日月神示 春の巻 第四十四帖(七〇一)から第五十二帖(七〇九)

第四十四帖(七〇一)

 

 念入れ替えますよ。念入れ替えるとは、新しき霊界つくることですよ。新しき霊界つくるとは、太神の真中に融け入ることですよ。

 

 

第四十五帖(七〇二)

 

 一時は人民なくなるところまで行くと言ってありましょう。人民なくしても人民なくなりません。洗濯して掃除して新しき道早く進めなさい。遅くなるほど難しく苦しくなりますよ。近目で見るからわからないのです。日本の、世界あけたり。あな爽々(すがすが)し、日本晴れですよ。富士は晴れたりとは、真理の世の出づことです。天のこと地にうつす時は、地の力出るように、地の息吹き通うように、弥栄するように、念を地の力と現われるように、正しくうつして下さいよ。邪気入ってはなりません。

 

 

第四十六帖(七〇三)

 

 今の武器は幽界の裏打ちありますよ。神界の裏打ちある武器でなくてはなりません。まことの武器です。ビックリですよ。念からつくり出しなさいな。その念のモトをつくれば、神から力を与えるから、この世の力と現われますよ。念の凸凹から出た幽界を抱き参らさなければなりません。中々の御苦労ですが、幽界を神界の一部に、力にまで引き寄せねばなりません。

 

 

第四十七帖(七〇四)

 

 念が新しき武器なのですよ。それでは人民まわりくどいと言うでありましょうが。物事には順と時あります。元のキから改めて下さいね。尊き御役。

 

 

第四十八帖(七〇五)

 

 念なりと、今の人民言う思想はマコトの念ではありません。思想は思想です。念とは力です。実在なのです。喜びなのです。喜びは神です。弥栄(二月十二日ひつく神)

 

 

第四十九帖(七〇六)

 

 これだと思う人があったら、その道の人に御座れよ。一寸先見えない人民です。先達の後からついて御座れ。それが一番よいことですよ。人、見出すこと難しいですね。十年、二十年行じても、目当て違っていたら何にもなりませんよ。この方(ほう)の道へ御座れ。正しき光の道によりなさい。十日で、一(ひと)月で見違えるほどになりますよ。死んだ気で神示(ふで)をそなたの身にうつしなさい。涙流しなさい、汗流しなさい、血流しなさい。天災や地変は大き肉体の応急処置の現われですよ。部分的に、人間苦しめるように思ってはなりません。一日一度は便所へ行かなくてはならないでしょう。人間この世の五十年をもととして考えるからわからなくなるのですよ。永遠弥栄の生命、早く体得結構。

 

 

第五十帖(七〇七)

 

 その人によってふさわしい行があります。誰でも同じではありません。一合(ごう)食べる人もあれば一升(しょう)食べる人もあります。身につかないもの、身につかない行は、いくらしても何にもなりません。いらない苦労はいらないと言ってありましょう。風呂には時々入るが、魂の風呂に行く人少ないですね。より高い聖所へ参りて魂のアカ落としなさい。神示読んで落として下さいね。アカ落とさずに神の光見えないと言って、おかげないと、我れ善し言っていますが、風呂に入らないのに、アカつくとは怪しいと言うのと同じではありませんか。何故にわからないのですか。全体の為奉仕するのはよいけれど、自分捨てて全体なく、自分ないのですよ。全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄えるのですよ。早合点禁物。

 

 

第五十一帖(七〇八)

 

 人民の因縁性来はみな神示に書かせてありますよ。あなたのことも何もかも一目です。因縁わかって嬉し嬉しで御用結構。嬉し恐ろしくなる仕組。

 

 

第五十二帖(七〇九)

 

 まことの光の道に行き、進みなさい。ここぞと見極めたら、理解に向かってひたすらに進まなければなりません。理屈いりません。宇宙はこの方(ほう)の中にあります。この方です。世がだんだん迫って悪くなるように言っていますが、それは局部的のこと。大局から見れば、善きに向かって弥栄えているのですよ。夏が暑いと言ってブツブツ言うのはやめなさい。秋になります。冬もあります。冬ばかりと考えないように。やがては春が訪れますよ。いずれも嬉し嬉しとなる仕組。