っ張りに行ってくださるな、皆神が引き寄せるから、役員の所へも引き寄せるから、訪ねて来た人民に親切尽くして喜ばして帰してやれと言ってありましょうが、人民喜べば神嬉しいと言ってありましょうが、草木も喜ばしてやりなさいな、神示よく読めば、どうしたら草木動物喜ぶかということも知らしてあるのですよ、今までの心大河(おおかわ)に流してしまえば何もかもよくわかって嬉し嬉しとなるのですよ、まだまだ世界は日に日にせわしくなって、言うに言われないことになって来るのですから、表面(うわつら)ばかり見ているとわからないから、心大きく世界の民として世界に目とどけてくださいね。

 

 元のキの神の子と、渡りて来た神の子と、渡りて来る神の子と、三つ揃ってしまわねばならないのです、アとヤとワと言ってありましょう、だんだんにわかりて来るのですよ。実地のことは実地の誠の生神(いきがみ)でないと出来ません、臣民はお手伝いです、雨風さえどうにもならないでしょう、生き物何で息しているか、それさえわからないでいて何でもわかっていると思っていますが、鼻高(はなだか)ですと言うのです、今のうちに改心すれば、名は現わさずに許して善き方に廻してあげますよ、早く心改めなさい。十月十六日、ひつ九のか三。

 

 

第五帖(三三九)

 

  神示に書かしたら日月(ひつく)の神が天明に書かすのですから、その通りになるのですよ、皆仲よく相談して悪きことは気つけ合ってやりて下さいね、それがまつりですよ、(不明記号)(おう)の世が(不明記号)の世になっているのを今度は元に戻すのですから、そのこと早くわかっていないと一寸の地の上にもおれないことになりますよ。

 

 今度の戦(いくさ)済んだら世界一平(いったいら)一列一体になると知らしてありましょう、一列一平、その上に神が居ます、神なき一平一列は秋の空です、魔の仕組、神の仕組、早く旗印見て悟って下さいね、神は臣民人民に手柄させて、万劫末代(まんごうまつだい)、名残して世界唸(うな)らすのです、これまでのことは一切用いられないことになると言ってありましょう、論より実地見て早く改心結構です。

 

 何事も苦労なしには成就しないのですよ、苦労なしに誠ないのです、三十年一きりです、ひふみ肚に入れなさい、イロハ肚に入れなさい、アイウエオ早くにたたみなさい、皆えらい取り違いしていますよ、宮の跡は草ボウボウとなりますよ、祀(まつ)りの仕方スクリと変えさせますよ、誠の神の道に返すのですから、今度は誠の生神でないと、人民やろうとて出来はしませんよ。十月十七日、ひつ九のか三。

 

 

第六帖(三四〇)

 

 神示よく読みなさいと、神示よく肚に入れなさいと言ってありましょう、神示肚に入れると胴座るのです、世界からどんな偉い人が出て来てどんなこと尋ねても教えてやれるようになるのですよ、神示胴に入れて頭下げて天地(てんち)に働いて下さいね、祀りて下さいね、素直になればその場から、その場その場で何事も神が教えてあげますから、力つけて導いてあげますから、どんな神力でも授けてあげますよ。一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむななやここのたりももちよろず)授け申して神人(かみひと)となるのです。

 

 我(われ)さえ良ければよいとまだ思っている臣民まだです、自分一人で生きては行けませんよ、神ばかりでも生きては行けませんよ、爪の垢(あか)でもだてについているのではないのですよ、わからないと言ってあまりですよ、まつりしなさい、地(つち)にまつろいなさい、天(あめ)にまつろいなさい、人にまつろいなさい、草木動物にまつろいなさいと、くどう知らしてあるのにまだわからないのですか、神拝(おろが)むばかりがまつりではないのです。

 

 待ちに待ちし日の出の御代(みよ)となりにけり、一二三(ひふみ)いろはの世はたちにけり。身慾信心(みよくしんじん)している臣民人民、今の神示聞けないように、いれもの聾になるのですよ、厳しくなって来ますよ、毒にも薬にもならない人民、今度は役に立たないのです、悪気ないばかりでは日月の御民(みたみ)とは言えませんよ。あら楽し、黒雲一つ払いけり、次の一つも払う日近し。淋しくなりたら神示尋ねなさい、神示読まねばますますわからないことになったでしょうが、天国に底ないように、地獄にも底ないのです、どこまでも落ちますよ、鼻高(はなだか)の鼻折らなければ人民何と言っても神承知出来ませよ。十一月二十三日、ひつ九のか三。