日月神示 春の巻 第二十九帖(六八六)から第三十五帖(六九二)

第二十九帖(六八六)

 

 神から出るものは理(り)に決まっていますよ。この平凡の道の道理が何故にわからないのですか。得心出来ないのですか。それに従えばこそ向上、弥栄するのですよ。天狗だから、慢心するから、理がなくなるから行き詰まるのですよ。一応は世界一家のカタ出来るのです。が、それではなりません。それを越えて、練り直してマコトの一家となるのです。天が上で地が下で、中にゝあるのですよ。それがミロクの世です。気長にやりなさいと言ってありましょう。長い苦心なければよいものは出来ません。この世で出来終わらなければ、あの世まで持ち続けてもやり続けてもよいのですよ。そなたたちはあまりにも気が短いですよ。それではなりません。マコトの生活は永遠性持っていますよ。これないものは宗道ではありませんよ。

 

 

第三十帖(六八七)

 

 宇宙のすべてがつながりなのです。石でも水でも草でも木でも動物でもすべてがつながりです。手と頭のようなものですよ。拝(おろが)み合いなさい。親しみ合いなさい。和しなさい。和すと自分となるのです。自分大きく、明るくなるのです。豊かに嬉し嬉しです。赤いものの中にいると赤くなって行きます。理(り)に向かっていると、いつの間にか神の気戴きますよ。神の光が戴けますよ。二度三度、話聞いたり、拝(おろが)んだりくらいで理はわかりません。神はわかりません。体験しなければなりません。一方的では何事も成就しません。持ちつ持たれつですと言ってありましょう。

 

 

第三十一帖(六八八)

 

 今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実ですよ。境遇に不足言わないように。現在を足場として境遇を美化し、善化してすすみなさい。其処(そこ)にこそ神の光、よろこび現われるのですよ。逃げ道つくれば迷いの道に入りますよ。楽に得たもの、楽に失う。

 

 

第三十二帖(六八九)

 

 信仰の始めは感情に支配されがちです。理智を強く働かせなければなりませんよ。人間は絶えず穢(けが)れてきます。穢れは清めることによって、あらたまります。厄祓いしなさい。福祓いしなさい。想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければなりませんよ。中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残ります。残ることあります。残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業を繰り返すことあります。早く洗濯しなさいと言ってありましょう。梅の実から梅が生えるのです。その梅に実出来てまた梅が生えるのです。人間も生まれかわっても死にかわっても、中々に悪いクセは直らないものですよ。それを少しずつ直してかからなければなりません。努力次第で漸次直るのですよ。宗教は霊、芸術は体です。(二月一日 ひつく神)

 

 

第三十三帖(六九〇)

 

 新玉の真珠の波も草も木も春立ちそめてよみかへりけり

 

 今の科学は科学のことはわかりますがそれより上のことはわかりません。今の科学はあるものがあるということだけしかわからないのですよ。よい求めにはよい感応、よい感応によい働き、よい理解となり、よい生活生まれる。間違った求めには間違った神、間違った生活生まれますよ。道理ですね。窮屈であってはなりません。しかつめらしく固くなっていてはなりません。笑いの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのですよ。宿命は宿されたもの。一つのワクに入っているのですよ。運命は自分で切りひらくこと出来ますよ。磨け磨け、ミタマ磨き結構。信念だけでは行き詰まりますよ。

 

 

第三十四帖(六九一)

 

 自分は自分の意志で生まれたのではないのですよ。その時、その環境を無視出来ません。その法則に従わなければなりません。草を拝めば草が神となり、機械拝めば機械が神です。食物拝めば食物が神となります。心しなさい。神は人民を根本から永遠の意味でよくしようと、マコトの喜び与えようとしているのですよ。局部的、瞬間的に見てわからないこと多いですよ。おかげは、すぐにはないものと思いなさい。すぐのおかげは下級霊、眉(まゆ)に唾(つば)しなさい、考えなさい。現在の環境を甘受しなさいと言ってありますが、甘受だけでは足りません。それに感謝しなさい。積極的に感謝し、天地の恩に報じなければなりません。誠の真理を知らない人間に神はわかりません。

 

 

第三十五帖(六九二)

 

 念じつつやりなさい。神の為と念じつつやれば神の為となります。小さい行為でも霊的には大きはたらきするのですよ。自分ということが強くなるから発展ないのです。行き止まるのです。我れ善しとなるのです。調和が神の現われですよ。霊と調和しなさい。肉体と調和しなさい。人と調和しなさい。食物、住居と調和しなさい。世界と調和しなさい。嬉し嬉しです。一生かかってもよいのです。遅くないのです。自分の中のケダモノのため直しにかからなければなりません。悪いクセ直さなければなりません。これが第一歩、土台ですよ。

 

 よきことは人にゆずりて人をほめ人たてるこそ人の人なる。

 

 敬愛のまこと心にまことのりまこと行う人ぞ人なる。

 

 (春立つ日、ひつく神)