日月神示 春の巻 第三十六帖(六九三)から第四十三帖(七〇〇)

第三十六帖(六九三)

 

 何事に向かってもまず感謝しなさい。ありがたいと思いなさい。始めはマネごとでもよいですよ。結構と思いなさい。幸と思いなさい。そこに神の力加わりますよ。道は感謝からです。不足言えば不足うつります。心のままとくどく言ってありましょう。病気ではないと思いなさい。弥栄と思いなさい。病治るモト生まれますよ。キが元です。何事くるとも何クソと思いなさい。神の力加わりますよ。恐れは恐れ生むと言ってありましょう。一聞いて十悟らねばなりません。今の人民には何事も平面的に説かねばわからないし、平面的では立体のこと、次元の違うことはわからないし、肚で悟って下さいよと言ってありましょう。

 

 

第三十七帖(六九四)

 

  相手八と出たら二と受けなさい。人民というものはモノに囚われるから何事もわからないから、十二と出、二十と出、三十六と出たらポカンとしてわからないことになるのですよ。十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けなさい。また十二と受ける手もありますよ。二十と出たら八十と和しなさい。立体になればそれだけ自由になるのです。世界広くなるのです。早く立体悟ってくださいよ。

 

 

第三十八帖(六九五)

 

 ●の次に(太陽のような印)があり、その次に(不明な印)があり、十あると言ってありましょう。立体から複立体、複々立体、立立体と言ってありましょう。×と÷と和せば(不明な印)となりますよ。複立体ですよ。(不明な印)が複々立体、●が立立体です。(不明な印)がその元ですよ。わかりましたか。(不明な印)となれば超自由、超自在、超無限ですよ。それだけにまた超完成ですよ。超未完成でもありますよ。神は全知全能から超全知全能に弥栄していますよ。難しいようですが、このことよくわかって下さいね。新しき段階に入る門なのです。

 

 

第三十九帖(六九六)

 

  道は三つと言ってありましょう。三とは参ですよ。3(スリー)ではないと言ってありましょう。無限ですよ。平面的に言えば右と左とだけではないのですよ。その右の外にまた左の外に道でなき道あるのですよ。それを善の外道、悪の外道といいます。外道多いですね。中の中には中の道あります。中の中のゝは無であるから動きはありません。動きないから無限の動きです。そのゝの外の中は人民にも動きみえますよ。この道は中行く道ですと言ってありましょう。中のゝの道は太神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道です。わかりましたか。

 

 

第四十帖(六九七)

 

  思想というのは広い意味で、太神から出ているのですが、幽界からの力が強く加わっているのです。念というのは神界からの直々(じきじき)ですよ。悪の気、断たねば念とはなりませんよ。

 

 

第四十一帖(六九八)

 

  天には天の道、地には地の道、人民には人民の道あると言ってありましょう。同じ道であるが違いますよ。地にうつし、人民にうつす時は、地の約束、人民の約束に従うのですよ。約束は神でも破れないのです。次元違うから違ってきますよ。違うのが真実です。それを同じに説いたのが悪の教え。同じと思うのが悪の考え方ですよ。上から来るものは光となって流れてくるのです。光に本来影はないのですが、動くから影が生まれるのです。それを影でない影と言います。悪でない悪あると言ってありましょう。天には天の自由、地には地の自由、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、それぞれの自由ありますよ。その性の高さ、清さ、大きさなどによって、それぞれの制限された自由ありますよ。自由あればこそ動きますよ。自由とは弥栄のこと。光は神から人民に与えられています。光に向かうから照らされます。光はゝ、真、善、美、愛となり、またその裏の〇、疑、悪、醜、憎となり現われます。御用の善となり、御用の悪となります。悪にくむは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由の範囲に於ける凸凹にうつり、それが再び霊界にうつります。それが幽界と言ってありましょう。その幽界からさらに人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのです。善にも外道ありますよ。心得なさい。光は天のみではなく、地からも人民からも、すべて生命あるものから出ているのですが、その喜びの度に正比例してのものですから、小さい生命からの光はわからないのですよ。

 

 

第四十二帖(六九九)

 

  戦(いくさ)は善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外の戦ありますよ。新しき御代(みよ)が到来しても戦はなくなりません。戦も歩みです。弥栄です。しかし今のような外道の戦ではありません。人殺し、生命殺すような戦は外道。やればやるほど烈(はげ)しくなりますよ。正道の戦は人を生かす戦、やればやるほど進むのです。今の人民、戦と言えば、人の殺し合いと早合点しますが、それは外道の戦。天国への戦もあるのですよ。幽界への戦もありますよ。人民の言う今の戦、今の武器は人殺す外道の道、それではなりませんよ。外道なくして下さいね。外道はないのですから、外道抱き参らせて、正道に引き入れて下さいね。新しき霊界は神人(かみひと)共で作り出されるのです。それは大いなる喜びであるからです。神の御旨(みむね)であるからです。新しき世はあけていますよ。夜明ければ闇はなくなります。新しきカタはこの中からです。日本からです。日本よくならなければ世界はよくなりません。外道の武器捨てなさい。外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器としなさい。変えられるではないですか。

 

 

第四十三帖(七〇〇)

 

  与えなさい、与えなさい、与えなさい、与える政治と言ってありましょう。戦争か平和かと人民言っていますが、道はその二つではないのですよ。三が道と、くどう言ってありましょう。水の外道の武器と火の外道の武器の他に、新しき武器気づかないのですか。神示よく読めば示してあるのですよ。他に道ないと決めてかかるからわからないのですよ。生まれ赤児になればわかりますよ。知らせてあげたいけれど、知らせてわかるのでは自分のものとはなりません。自分が体得し、自分から湧き出なければ自分のものではないのですよ。付(つ)け焼刃(やきば)は危い、危い。気狂いに刃物ですよ。平面的考え、平面生活から立体に入れと言ってありましよう。神人共に融け合うことです。外道ではない善と悪と融け合うのです。善のみで善ならず。悪のみで悪ならず。外道は夜明るくなれば消えてしまいますよ。夜明けの御用大切と言ってありましょう。外道の悪殺すのではないのですよ。抱き参らすから消えるのですよ。