日月神示 至恩之巻 第九帖から第十六帖

第九帖

 

 千引岩を閉ざすに際してナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人食い殺すと言い、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると言われたのです。これが日本の国の、また地上の別名ですよ、和をよく極めて下されば分かることですよ、天は二一六、地は一四四と言ってありましょうが、その後ナギの神は御一人で神々を始め、いろいろなものを生み給うたのですよ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまえなさい。此処(ここ)に大きな神秘が隠されています。一神で生む限度は七乃至(ないし)八であり、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八ですが、本来は十万十全まで拡がるべきものなのです。ある時期までは八方と九、十の二方に分かれてそれぞれに生長し、弥栄し行くのですよ。

 

 

第十帖

 

 国常立神(クニトコタチ)も素サ鳴命(スサナル)も大国主命(オオクニヌシ)も、すべて地に縁(ゆかり)のある神々は皆、九と十の世界に居られて時の来るのをお待ちになっていたのですよ、地は智の神が治(し)らすと知らせてありましょう、天運正にめぐり来て、千引の岩戸は開かれて、これら地に縁のある大神たちが現れなされたのですよ、これが岩戸開きの真相であり、誠(まこと)を知る鍵なのですよ。

 

 

第十一帖

 

  いよいよわからないことが、さらにわからないことになりますよと言ってありますが、ナギの命(ミコト)の治(し)らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互いに逆の力が押し寄せて交じりに交じるので、いよいよわからないことになるのですよ。

 

 

第十二帖

 

 分からないと言うのは一面しか見えないことなのですよ、双方を見る目に、早く改心してくださいよ。この白黒まだらな時は長く続きません、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年ですよ、死んでからまた甦られるように死んでくださいね、マコトを心に刻みつけておいてくださいね。

 

 

第十三帖

 

 死ぬか生きるかは人民ばかりではないのです、神々様も神羅万象の悉(ことごと)くが同様なのですよ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのですから、今までの八方的な考え方、八方的な想念や肉体では生きてはいけないのですよ、十方的想念と肉体でなくてはなりませんよ。

 

 

第十四帖

 

 八方的地上から十方的地上となるのですから、すべての位置が転ずるのですから、物質も念もすべてが変わるのです。これが元の元の元の大神の御神策です、今までは時が来なかったので知らすことが出来ないことがありましたが、いよいよが来たので皆に知らせるのですよ。百年も前からそら洗濯ですよ、掃除ですよと言ってありましたが、今日の為なのですよ、岩戸開きの為なのですよ。今までの岩戸開きと同様ではありません、末代に一度の大岩戸開きなのです。

 

 

第十五帖

 

 神の言うことは一分一厘違わないのです、今度言うことを聞かないと大変な気の毒となりますよ、地の下になってしまうのですよ、一二三四五六七八の世界が一二三四五六七八九十の世となって、〇一二三四五六七八九十の世となるのですよ、〇一二三四五六七八九十がマコトと言ってありましょう。裏面で二十二です、二二の五です、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れですよ、わかりましたか。

 

 

第十六帖

 

 太陽は十の星を従えるのですよ、原子も同様ですよ。物質が変わるのですよ、人民の学問や智ではわからないことですから早く改心第一ですよ。二二と言うのは天照大神殿の十種(とぐさ)の神宝(かむだから)に神を入れることなのですよ、これが一厘の仕組。二二となるでしょう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、成り成りあまるナルトの仕組。富士と鳴門の仕組いよいよですよ、これがわかったならば、どんな人民も腰をぬかしますよ。一方的に一神でモノを生むこと出来るのですが、それでは終わりは全うできません、九分九厘で厘止まりですよ、神道も仏教もキリスト教もそうでありましょう、卍(ぶつ)もキリストもすっかり助けると言ってありましょう、助かるには助かるだけの用意が必要ですよ。用意はよいですか。このこと大切ですよ、気をつけておいてください。成り成りて十と開き、二十二となりますよ、富士晴れますよ、大真理世に出ますよ、新しき太陽が生まれるのですよ。