日月神示 夏の巻 第十帖(七二七)から第十六帖(七三三)

第十帖(七二七)

 

 過去も未来も中今(なかいま)。神も人間と同じで、弥栄して行くのですよ。悪いクセ直さねばいつまでたっても自分に迫ってくるもの変わりません。おかげないと不足言っていますが、悪いクセ、悪い内分を変えねば百年祈り続けてもおかげないのですよ。理屈なしに子は親を信じます。その心で神に対しなさい。神が親となるのです。目と口から出るもの。目の光と声とは、実在界にも実力持っているのですよ。力は体験通して出るのですよ。

 

 

第十一帖(七二八)

 

 カタは形を持たねばなりません。念は語ることによって現われるのですよ。ゝが無くなればなるほど〇は有となるのですよ。このことよくわかって下さいね。肚の中のゴモク捨てるとよくわかります。

 

 

第十二帖(七二九)

 

 キが元と言ってありましょう。人民はすべてのもののキ頂いて成長しているのですよ。キ頂きなさいな。横には社会のキを、縦には神の気を、悪いキを吐き出しなさいな。よい気養って行きなさい。見分ける鏡与えてあるではないですか。道わからなければ人に訊くでしょう。わからないのにわかった顔して歩き廻っていてはなりません。人に尋ねなさい。これと信じる人に尋ねなさい。天地に尋ねなさい。神示に尋ねなさい。

 

 

第十三帖(七三〇)

 

 ウとムは相たがいに相反するのですが、これが一つになって動く。ウム組み組みてと、言ってありましょう。今の人民の智ではなかなか解けません。ウの中心はム、ムの廻りはウですよ。中心は無限、周辺は有限であることを知りなさい。

 

 

第十四帖(七三一)

 

 上に立つほど働かなければなりません。働いても力は減りません。働くにはキ頂かなければなりません。キから力生まれるのですよ。働くといって動くばかりではないのですよ。動かないのも働き、動くのも働き、よく心得なさい。寄せては返し、寄せては返し、生きているのですよ。始めの始めと始めが違うのです。後になるほどよくなりますよ。終わりの中に始めあります。祈り、考え、働きの三つ揃(そろ)わなければなりません。

 

 第十五帖(七三二)

 

 生めば生むほど、自分新しくなり成り、大きくなります。人間は大神のウズの御子(みこ)ですから、親の持つ、新しき、古きものがそのままカタとして現われ居て、弥栄えている道理です。人間のすべてに迫り来るもの、すべてを喜びとしなさい。努力しなさい。モノ喜ばせばモノは自分の喜びとなり、自分となります。心の世界は無限に拡がり、生長するのですよ。神に融け入って大宇宙に拡がるのですよ。神と共に大きくなればなるほど、喜び大きくなるのです。一神(いっしん)説いて多神(たしん)説かないのも片輪、多神説いて一神説かないのも片輪、一神則(そく)多神則汎神(はんしん)である事実を説いてきかせなさい。

 

 

第十六帖(七三三)

 

 人民は神の容(い)れ物と言ってありましょう。神のゝと人間のゝと通じて居ればこそ呼吸するのです。ゝとゝと通じて居ればそれでよいのです。神のゝと人民のゝと通じて居るならば、神の〇と人民の〇と同じようにしておかなければならないというのは、人間の誤りやすい、いつも間違い起こすもとですよ。神の〇と人間の〇と同じようにしておくと思って、三千年の誤りしでかしたのです。ゝとゝと結んでおけば後は自由です。人民には人民の自由があります。神のやり方と自ら違うところあってよいのです。天の理と人の理とは同じであって違いますと知らせてありましょう。心得なさい。