第二十帖(一二七)
神の世と言うのは、今の臣民の思っているような世ではないのです、金(きん)は要りません、お土からあがりたものが光りて来るのです、衣類、食べ物、家倉(いえくら)まで変わるのです。草木も喜ぶ政治と言ってありましょう、誰でもそれぞれに先のわかる世になるのです。お日様も、お月様も、海も山も野も光り輝きます、水晶のようになるのです。悪はどこにも隠れること出来ないようになるのです、博打(ばくち)、娼妓(しょうぎ)は無くします。雨も要るだけ降らしてやります、風もよきように吹かしてやります、神を讃える声が天地に満ち満ちて、嬉し嬉しの世となるのです。八月の七日、ひつ九のか三 ふで。
第二十一帖(一二八)
みろく出づるには、はじめ半(なか)ばは焼きます、人、二分は死、みな人、神の宮となります。西に戦(いくさ)しつくし、神世とひらき、国毎(ごと)に、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、神急ぎます。八月七日、ひつくのかみふみぞ。(原文は後に掲載)
第二十二帖(一二九)
十柱(とはしら)の世の元からの活神様、御活動となりていることわかったでしょう、獣(けもの)の容れ物にはわからないでしょうが、神の臣民にはよくわかっているはずです。まただんだんに烈(はげ)しくなって、外国の臣民にもわかるようになって来るのです。その時になってわかったのでは遅い遅い、早く洗濯してくださいね。九月の八日、ひつ九のか三。
第二十三帖(一三〇)
我(が)がなくてはなりません、我があってはならず、よくこの神示(ふで)読みなさいと言うのです。悪はあるが無いのです、善はあるのが無いのです、この道理わかったらそれが善人(千人)です。千人力(せんにんりき)の人が善人です、お人好しではなりません、それは善人ではないのです、神の臣民ではありません、雨の神どの、風の神どのに、とく御礼言いなさい。八月の九日、一二(〇の中にゝの印)
第二十四帖(一三一)
今の臣民、盲、聾ばかりと言ってありますが、その通りではないですか、この世はおろか自分の身体のことさえわかってはいないのです、それでこの世をもちていくつもりですか、わからないと言ってもあまりではないですか。
神の言うこと違ったではないかと言う臣民も今に出て来ます、神は大難を小難にまつりかえているのにわからないのですか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあることわからないのですか、ひどいこと出て来ること待っているのは邪の身魂です、そんなことでは神の臣民とは言えませんよ。
臣民は神に、悪いことは小さくしてくれと毎日お願いするのが務めです。臣民近欲(ちかよく)だからわからないのです、欲もなくてはなりません、取り違いと鼻高とが一番恐いのです。神は生まれ赤子の心を喜びます、磨けば赤子となるのです、いよいよが来ました。九月十日、ひつくのか三。
第二十五帖(一三二)
今に臣民何も言えなくなりますよ、神は烈しくなるのです、目あけてはおれないことになるのです。四ツン這(ば)いになって這いまわらなければならないことになるのです、ノタウチまわらなければならないのですよ、土にもぐらなければならないのですよ、水くぐらなければならないのですよ。臣民可哀想なれど、こうせねば鍛えられないのです、この世始まってから二度とない苦労ですが、我慢してやり通してくださいね。九月十日、ひつ九のか三。
第二十六帖(一三三)
天(あめ)の日津久(ひつく)の神と言っても一柱(ひとはしら)ではないのです、臣民のお役所にようなものと心得なさい、一柱でもあるのです。この方はオオカムツミノ神とも顕(あらわ)れるのです、時により所によりてはオオカムツミノ神として祀ってくださいね、青人草(あおひとぐさ)の苦瀬(うきせ)、治してやりますよ。天明は神示(ふで)書かす御役です。九月十一日、ひつ九神。
第二十七帖(一三四)
石物言う時来ます、草物言う時来ますよ。北拝みなさい、北光りますよ、北よくなりますよ、夕方よくなりますよ、暑さ寒さ、みなやわらかくなりますよ、ミロクの世となりますよ。慌てずに急いでくださいね。神々様、皆の産土様(うぶすなさま)、総活動です、神々様祀ってくださいね、人々様祀ってくださいね、御礼言ってくださいね。九月十二日、一二か三。
第二十八帖(一三五)
遅し早しはありますが、一度言ったこと必ず出て来るのです。臣民は近欲で疑い深いから、何もわからないから疑う者もありますが、この神示一分一厘違わないのです。世界ならすのです、神の世にするのです、善一筋にするのです、誰(だ)れ彼(か)れの分け隔(へだ)てないのです。土から草木生まれます、草木から動物、虫けら生まれます。上下(うえした)ひっくり返るのです。九月の十三日、ひつ九のか三。