日月神示 秋の巻 第十一帖(七五二)から第二十帖(七六一)

第十一帖(七五二)

 

 親と子は、生むと生まれるとの相違(そうい)出来てきますよ。また上の子と下の子と、左の子と右の子とは違うのですよ。違えばこそ存在します。

 

 

第十二帖(七五三)

 

 神についていなさい。理屈を言わず、ついていなさい。地獄ないと言ってありましょう。人は神の喜びの子と言ってありましょう。人の本性は神なのですよ。神なればこそ天国へ自(おの)ずから行くのです。住むのです。

 

 

第十三帖(七五四)

 

 人民、嘘が上手になったからなかなか油断なりませんよ。下々(しもじも)の神様も、嘘上手になりましたねえ。善だ悪だと言っていますが、人民の善はそのまま霊人の善ではないのですよ。そのまま霊人の悪ではないのですよ。心してください。

 

 

第十四帖(七五五)

 

 グッと締めたり、ゆるめたりして呼吸しなければなりません。其処(そこ)に政治の動きありますよ。経済の根本ありますよ。逆に締めることもありますよ。善といい悪の御用ということの動き、そこから出るのですよ。ジッとしていてはなりません。ジッとしている善は善ではないのですよ。

 

 

第十五帖(七五六)

 

 何程世界の為です、人類の為ですと言っても、その心が我(が)が強いから、一方しか見えないから、世界の為にはなりません。人類の為になりませんよ。洗濯です、洗濯です。自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与えてもなくなりません。与えなさい、与えなさい、与えてなくなるものは自分のものではないと言ってありましょう。無くなると思うのは形のみ見ているからです。カラのみ見るからです。本質は無限に拡がりますよ。与えるほどよりよく、神から与えられますよ。井戸の水のようなものです。汲めば汲むほどよくなる仕組。

 

 

第十六帖(七五七)

 

 統一ということは、赤とか白とか一色にすることではありませんよ。赤もあれば黄もあり青もあるのです。それぞれのものは皆それぞれであって、一点のゝでくくるところに統一あるのです。くくるといっても縛るのではないのですよ。磁石が北に向くよう、すべて一点に向かうことなのですよ。これを公平と言い、平等と言うのです。悪平等は悪平等。一色であってはなりません。下が上に、上が下にと言ってありますが、一度で治まるのではないのです。幾度も幾度も上下に引っくり返り、また引っくり返りビックリですよ。ビックリこねまわしですよ。

 

 

第十七帖(七五八)

 

 神示(ふで)が一度でわかる人民にはミタマシズメやカミシズメやカミカカリはいりません。わからないからやらしているのですよ。やらさなければわからないし、やらすと脇道(わきみち)に陥(おちい)るし、いやはや困ったものですね。

 

 

第十八帖(七五九)

 

 人民は神のヘソとつながっているのですよ。ヘソの緒さえつながって居ればよく、神人なのですよ。ゝとゝとつながって、さらに大きゝにつながっているからこそ動きあり、それぞれのハタラキあり、使命を果たし得るのですよ。同じであって全部が合一しては力出ないのですよ。早く心入れ替えと言ってありますが、心とは外の心なのですよ。心の中の中の中の心の中にはゝが植え付けてありますが、外が真っ暗です。今までのやり方では行けないことわかりておりましょう。要らないものは早く捨ててしまいなさい。直々(じきじき)の大神様は月の大神様です。

 

 

第十九帖(七六〇)

 

 中今(なかいま)ということは、ゝ今ということ。ゝは無ですよ。動きなき動きなのですよ。そのことよくわきまえてくださいね。今までのこと、やり方変えねばなりません。一段も二段も三段も上の広い深い、ゆとりのあるやり方に、神のやり方に、規則のない世に、考え方、やり方、結構ですよ。

 

 

第二十帖(七六一)

 

 科学にゝ入れると宗教となるのです。ゝは数。カネは掘り出せません。生み出してください。