岡本天明について
日月神示の文章は神が岡本天明という人物に書かせたものです。まあ、文章というよりも、記号のようなもので、それを翻訳作業に当たった人達が必死の思いで、現代の日本人が理解出来るように文章化したのですが。
それで、その文字を紙に書いたのは、岡本天明という人です。まあ、要するに、神様が岡本天明の身体に憑依して、岡本天明の腕を使って、日月神示の文章を書いたということです。
要するに、岡本天明は文字を書かされる役です。[文字を書かされる役]と聞くと、大したことない役だと思ってしまうでしょう。しかし、違います。高級霊でさえ、憑依するには、相当に霊格の高い人物でなければ憑依して文字を書かせられないのに、神様が憑依するとなれば、相当に心の清い人でないと無理です。だから、[神様の文字を書かせられる役]を任された時点で、相当に凄い人なのです。
まあ、世間的には、[凄い人]というと、オリンピックに出場して金メダルを獲得する人とか、大企業の創業者とか、大金持ちとか、喋りの上手な大御所の芸能人とかを思い浮かべるでしょう。しかし、それはあくまでも人間社会にとっての凄い人であって、神様からの信頼の厚い人ではないのです。
その証拠に、大企業の創業者であっても、作業員を奴隷のように扱う方針の社長もいますし、浪費してアル中になって自滅するような元スーパースターもいますし、ラスベガスのカジノで何百億円も浪費した製紙会社のトップとかもいました。他にも様々な[自分の利益しか考えない有名人]は多いのです。そんな人達が、神様からの信頼が厚い訳がないのです。それらはあくまでも人間社会の中で凄いだけであって、神様から見れば、なんてことはない小物なのです。
それで、この岡本天明は、日月神示の文字を書くという大役を任された、その役に選定されたので、やはり十分に凄いのです。
では、[完訳 日月神示 上巻]に掲載されている岡本天明のプロフィールの内容をここに記します。まあ、もっと知りたい人は、自力でネットで調べてください。
<岡本天明プロフィール>
明治三十年(一八九七)十二月四日、岡山県倉敷市玉島に生まれる。
青年時代は、名古屋新聞、大正日々新聞、東京毎夕新聞などで新聞記者生活を送る。また太平洋画会に学び、昭和十六年(一九四一)、日本俳画院の創設に参加。米国、南米、イスラエル、東京、大阪、名古屋などで個展を開催。
『俳画講義録』その他の著書があり、昭和二十年(一九四五)頃から日本古神道の研究を始め、『古事記数霊解』及び『霊現交流とサニワ秘伝』などの著書がある。
晩年は三重県菰野(こもの)町鈴鹿山中に居を移し、画家として生活していた。
昭和三十八年(一九六三)四月七日没す。満六十五歳。
日月神示の文字について
日月神示の文字というのは、まあ、私が見ても、翻訳は絶対に出来ません。古文の知識がある人達でなければ、翻訳はそもそも無理です。まあ、このサイトのタイトルは[日月神示 さいとうけんいち訳]とありますが、これはあくまでも、現代語訳された[完訳 日月神示 上巻・下巻]の内容を、丁寧な口調に独自に訳しただけで、元々の文章は私でも十分に理解出来る文章でした。なので、一番凄いのは、元々の意味不明な記号みたいな文章の羅列から、普通の日本人でも理解出来るように訳した当時の人達です。
なので、ここでは、[日月神示 上巻 地震の巻]に掲載されていた、日月神示の元々の文字、つまり岡本天明が紙に書いた直接の文字をお見せしたいと思います。まあ、これだけ見ても意味不明ですが、とにかく、翻訳作業に当たった人達が凄過ぎたということです。感謝です。まあ、私もこうして、日月神示を広める役割の一旦を担っている訳ですが。まあ、人により役割は様々ということですね。
⇩日月神示の元々の文字集
⇩[日月神示 上巻 空の巻 第三帖]の冒頭にあった文字。
⇩[日月神示 上巻 空の巻 第五帖]にあった意味不明な絵。これは現代語に変換する作業をしていた人達も意味が分からず、このままの状態で掲載されていた。