日月神示 星座之巻 第一帖から第九帖

五十黙示録 第三巻

 

星座之巻(全二十四帖)

 

昭和三十六年五月十日

 

 

第一帖

 

 この巻、星座の巻。偶然というのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって、偶然ではないのですよ、天に星あるごとく、地には塩があるのですよ、シホ、コオロコオロにかきならして大地を生みあげたごとく、ホシをコオロコオロにかきならして天を生みあげたのですよ。天の水、地の水、水の中の天、水の中の地、空は天のみにあるのではありませんよ、地の中にもあるのですよ、天にお日さまあるごとく、地中にも火球がありますと言ってありましょう、同じ名の神二つありますよ、大切なことですよ。

 

 

第二帖

 

 ナルの仕組(しくみ)とは鳴戸(ナルト)の経綸ですよ、八が十になる仕組、岩戸開く仕組、今まではなかなかにわからなかったのですが、時節が来て、岩戸が開けて来たから、見当つくでしょう、富士と鳴門の仕組、結構致してくださいね。

 

 

第三帖

 

 時、時、と言ってありますが、時間ではありませんよ。神々にも聞かせているのですよ。地上人には時間が考えられるけれど、神界には時間がなく、神も霊人も時間は知らないのですよ。ただよろこびがあるのみなのです。神界で時間というのは、ものの連続と変化、状態の弥栄のことなのですよ。時を待ちなさい。時違えることのないように。地上人の時間と区別して考えなければこの神示(ふで)はわかりませんよ。

 

 

第四帖

 

  人民もの言えないことになると言ってあったことが近くなりました、手も足も出ないこと近づきました、神が致すのではありません、人民自身で致すこと分かってきますよ。人民の学や智では何とも判断出来ないことになりますよ。右往左往(うおうさおう)しても、世界中かけ廻っても何にもなりませんよ、わからなくてもわかった顔しなければならない時が来ました、嘘の上ぬりご苦労ですね、人民がいよいよお手上げということに、世界が行き詰まって神のハタラキが現れるのですよ、日本人びっくりです、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来ないでしょう、身体中、黄金(こがね)に光っているのが国常立大神(クニトコタチノオオカミ)の、ある活動の時の御姿です、白金(しろがね)は豊雲野大神(トヨクモヌノオオカミ)ですよ、今の科学ではわかりません。一万年や三万年の人間の地上的学ではわからないこと、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島なのですよ、わからないことがいよいよわからないことになったでしょうが、元の元の元の神の言うことをよく聞き分けなさい、神の学でなければ今度の岩戸は開けませんよ。

 

 

第五帖

 

 悪の仕組通り、悪平等、悪公平の選挙で選び出すのですから、出るものは悪に決まっているではないですか、悪もよいけれど、悪も神の用(はたら)きですが、悪が表に出ること相なりません。

 

 

第六帖

 

 人民というものは生命(いのち)が短いから、気が短いから、仕組少しでも遅れると、この神は駄目だと、予言が違ったではないかと言いますが、二度とない大立て替えですから少しくらいの遅し早しはありますよ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からなのです。遅れても文句を言いますが早くなってもまた文句を言うものです、わからないというのは恐ろしいものですよ。

 

 

第七帖

 

 この世をつくった太神の神示なのです、一分一厘違わないことばかり、後になって気がついても、その時では遅い遅い、この神は現在もなお、太古を生み、中世を生み、現在を生み、未来を生みつつあるのです、この道理わかって下さいね、世界は進歩し、文明するのではないのです。呼吸するのみなのです、脈搏(みゃくはく)するのみなのです、変化するのみなのです、ぐるぐる廻るのみなのです、歓喜弥栄とはこのことなのです。

 

 

第八帖

 

 人民一度死んで下さいよ、死なねば蘇られない時となったのですよ、今までの衣を脱いで下さいと言ってありましょう、世が変わると言ってありましょう、地上界のすべてが変わるのです、人民のみこのままというわけには参りません、死んで生きて下さいよ。立て替え、立て直し、過去と未来と同時に来て、同じところでひとまず交じり合うのですから、人民にはガテンいきません、新しき世となる終わりのギリギリの仕上げの様相なのですよ。

 

 

第九帖

 

  白と黒とを混ぜ合わせると灰色となる常識はもう役には立ちません。白黒混ぜると鉛となり鉄となり銅となるのですよ、さらに銀となり黄金となるのですよ、これがミロクの世のあり方です、五と五では動きがとれません。そなたの足もとに、来たるべき世界はすでに芽生えているではないですか。