日月神示 下つ巻 第十四帖(五六)から第二十帖(六二)

第十四帖(五六)

 

 臣民ばかりではないのです、神々様にも知らせなければならないから、なかなか大層と言うのです。一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とわ)に動かない道のことです、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組です、御代出づとは、神の御代になることです、この世を神の国にねり上げることです、神祀ったら三四五の御用にかかるから、そのつもりで用意しておいてくださいね。

 

 この神は、世界中の神と臣民と、獣(けだもの)も草木も構わねばならないのですから、御役いくらでもあります。神様と臣民、同じ数だけあります。それぞれに神つけるから、早く身魂磨いてくださいね、磨けただけの神をつけて、天晴(あっぱ)れ後の世に残る手柄立てさせますよ。

 

 小さいことはそれぞれの神に聞いてくださいね、一人ひとり、何でも聞きたいことや、病治すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告げ受けてくださいね、この方の家来の神が知らせるから、何でも聞きなさい。病も治してやりますよ、この神頼ったなら、身魂磨けただけの神徳あります。この世始まってない今度の岩戸開きですから、これからがいよいよです。とんだところにとんだこと出来ます。それはみな神がさしてあるのですから、よく気つけておれば、先のこともよくわかるようになります。元の神代に返すというのは譬(たと)えではないのです。

 

 七から八から九から十から神烈しくなります、臣民の思う通りにはならないのです。それは逆立ちしているからです。世界一度にキの国にかかって来るから、一度は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから、神はこの世におらんと臣民言うところまで、むごいことになるから、外国が勝ったように見える時が来たら、神の代近づいたのです、いよいよとなって来ねばわからないようでは御用来ませんよ。七月の二十日、ひつくのか三。

 

 

第十五帖(五七)

 

 この方祀って神示書かすのは一所(ひとところ)なれど、いくらでも分(わ)け御霊(みたま)するから、一人ひとり祀ってサニワ作ってもよいのです。祀る時は、まず鎮守様、よくお願いしてから祀りなさい。鎮守様は御苦労な神様です、忘れてはなりませんよ。

 

 この神には鳥居(とりい)と注連(しめ)は要りません。おいおいわかって来ます、一二七七七七七忘れてはなりませんよ、次の世の仕組ですよ。身魂磨けば何事もわかって来ると言ってありましょう、黙っていてもわかるように、早くなって下さいね、神の国近づきましたよ。七月の二十一日、ひつくのか三。

 

 

第十六帖(五八)

 

 智恵でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならないことになるから、そうなったら〇ゝを頼るよりほかに手はなくなるから、そうなってから助けてくれと言っても間に合いませんよ。

 

 イシヤの仕組にかかって、まだ目さめない臣民ばかり。日本精神と言って卍(ぶつ)の精神や十(キリスト)の精神ばかりです。今度は神があるかないかを、ハッキリと神力見せて、イシヤも改心させるのです。神の国のお土に悪を渡らすことならないのですが、悪の神渡って来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れません。神の国だと口先ばかりで言っていますが、心の内は外国(幽界)人、沢山あります。

 

 富士から流れ出た川には、それぞれ名前のついている石置いてあるから、縁ある人は一つずつ拾って来なさい、お山まで行けない人は、その川で拾って来なさい、御霊(みたま)入れて守りの石と致してやりますよ。これほどまでに言っても疑う臣民ありますが、嘘のことならこんなにくどうは言いません。因縁の身魂には神から石与えて守護神の名つけてやりますよ。

 

 江戸が元のすすき原になる日近づきました。てんし様を都(みやこ)に遷(うつ)さなければならない時きました。江戸には臣民住めないような時が一度は来るのです。前のような世が来ると思っていたら大間違いです。江戸の仕組済みたらカイの御用あります。今にさびしくなって来ると、この道栄えて、世界の臣民みな訪ねて来るようになります。七月の二十一日、夜、ひつ九のか三。

 

 

第十七帖(五九)

 

 学や知恵では外国にかなわないでしょう、神頼れば神の力出ますよ、善いこと言えば善くなるし、悪きこと思えば悪くなる道理わかりませんか。今の臣民口先ばかり、こんなことでは神の民とは言えませんよ。

 

 天明は神示(ふで)書かす役です。神の心取り次ぐ役ですが、慢心すると誰かれの別なく、替え身魂使いますよ。因縁のある身魂は、この神示見れば心勇んで来ます。一人で七人ずつ道伝えてくださいね、その御用がまず初めの御用です。この神示通り伝えてくれればよいのです。自分ごころで説くと間違います。神示通りに知らしてくださいね。我を張ってはなりません、我がなくてはならないのです、この道難しいのですが、縁ある人は勇んで出来ます。七月二十一日、一二の(〇の中にゝの印)。

 

 

第十八帖(六〇)

 

 この道は神の道であり、人の道です。この道の役員は神が命ずることもありますが、己が御用すれば、自然と役員となるのです、誰かれの別ないのです、世界中の臣民みな信者ですから、臣民が人間ごころでは見当とれないのも無理ないのですが、このことよく腹に入れておいてくださいね。神の土出ます、早く取りて用意して皆に分けてやりなさい。神に心向ければいくらでも神徳与えて、何事も楽にしてやりますよ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。

 

 

第十九帖(六一)

 

 苦しくなったら何時(いつ)でもござれ、その場で楽にしてやりますよ、神に従えば楽になって、逆らえば苦しむのです。生命(いのち)も金もいったん天地へ引き上げてしまうかも知れないから、そうならないように心の洗濯第一だと言って、くどう気つけていることまだわかりませんか。七月の二十三日、一二のか三。

 

 

第二十帖(六二)

 

 上(うえ)、中(なか)、下(した)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となったら何事もきちりきちりと面白いように出来て行きます。神の世とは神の心のままの世です、今でも臣民神ごころになったら、何でも思う通りになりますよ。臣民近欲(ちかよく)だから、心曇っているからわからないのです。

 

 今度の戦は神力と学力のとどめの戦です。神力が九分九厘まで負けたようになった時に、まことの神力出して、グレンと引っ繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめて治(しろ)しめす世と致して、天地神々様にお目にかけます。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五の仕組です、岩戸開きです。

 

 いくら学力強いと言っても、百日の雨降らすこと出来ないでしょう。百日雨降るとどんなことになるか、臣民にはわからないでしょう。百日と言っても、神から言えば瞬(またた)きの間です。七月二十三日、ひつ九の神。