日月神示 黒鉄の巻 第二十九帖(六四七)から第三十五帖(六五三)

第二十九帖(六四七)

 

 運命は自由自在のものですが、また強(し)いるものでもあります。大きくも、小さくも、薄くも、厚くも、その人の心次第に変わりますよ。もとは霊界にあるからです。嬉し嬉しで運命を迎える気、結構ですね。この世のことだけでこの世のこと動きませんよ。霊界との関係によって、この世が動いている道理わからなければなりません。早く神の心に、神意さとりなさい。遠慮いりません。何事も天から出て来ますよ。天からとは心からのことです。(一月二十二日)

 

 

第三十帖(六四八)

 

 表ばかり見ているからわからないのです。水晶の心なれば三千里先のこともありやか。人民というものは奇蹟見ても、病気になっても、中々改心出来ないものです。それは外からのものであるからです。まことの改心は、中の中のゝのキ戴いて、ホッコンの改心出来なければなりません。死後の生活知らすことはよいのですが、それのみによって改心しなさいと迫るのは悪のやり方。奇蹟を見せ、病気を治してやるのもよいのですが、それのみによって改心を迫ってはなりません。それのみで道を説いてはなりませんよ。そんなことくらいでマコトのホッコンの改心が出来るならば、人間は遠(とお)の昔に改心していますよ。今までのような宗教は亡びると言ってありましょう。亡びる宗教にしないでくださいね。(一月二十二日)

 

 

第三十一帖(六四九)

 

 中の自分と外の自分と和しなさい。それが改心の第一歩。聞かせてきくならば、実地はカタのカタくらいで済みますが、欲入ると邪気湧きます、邪気湧くと邪霊集まりますよ。肉体人に神は直接わからないものです。神は能(はたら)き、神の働きの影しかわからないものです。神の姿、見たというのは、神の姿の影を自分の心に描き出したまでですよ。心にわかっても肉体にわかるものではないのです。肉を魂としなさい。魂を魂の魂と向上させなさい。ひらけ来ますよ。何事も咎(とが)めることのないように。咎む心、天狗です。神の前にへり下り、へり下ってもなお過ぎるということないのです。人間は、色とりどりそれぞれの考え方を自由に与えてあるのですから、無理に引っ張ったり、教えたりすることのないように。今あるもの、今生きているものは、たとえ極悪だと見えても、それは許されているのですから、あるのですよ。他を排すことのないように。(一月二十二日)

 

 

第三十二帖(六五〇)

 

 イノリとは意が乗ることですよ。霊の霊と、霊と体と合流して一つの生命となることです。実力ですよ。想念は魂。魂は霊であり、霊の世界に属し、霊に生きるのですよ。ものは霊につけられたもの、霊の霊は、霊につけられたものですよ。ものにはものの生命しかありません。真の生命は霊です。生命の元の喜びは霊の霊ですよ。霊の霊が主ですと言ってありましょう。奥の奥の奥のゝは大神に通じるゝですよ。喜びですよ。ゝある為(ため)に人間となり、人間なるが故に神となり、神なるが故に喜びなのです。他のいきものにもゝはありますが、外のゝなのですよ。(旧九月八日)

 

 

第三十三帖(六五一)

 

 神がうつらぬと言っていますが、心をやわらかくしてマカせ切れば刻まれますよ。平(たい)らかにすれば正しく写り、凸凹(デコボコ)すれば曲がって写る。神の前に固くなってはなりませんよ。人間は肉体を持っている間でも、その霊は、霊の国に住んで居り、霊の霊は、霊の霊の世界に住んでいるのですよ。この道理よくわきまえなさい。愛は脈打っていますよ。真は呼吸していますよ。肉体にあっては肺臓は呼吸し、心臓は脈うつ、この二つが一つであって、肉体を生命します。喜びと三つが一つなのですよ。霊にあっては霊の心臓、霊の肺臓、よろこびありますよ。(旧九月八日)

 

 

第三十四帖(六五二)

 

 祈りは弥栄であり、限りない生活です。生命のイキですよ。祈りからすべてのもの生まれます。誠の喜びの祈りからはゝが生命し、かげの祈りからは〇が生命します。人祈れば神祈り、人為(な)せば神なる道理です。禁欲は神の御旨(みむね)ではありません。欲を浄化して、生みなさい。産みなさい。今の人民、欲の聖化を忘れていますよ。欲は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出します。欲を導きなさい。自分だけならば五尺の身体、五十年の生命ですが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神に融け入ったならば、無限大の身体、無限の生命となりますよ。マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのです。(旧九月八日)

 

 

第三十五帖(六五三)

 

 キが到ればモノが到る。モノを求める前にキを求めなさい。目当てなしに歩いたとして、くたびれもうけばかりです。人生の目当て、行く先の見当つけずに、その日暮しの、我れ善しの世と成り下がっています。目当ては(記号不明)のゝではないですか。ゝに向かないでウロウロ。草木より、なり下がっているではないですか。為すとはイノること。人の為にイノるは、己の為にイノること。今の人民、イノり足りません。(旧九月八日)