日月神示 磐戸の巻 第十一帖(二四七)から第十三帖(二四九)

第十一帖(二四七)

 

 心にメグリ積むと動物の容(い)れ物となりますよ、神の容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトの神の臣民と言えますか、わからないと言うのはあまりですよ。ゴモク吐き出しなさい、そのままにしておくとだんだん大きくなって、(始末にゆかないことになって、)終(しま)いには灰にするより、手なくなります、石流れて、木の葉沈むと言ってありましょう、今がその世です。改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月の神と頼めばどんなことでもさしてやりますよ、この神は、世界中何処へでも届く鼻持っているのです、この世造ったこの神ぞ、この世にわからないこと一つもないのです、神の御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組です、日本臣民ばかりではないのです、何処の国の民でも同様に助けてやりますよ、神には依怙(えこ)ないのです。一月十三日、(〇の中にゝの印)の一二か三。

 

 

第十二帖(二四八)

 

 マコトの者は千人に一人です、向こうの国にはまだまだドエライ仕組しているから、今のうちに神の言うこと聞いて、神国(かみぐに)は神国のやり方にしてくださいね。人の殺し合いばかりではケリつかないのですよ、今度の敗け勝ちはそんなチョロコイことではないのです、トコトンのところまで行くのですから、神も総活動です。臣民、石にかじりついてもやらねばなりませんよ、そのかわり今度は万劫末代のことですから、いつまでも変わらないマコトの神徳与えますよ。言われぬこと、神示に出せぬことも知らすことありますよ。一月十三日、(〇の中にゝの印)の一二のか三。

 

 

第十三帖(二四九)

 

 コト違うから、精神違うから、違うことになるのです、コト正しくすれば、正しきこととなるのです。日本の国はモトのカミの血筋の混じり気のないミタマで、末代(まつだい)世治めるのです。何事も末代のことですから、末代動かない世に定めるのですから、大望ですよ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思っていますが、その心我(わ)れ善(よ)しです。今度は手合わして拝むばかりでは駄目だと言ってありましょう、今度は規則決まったら、昔より難しくなるのです、曲げられないことになるのです、神魂(かみたましい)の臣民でないと神の国には住めないことになるのです。この世治めるのは地(ち)の先祖の生神(いきがみ)の光出さなければ、この世治まらないのです、今度はトコトン掃除しなければ、少しでも混じり気があったら、先になってまた大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう言っているのです。

 

 神は一時は菩薩(ぼさつ)とも現れていたのですが、もう菩薩では治まらないから、愈々(いよいよ)生神の性来(しょうらい)現わしてバタバタに埒(らち)つけるのです、今の学ある者、大きな取り違いしていますよ。大国常立尊大神(おおくにとこたちのみことおおかみ)と現われて、一時は天も構い、地の世界は言うに及ばず、天へも昇り降(くだ)りして、モトの日本の神の光クッキリ現わさなければならないと仰せあります。

 

 早く洗濯しないと間に合いませんよ。この道の役員、吾(われ)は苦労して人助けるのです、その心でないと我(が)出して吾のこと思っているとグレンです。神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならないのです、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあります、今度はハッキリ区別します、昔の因縁です。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構に務め上げてくださいね。逃げ道作ってはなりませんよ、二つ三つ道作ってはなりませんよ。まっすぐに神の道に進みなさい。神の道は一筋ですと言ってありましょう。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来ないのです。

 

 世界の片端浜辺(かたはしはまべ)から愈々(いよいよ)が始まると知らしてあること近くなりました、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくださいね、神の国は神のやり方でないと治まりませんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今までのやり方違っていたから、神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのですよ、その苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのですから、くどう言っているのですよ。

 

 何もかも神に捧げなさい、てんし様に捧げなさいと言ってありましょう、それが神国の民の心得です、否(いや)でも応でもそうなって来るのです。神国の政治経済は一つですと言ってありましょう、今の臣民にわかるように言うならば、臣民働いてとれたものは、何でも神様に捧げるのです、神の御社(みやしろ)は幸(さち)で埋(うず)もれるのです、御光(みひかり)輝くのです、光の町となるのです。神から分けて下さるのです、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのです、それがお宝です、お宝、徳相当に集まるのです、金(きん)は要らないと言ってありましょう、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトの神の世になるのです。神の世はマツリあるだけです、それまでにお宝下さるのです、お宝とは今のお礼(さつ)のようなものです。わかるように言うなら、神の御社と臣民のお役所と市場を合わしたようなものが、一時は出来るのです、嬉し嬉しとなるのです、真(まこと)のマツリの一(はじめ)です。

 

 このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早く上(うえ)の守護人殿にも、下(しも)の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮らすようにしてやりて下さいね。それも臣民の心次第、素直な人、早く嬉しくなって、心勇みますよ、寂しくなったら訪ねなさいと言ってありましょう。一月十三日、(〇の中にゝの印)の一二か三。