日月神示 日月の巻 第六帖(一七九)から第十帖(一八三)

第六帖(一七九)

 

 アメツチノトキ、アメミナカヌシノミコト、アノアニナリマシキ、タカアマハラニミコトトナリタマヒキ(天地の時、天御中主命、アのアに成りましき、高天原に命と成り給いき)。

 

 今の経済は悪の経済と言ってありましょう、もの殺すのです。神の国の経済はもの生む経済です。今の政治はもの壊す政治です、神の政治は与える政治と言ってありましょう。配給は配給、統制は統制です。一度は何もかも天地(てんち)に引き上げと言ってありますが、次の世の種だけは地に埋めておかねばならないのです。それで神がくどう言っているのです。種は落ちぶれていなさる方で守られています。上下に引っくり返ると言ってあること近づいて来ました。種は百姓に与えてあります。種蒔くのは百姓です、十月の二十二日、ひつ九か三。

 

 

第七帖(一八〇)

 

 ツギタカミムスビゾ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ、スニナリマシテ、スミキリタマイキ(次、高御産巣日です、神産巣日命と成り給いき、この三柱、スになりまして、澄みきり給いき)。

 

 岩戸ひらく道、神々苦しむなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりえむ道ぞ、神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。十月二十四日、一二(〇の中にゝの印)。(「岩戸ひらく」以下の原文は後に掲載)

 

 

第八帖(一八一)

 

 ツギ、ウマシアシカビヒコヂノカミ、ミコトトナリナッテ、アレイデタマイキ(次、宇摩志阿斯阿備比古遅神、命となり成って現れ出で給いき)。

 

 瓜(うり)の蔓(つる)に茄子(なす)ならさないように。茄子には茄子と言ってありましょう。味噌も糞も一つにしないように。皆がそれぞれに息する道ありましょう。野見なさい森見なさい。神の経済よく見なさい。神の政治よく見て、まことの政治仕(つか)えてください。すべてにまつろうことと言ってありましょう。上(うえ)に立つ番頭殿、目開いて下さいね。間に合わないこと出来ても神はもう知りませんよ。神急(せ)ります。役員も気配りなさい。旧九月八日、ひつ九のか三。

 

 

第九帖(一八二)

 

 何事も持ちつ持たれつです。神ばかりではならず、人ばかりではならずと言ってありましょう。善一筋の世と言っても、今の臣民の言っているような善ばかりの世ではありません。悪でない悪とあなないているのです。このお道は、あなないの道です、上ばかりよい道でも、下(しも)ばかりよい道でもないのです。まつりとはまつわることで、まつり合わすとは、草は草として、木は木として、それぞれのまつり合わせです。草も木も同じまつり合わせではありません。十月の二十六日、ひつ九か三。

 

 

第十帖(一八三)

 

 ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコト、ナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ(次、天之常立命、次、国之常立命、次、豊雲野命、なり成りて、現れ出で給い、命澄みきり給いき)。

 

 辛酉(かのととり)の日と年は恐い日で、良き日と言ってありましょう。九月八日は結構な日ですが、恐い日ですと言って知らしてあったこと、少しはわかりましたか。何事も神示通りになって、先繰りに出て来ます。遅い早いはあります。この度は幕の一です。日本の臣民これで戦済むように言っていますが、戦はこれからです。旧十月八日、十八日はいくらでもあるのです。三月三日、五月五日は良き日です。恐ろしい日です。今は型です。早く改心すれば型小さくて済みますが、掃除大きくなります。猫に気をつけなさい、犬来ますよ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのです。神が表に出て御(おん)働きなされていること、今度はよくわかったでしょう。神と神との戦であると言ってありましょう。戦のまねです。神がいよいよとなって、ビックリ箱開いたら、臣民ポカンです。手も足も動かすこと出来ないのです。譬(たと)えではありません。くどう気をつけなさい、これからがいよいよの戦となるのです、鉄砲の戦ばかりではありません。その日その日の戦烈しくなります、褌(ふんどし)締めてくださいね。十月二十五日、ひつ九のか三。