日月神示 地つ巻 第九帖(一四六)から第十五帖(一五二)

第九帖(一四六)

 

 一二(ひつき)の神にひと時拝しなさい、神の恵み、身にも受けなさい、からだ甦りますよ、神の光を着なさい、み光を頂きなさい、食べなさい、神ほど結構なものありませんよ、今の臣民、ヒ(日)を頂かないから病になるのですよ、神の子は神の子と言ってありましょう。九月二十日、ひつ九のか三。

 

 

第十帖(一四七)

 

 何事も方便と言って自分勝手なことばかり言っていますが、方便と言うもの神の国には無いのです。まことがことです、まのことです、言霊(ことたま)です。これまでは方便と言って逃げられたが、もはや逃げること出来ません、方便の人々、早く心洗ってくださいね、方便の世は済んだのです、今でも仏の世と思っているとビックリが出ます、神の国、元の神がスッカリ現われて富士の高嶺(たかね)から天地(あめつち)へ祝詞します、岩戸閉める御役にならないように。九月二十日、ひつ九のか三。

 

 

第十一帖(一四八)

 

 世界丸めて一つの国としますと言ってありますが、国はそれぞれの色の違う臣民によって一つ一つの国作らします。その心々によって、それぞれの教え作らすのです。旧(ふる)きものまかりて、また新しくなるのです、その心々の国と言うのは、心々の国です、一つの王で治めるのです。天津日嗣(あまつひつぎ)の皇子(みこ)様が世界中照らすのです。地(くに)のひつきの御役(おんやく)も大切の御役です。

 

 道とは三つの道が一つになることです、満ち満つことです、元の昔に返すのです、修理固成(つくりかため)の終わりの仕組です、終わりは始めです、始めは一(ひ)(霊)です。富士、都(みやこ)となるのです、幽界(がいこく)行きは外国行きです。神の国、光って目あけて見られないことになるのです、臣民の身体からも光が出るのです、その光によって、その御役、位(くらい)、わかるのですから、ミロクの世となったら何もかもハッキリして嬉し嬉しの世となるのです、今の文明なくなるのではありません、魂(たま)入れて、いよいよ光りて来るのです、手握って草木も四(よ)つ足もみな歌うこととなるのです、御光(みひかり)にみな集まって来るのです、てんし様の御光は神の光なのですよ。九月二十と一日、一二か三。

 

 

第十二帖(一四九)

 

 この道は道なき道です。天理も金光も黒住も今は魂(たましい)抜けておれど、この道入れて生きかえるのです、日蓮も親鸞も耶蘇(やそ)も何もかもみな脱げ殻です、この道で魂(たま)入れてくださいね、この道はゝ、〇の中にゝ入れてくれと言ってありましょう。臣民も、世界中の臣民も国々も、みな同じことです、ゝ入れてくださいね、〇を掃除していないとゝ入りません、今度の戦は〇の掃除だと言ってありましょう、まつりとは、まつり合わすことと言ってありましょう、この道は教えでないと言ってありましょう、教会や他の集いでないと言ってありましょう、人集めてくれるなと言ってありましょう。世界中の臣民みな信者と言ってありましょう、この道は道なき道です、時なき道です、光です。この道でみな生き返るのです。天明阿呆になってくださいね、我(が)捨ててください、神憑(か)るのに苦しいのです。九月二十二日、あの一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十三帖(一五〇)

 

 赤い眼鏡かければ赤く見えると思っていますが、それは相手が白い時ばかりです、青いものは紫に映ります。今の世は色とりどりの眼鏡とりどりですから見当とれないことになるのです、眼鏡はずすに限るのです、眼鏡はずすとは洗濯することです。上(うえ)ばかり良くてもならず、下(しも)ばかり良くてもなりません。上も下も天地揃って良くなって、世界中の臣民、獣(けもの)まで安心して暮らせる新(さら)の世に致すのです、取り違いしないように。九月二十三日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十四帖(一五一)

 

 この道わかった人から一柱(ひとはしら)でも早く参りて神の御用しなさい。何処(どこ)にいても御用はいくらでもあるのです。神の御用と言って、稲荷下げや狐憑きの真似はさせませんよ。この道は厳しい道ですから楽な道なのです。上にも下にも花咲く世になるのです、後悔は要らないのです。上(かみ)は見通しでないとカミではないのです、今のカミは見通しどころか目ふさいでいるではないですか。蛙(かえる)いくら鳴いたとて世明けませんよ。赤児になりなさい、ごもく捨てなさい、その日その時から顔まで変わるのです、神烈(はげ)しく結構な世となったのです、九月二十三日、ひつ九のか三。

 

 

第十五帖(一五二)

 

 神の国の上(かみ)の役員にわかりかけたらバタバタに埒(らち)つきますが、学や智恵が邪魔してなかなかにわからないから、くどう言っているのです。臣民物言わなくなるのです、この世の終わり近づいた時です。石、物言う時です。神の目には外国も日本(やまと)もないのです。みなが神の国です。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせません、一つの王で治めさすのです。てんし様が世界みそなわすのです。世界中の罪負いておわしますスサノオの大神様に気づきませんか、盲、聾ばかりと言ってもあまりではないのですか。九月の二十三日、ひつ九のか三。