日月神示 星座之巻 第十帖から第十七帖

第十帖

 

 世の元は〇ですよ、世の末も〇ですよ、〇から〇に弥栄しますが、その動きは左廻りと右廻りですよ、(〇の左半分)と(〇の右半分)と言ってありましょう、その中心に動かない動きがあるのです、何もかも、人民まで変わるのが今度の大立て替え、食物も、衣類も、住居も皆変わりますと言っている時が来ているのですよ、いつまでチョンマゲを頭に乗せているのですか、ケンビキ今一度痛くなりますよ、そのケンビキ今度は東の方ですよ。

 

 ※ケンビキ=肩こり

 

 

第十一帖

 

 自由も共産も共倒れ、岩戸が開けたのですから元の元の元のキの道でなくては、魂(タマ)の道でなくては立っては行きません、動かない富士の仕組、ひらけて渦巻く鳴門(なると)です。新しい人民の住むところ、霊界と現界の両面を持つところ、この岩戸開きて二度とない九十で開く仕組。

 

 

第十二帖

 

  地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのではないのです、霊界の山川がマコトなのです、地上はそのマコト(〇九十)の写しであり、コト(九十)なのですよ、マ(〇)が霊界です、地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としています、互いに入れ替わって交わっているのですよ、このことわかれば来たるべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ない嬉し嬉しの世ですから、人民も浄化行しなければなりません、大元の道にかえり、歩まねばなりません、今までのような物質でない物質の世となるのですよ。

 

 

第十三帖

 

 父のみ拝(おろが)み讃えただけでは足りません、母に抱かれねば、母の乳を戴かねば正しく生長出来ないのですよ。一神として拝んでも足りません、二柱でも一方的、十万柱としても一方的です、マイナスの神を拝まなければなりません、マイナスの神とは母のことです、天にまします父のみでは足りませんよ、天にあれば必ず地にもありますよ、一即(そく)多即汎(はん)、地即天、天即地から表即裏なのです、マコトを行じて下さいね。

 

 

第十四帖

 

  目から泥を洗い去ると見えてきますよ、右の目ばかりではなりません、左の目の泥も落としなさい。泥のついていない人民一人もいませんよ、泥落とすには水がよいのです、世の元からの真清水で洗い落して下さいよ、世の元の元の元の真清水結構。

 

 

第十五帖

 

 十二人が一人欠けて十一人となりますよ、その守護神を加えて二十二柱、二十二が富士です、真理です、また三ですよ、今までは四本指八本指で物事をはかって誤りなかったのですが、岩戸が開けたから親指が現れて五本十本となったのです、このことよくわきまえなさい。

 

 

第十六帖

 

 偽(にせ)の愛、偽(にせ)の智というのは、神を信じない人民の愛と智であることを知りなさい、この人民たちは神の声を聞いても聞こえず、神の現われを見ても見えないのですよ、目を閉じ耳にフタをしているからです、今の人民よ学者よ金持ちよ、早く考え方を変えなければ間に合いません、心の窓早く開けなさい。

 

 

第十七帖

 

  土のまんじゅうと言ってありましょう、土が食べられると言ってありましょう、土から人民を生んだと言ってありましょう、ウシトラコンジンの肉体は日本の土ざと知らしてありましょう、土に生きよと言ってありましょう、地は血なのです、素サ鳴命(スサナルノミコト)様なのです、その土が生長して果ての果てに皮をぬぐ、それが地変なのです。