日月神示 星座之巻 第十八帖から第二十五帖

第十八帖

 

 天人が人民に語る時は、人民の中に来て、その人民の持つ言葉で語り文字を使うのですよ、自分と自分と語るごとくなるのですよ、天人同志の文字は数字が多いのです。夜明け前になると霊がかりがウヨウヨ、勝手放題にまぜくり返すのですが、それもしばらくの狂言。

 

 

第十九帖

 

 人民モノ言わなくなると言ってありましょう、モノが今までのようにモノを言わなくなり、マコトの世となるのです、天人の言葉はマコトですから、ただ一言で万語を伝え得るのです。言葉の生命(いのち)は愛であり、真ですから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉ではありませんよ。子音と母音と組み組みて、父音(ふいん)の気を入れて始めて言葉となるのですよ、今の人民のは言葉ではありませんよ、日本の古語がマコトの言葉です、言霊(ことだま)なのです、数霊(かずたま)とともに弥栄ゆく仕組。

 

 

第二十帖

 

 人民が正しく言葉すれば、霊も同時に言霊しますよ、神も応(こた)え給うのですよ。始め言葉(ことば)の元がありますよ、ムムムムムウウウウウゝゝゝゝゝアと現われますよ、神の現われですよ、言葉は神を讃えるものですよ、マコトを伝えるものですよ、共に鳴り、共に栄えるものですよ。

 

 

第二十一帖

 

 言葉は生まれ出るものなのです。まず言葉され、歌となり、文章となり、また絵画となり、彫刻となり、建築となり、また音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのですよ。神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びなのです、喜びなきものは芸術でないのですよ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術。

 

 

第二十二帖

 

 アとオとウは天人の言(コトバ)、アとエとイは天使の言(コトバ)、人民に与えられた元の言(コトバ)なのですよ、五柱の元津(もとつ)太神が十柱(とはしら)の夫婦神と現われ、十柱の御子(みこ)と交わって五十神と現れるのですよ。故に五十神の中の三十二神は新しく生まれるのですよ、さらに二十七神とはたらき、また二十五有法とはたらくのです。

 

 

第二十三帖

 

 二二の二の五つの今あけて、よろず因縁出づる時来ぬ。天の理が地に現われる時が岩戸あけです、日本の国が甘露台(かんろだい)です。

 

 

第二十四帖

 

 ※未発表のため、欠帖。

 

 

第二十五帖

 

 歓喜に裁きのないごとく、神には裁きはありません。裁き説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となりますよ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎません、裁きを説くのは自分で自分を裁いていること、人民に罪はありません。手長手伸堅磐常盤(たながたのしかきはときは)に祝う御代(みよ)なる。生井栄井津長井阿須波比支(いくゐさかゐつながゐあすはいき)たたえましを。底(そこ)つ岩根千木(いわねちぎ)岩高く瑞(みず)の御舎(みあらか)。四方(よも)の御門五方(みかどいつも)とひらき宇都幣帛(うづみてくら)を。御巫(かむなぎ)の辞(こと)おへまつる生足御国(いくたるみくに)、塩沫(しおなは)の留る限り皇国弥栄(みくにやさか)ゆ。海原の辺にも沖にも神つまります。天の壁地(くに)の退立(そぎた)つ極み手伸(たの)しき。八十綱(やそつな)を百綱(ももつな)とかけてささし給わむ。