2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

日月神示 黒鉄の巻 第二十一帖(六三九)から第二十八帖(六四六)

第二十一帖(六三九) 身も心も嬉し嬉しなるのがまことの神です。ものの嬉しさだけではゼロです。魂(たま)の嬉しさだけでもゼロです。よく心得なさい。死後のみ説く宗教はゼロの宗教です。迷うことのないように。この世で天国に住めないもの、天国に行ける…

日月神示 黒鉄の巻 第二十九帖(六四七)から第三十五帖(六五三)

第二十九帖(六四七) 運命は自由自在のものですが、また強(し)いるものでもあります。大きくも、小さくも、薄くも、厚くも、その人の心次第に変わりますよ。もとは霊界にあるからです。嬉し嬉しで運命を迎える気、結構ですね。この世のことだけでこの世の…

日月神示 黒鉄の巻 第三十六帖(六五四)から第三十九帖(六五七)

第三十六帖(六五四) 天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇なのですよ。闇の門は閉ざされ、光の門は開かれていますよ。天界は昇りやすく、幽界には落ちにくいのです。神と金と二つに仕えることは出来ません。そのどちらかに仕えなければならないと、今まで…

日月神示 春の巻 第一帖(六四八)から第六帖(六六三)

第二十七巻 春の巻(全六十帖) 自 昭和二十七年旧一月一日 至 昭和二十七年二月十五日 第一帖(六四八) 新しき御代(みよ)の始めの辰(たつ)の年。スメ大神の生(あ)れ出(い)で給いぬ。皆々御苦労ながら、グルグル廻って始めからですと言ってありまし…

日月神示 春の巻 第七帖(六六四)から第十三帖(六七〇)

第七帖(六六四) こと分けて書きおくから、迷わないように、人民の道歩んでくださいね。何もかも嬉し嬉しとなる仕組、人民に禍ないのです。不足ないのです。いつも楽し楽しの歌で暮らせる仕組みです。と言っても、心でわかっても、今の人民にはわからないで…

日月神示 春の巻 第十四帖(六七一)から第二十帖(六七七)

第十四帖(六七一) どんな草でも木でもその草木でなければならない御用ありますよ。だから生きているのですよ。そのはたらき御用忘れるから苦しむ。行き詰まる。御用忘れるから亡びるのですよ。個人は個人の、一家は一家の、国は国の御用があります。御用大…

日月神示 春の巻 第二十一帖(六七八)から第二十八帖(六八五)

第二十一帖(六七八) 太一二(不明記号)大神(オーヒツキクニオオカミ)としてのこの神は一柱(ひとはしら)ですが、働きはいくらでもありますよ。その働きの名がもろもろの神様の名です。無限ですよ。この方(ほう)一柱ですが無限柱ですよ。すべてが神で…

日月神示 春の巻 第二十九帖(六八六)から第三十五帖(六九二)

第二十九帖(六八六) 神から出るものは理(り)に決まっていますよ。この平凡の道の道理が何故にわからないのですか。得心出来ないのですか。それに従えばこそ向上、弥栄するのですよ。天狗だから、慢心するから、理がなくなるから行き詰まるのですよ。一応…

日月神示 春の巻 第三十六帖(六九三)から第四十三帖(七〇〇)

第三十六帖(六九三) 何事に向かってもまず感謝しなさい。ありがたいと思いなさい。始めはマネごとでもよいですよ。結構と思いなさい。幸と思いなさい。そこに神の力加わりますよ。道は感謝からです。不足言えば不足うつります。心のままとくどく言ってあり…

日月神示 春の巻 第四十四帖(七〇一)から第五十二帖(七〇九)

第四十四帖(七〇一) 念入れ替えますよ。念入れ替えるとは、新しき霊界つくることですよ。新しき霊界つくるとは、太神の真中に融け入ることですよ。 第四十五帖(七〇二) 一時は人民なくなるところまで行くと言ってありましょう。人民なくしても人民なくな…

日月神示 春の巻 第五十三帖(七一〇)から第六十帖(七一七)

第五十三帖(七一〇) どうしたらよいのでしょう、神の言うこときくから助けてくれと言うもの沢山出てきますが、何も難しいこと神は言いません。現在を足場として一歩ずつ進めばよいのですよ。それでは食って行けないと言う者いますが、神はあり余るほど与え…

日月神示 夏の巻 第一帖(七一八)から第九帖(七二六)

第二十八巻 夏の巻(全二十五帖) 自 昭和二十七年三月三日 至 昭和二十七年三月八日 第一帖(七一八) 与えられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽に行けるよう、暮らし向きも楽し楽しで暮らせるようになっていますよ。有り余るほど与えてあるではないです…

日月神示 夏の巻 第十帖(七二七)から第十六帖(七三三)

第十帖(七二七) 過去も未来も中今(なかいま)。神も人間と同じで、弥栄して行くのですよ。悪いクセ直さねばいつまでたっても自分に迫ってくるもの変わりません。おかげないと不足言っていますが、悪いクセ、悪い内分を変えねば百年祈り続けてもおかげない…

日月神示 夏の巻 第十七帖(七三四)から第二十五帖(七四一)

第十七帖(七三四) 神の姿はすべてのものに現われています。道ばたの花の白きにも現われています。それを一度に、すべてを見せて、呑(の)みこませてくれと言ってもわかりはしませんよ。わかるところから、気長に神求めなさい。すべては神から流れ出ている…

日月神示 秋の巻 第一帖(七四二)から第十帖(七五一)

第二十九巻 秋の巻(全二十八帖) 昭和二十七年四月十一日 第一帖(七四二) 同じ神の子でも本家と分家とがありますよ。本家は人間です。分家は動植物です。本家と分家は神の前では同じですが、位置を変えると同じではありませんよ。三十年で世の立て替えし…

日月神示 秋の巻 第十一帖(七五二)から第二十帖(七六一)

第十一帖(七五二) 親と子は、生むと生まれるとの相違(そうい)出来てきますよ。また上の子と下の子と、左の子と右の子とは違うのですよ。違えばこそ存在します。 第十二帖(七五三) 神についていなさい。理屈を言わず、ついていなさい。地獄ないと言って…

日月神示 秋の巻  第二十一帖(七六二)から第二十八帖(七六九)

第二十一帖(七六二) 和が根本、和がよろこびです。和すには神を通じて和すのですよ。神を通さずに、神をなくして通ずるのが悪和合。神から分かれたのですから神に還って、神の心に戻って和さねばならない道理。神なくして和はないのです。世界平和と言って…

日月神示 冬の巻 全一帖(七七〇)、補帖一帖(七八七)

第三十巻 冬の巻(全一帖、補帖一帖) 自 昭和二十七年五月五日 至 昭和二十七年六月九日 全一帖(七七〇) 宇宙は霊の霊と物質とからなっているのです。人間もまた同様なのです。宇宙にあるものは皆人間にあり。人間にあるものは皆宇宙にあります。人間は小…

日月神示 扶桑之巻 第一帖から第七帖

五十黙示録 第一巻 扶桑(ふそう)之巻(全十五帖) 昭和三十六年五月五日 第一帖 東は扶桑(ふそう)なり、日(神)出(い)づる秋(とき)は来にけり。この巻、扶桑の巻、続く六の巻を合わせて七の巻、一百四十四帖の黙示を五十黙示(いせもくじ)と言いな…

日月神示 扶桑之巻 第八帖から第十五帖

第八帖 平坂の岩戸ひらけむ音のきこゆる。神に怒りはないのですよ、天変地異を神の怒りと取り違い致してはなりません。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますのです。またすべてが喜びにましますが故に怒りはないので…

日月神示 碧玉之巻 第一帖から第九帖

五十黙示録 第二巻 碧玉(あおたま)之巻(全十九帖) 昭和三十六年五月六日 第一帖 反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁(にご)るばかりですよ、合流するには、立体でやらなければなりません、立体となれば反対が反対ではなくなるのですよ…

日月神示 碧玉之巻 第十帖から第十二帖

第十帖 岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐(イザナギ))ナミ(伊邪那美(イザナミ))の命(ミコト)の時なのです、ナミの神が火の神を生んで黄泉国(よみのくに)に入られたのが、そもそもなのですよ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのです、十二の卵…

日月神示 碧玉之巻 第十三帖から第十九帖

第十三帖 まだ〇のみ追っている人民沢山ありますが、〇では世は治まりません、自分自身は満たされませんよ、ゝでなくてはなりません、と言ってゝだけでもなりませんよ、ゝが元なのです、内なのです、〇は末です、外です、ゝから固めて下さいね、〇は自ずから…

日月神示 星座之巻 第一帖から第九帖

五十黙示録 第三巻 星座之巻(全二十四帖) 昭和三十六年五月十日 第一帖 この巻、星座の巻。偶然というのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって、偶然ではないのですよ、天に星あるごとく、地には塩があるのですよ、シホ、コオロコオロにかきなら…

日月神示 星座之巻 第十帖から第十七帖

第十帖 世の元は〇ですよ、世の末も〇ですよ、〇から〇に弥栄しますが、その動きは左廻りと右廻りですよ、(〇の左半分)と(〇の右半分)と言ってありましょう、その中心に動かない動きがあるのです、何もかも、人民まで変わるのが今度の大立て替え、食物も…

日月神示 星座之巻 第十八帖から第二十五帖

第十八帖 天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民の持つ言葉で語り文字を使うのですよ、自分と自分と語るごとくなるのですよ、天人同志の文字は数字が多いのです。夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すのですが、それもしば…

日月神示 龍音之巻 第一帖から第六帖

五十黙示録 第四巻 龍音之巻(全十九帖) 昭和三十六年八月三日 第一帖 この巻「龍音の巻」。続く巻五は「極みの巻」、巻六は「至恩の巻」、巻七は「五葉の巻」です。この五十(いせ)黙示の七巻は神、人共に与えたもの、一巻から続いたものです。同じ意を持…

日月神示 龍音之巻 第七帖から第十二帖

第七帖 仙人と名乗るものは如何(いか)に高度なものであっても、それは幽界に属します、仙人界には戒律があるからですよ、神界には戒律はありません、戒律ある宗教は亡びます、マコトの宗教には戒律はありませんよ。しかし神界にも仙人的存在はありますよ。…

日月神示 龍音之巻 第十三帖から第十九帖

第十三帖 時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替わっていることもあるのですよ、この場合は肉体に入り込んだと考えてよいのです。こういう場合、例えばそれが狐ならば狐の様相を露呈するので、誰にでもすぐわかるのですが、悪行を積んだ霊ともなれば巧…

日月神示 至恩之巻 第一帖から第八帖

五十黙示録 第六巻 至恩(しおん)之巻(全十六帖) 昭和三十六年九月一日 第一帖 岩戸開きと言ってありますが、天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸を開くのですから、その立場立場によって違うところがありますよ、それを…