日月神示 日月の巻 第三十三帖(二〇六)から第三十八帖(二一一)

第三十三帖(二〇六)

 

 宝の山に寄せ来ると言ってくどう気つけておいたではないですか。神の国にはどんな宝でもあるのです。神の国、昔から宝埋(い)けておいたと言ってありましょう。神の国にも宝埋けておいてあるのです、この宝は神が許さな誰にも自由にはさせないのです。悪が宝取ろうと思ったとて、どんなに国に渡って来ても、どうにもならないように神が護っているのです。いよいよとなったら神がまことの神力出して、宝取り出して、世界のどんな悪神(あくがみ)も神の国にはかなわないと言うところまで、とことん心から降参するところまで、今度は戦するのですから、人民よほど見当取れないことに、どんな苦労もこばらなならないのです。知らしてありたこと、日々(にちにち)どしどしと出て来ます。我(わ)れ善(よ)し捨ててくださいね。十一月二十八日、ひつ九のか三。

 

 

第三十四帖(二〇七)

 

 この神示(ふで)よく読んでくださいね。早合点してはなりませんよ。取り違いが一番怖いのです。どうしたらお国のためになるのか。自分はどうしたらよいのかと取次(とりつぎ)に聞く人たくさんに出て来ますが、この神示読めばどうしたらよいかわかるのです。その人相当に取れるのです。神示読んで読んで肚(はら)に入れてもわからないということないのです。わからねば神知らすと言ってありましょう。迷うのは神示読まないからです。肚に入れていないからです。人が悪く思えたり、悪く映るのは、己が曇っているからです。十一月二十九日、ひつ九のか三。

 

 

第三十五帖(二〇八)

 

 元からの神示肚に入れた人が、これから来る人によく話してやるのです、この道、始めは辛いなれど楽の道です。骨折らいでも素直にさえしてその日その日の仕事しておって下さいね。心配要らない道です。手柄立てようと思わないように。勝とうと思わないように。生きるも死ぬも神の心のままです。どこにいてどんなことしていても、助ける人は助けるのです。神の御用ある臣民、安心して仕事致しておりて下さいね。火降(ふ)りても槍(やり)降りてもビクともしません。心安心です。クヨクヨしないように。神に頼って神祀ってまつわりていなさい。神救いますよ。十一月の二十九日、ひつ九か三。

 

 

第三十六帖(二〇九)

 

 今の臣民見て褒(ほ)めるようなことは、皆奥知れています。これが善です、まことのやり方だと思っていること、九分九厘までは皆悪のやり方です。今の世のやり方見ればわかるでしょう。上の番頭殿、悪い政治すると思ってやっているのではありません。番頭殿を悪く言わないように。善い政治しようと思ってやっているのです。善いと思うことに精出しているのですが、善だと思うことが善ではなく、皆悪ですから、神の道がわからないから、身魂(みたま)曇っているから、臣民困るような政治になるのです。まつりごとしなければなりませんよ、わからないことも神の言う通りにすれば、自分ではわからないこともよくなっていくのです。悪と思っていることに善がたくさんあります。人裁くのは神裁くことです。怖いから改心するようなことでは、戦がどうなるかと言うようなことではまことの民ではありません。世がいよいよのとことんとなったから、今の大神様まで悪く言う者出て来ますよ。産土(うぶすな)様なんぞあるものか、悪神ばかりぞと言う者たくさんに出てきます。この世始まってない時ですから、我が身我が家(いえ)が可愛いようでは神の御用つとまりませんよ。神の御用すれば、道に従えば、我が身我が家は心配なくなるという道理わかりませんか。何もかも結構なことに楽にしてやるのですから、心配せずにわからないことも素直に言うこと聞いてくださいね。子に嘘つく親はないのです。

 

 神界のこと知らない臣民は、いろいろと言って理屈の悪魔に囚われて言いますが、今度のいよいよの仕組は臣民の知れることではないのです。神界の神々様にもわからない仕組ですから、とやかく言わずに、神の神示肚に入れて、身魂磨いて素直に聞いてくださいね。それが第一等です。

 

 この神示は世に出ている人では解けません。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けない人で気狂いと言われ、阿呆と言われても、神の道素直に聞く臣民でないと解けないのです。解いてよく噛み砕いて、世に出ている人に知らしてやって下さいね。苦労喜ぶ心より、楽喜ぶ心高いのです。十一月二十九日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第三十七帖(二一〇)

 

 天にも天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)様、天照大神(あまてらすおおかみ)様あるように、地にも天照皇大神様、天照大神様あるのです。地にも月読(つきよみの)大神様、隠れておられます。素戔嗚(すさなるの)大神様、罪穢れ祓いて隠れておられるのです。結構な尊い神様の御働きで、何不自由なく暮らしておりながら、その神様あることさえ知らない臣民ばかり。これでこの世が治まると思っているのですか。神々祀って神々にまつわりて神国(ぐに)にまつりごと致してくださいね。つまらぬこと言っていると、いよいよつまらぬことになって来ますよ。十一月の三十日、ひつ九神 しらせます。

 

 

第三十八帖(二一一)

 

 大きアジアの国々や、島々八十(ヤソ)の人々と、手握り合い神国の、光り輝く時来(き)しと、皆喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思える時ぞ神国の、まこと危(あぶな)き時なるぞ、夜半(ヨハ)に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等(みこら)を連れ去られ、後には老人不具者のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、ことごと暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終わり近づきぬ。この神示心に入れくれと、申してあることわかる時、いよいよ間近(まぢか)になりたぞよ。出かけた船ぞ。褌(ふんどし)締めよ。十一月三十日、ひつ九のか三。