日月神示 黒鉄の巻 第十一帖(六二九)から第二十帖(六三八)

第十一帖(六二九)

 

 学出すから、我出すから行き詰まるのですよ。生まれ赤児(あかご)というのは学も我も出さない水晶のことですよ。練り直して澄んだ水晶結構ですね。親の心わかったら手伝いせねばなりません。言われない先にするものですと言ってありましょう。いつまでも小便かけていてはなりません。人間は罪の子ではありません。喜びの子です。神の子です。神の子なればこそ悔い改めなければなりません。真なき愛の道、悲しみの喜びからも生まれることありますよ。それは罪の子と言うのですよ。(一月二十二日)

 

 

第十二帖(六三〇)

 

 次の御用は神示(ふで)うつすことですよ。神示うつすとは神示を人間に、世界にうつすことですよ。神示を中心とした世界のはたらきしなさい。ゝ通した人間の仕事つかえまつりなさい。神示ゝとした世界つくることですよ。神示に囚われるからわからないのです。神示捨てて、仕事に神示生かして生活しなさいな。生活が神示です。わかりましたか。早く次の御用急いで下さいね。宗教に生きて、宗教に囚われることのないように。仕事が宗教です。小さいことから始めなさい。小乗の行と馬鹿にしないように。小乗の行から大乗の真理を掴(つか)むのですよ。(一月二十二日)

 

 

第十三帖(六三一)

 

  理屈で進んで行くと、しまいには共喰いから、我(われ)と我(われ)を喰うことになりますよ。神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さいますよ。結構に導いて下さいますよ。悪を意志して善を理解すること許しませんよ。悪を意志して善を理解しないとするのが悪です。善を意志して悪を理解しないとするのも悪です。悪を意志して悪を理解するところに、善としての悪の用(はたらき)生まれるのですよ。幽界もまた神の治(しろ)しめす一面のこと。(一月二十二日)

 

 

第十四帖(六三二)

 

 悪の総大将は奥にかくれているのですよ。一の大将と二の大将とが大喧嘩(おおげんか)すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来ているのです。真の理解に入ると宗教に囚われなくなりますよ。形式に囚われなくなりますよ。真の理解に入らないと、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りもわかりません。今に岩戸開いて明らかになったら、宗教いらなくなりますよ。政治いらなくなりますよ。喜びの歌高らかに鳴戸の仕組、富士にうつりますよ。(一月二十二日)

 

 

第十五帖(六三三)

 

 人間を幸福にするのは心の向け方一つです。人間はいつも善と悪との中にいるのですから、善のみということもなく悪のみということもありません。内が神に居りて外が人に和し、内が霊に居り外が体に和せば、それでよいのです。其処(そこ)に喜び生まれるのです。神から出た教えなら、他の教えとも協力して共に進まなければなりません。教派や教義に囚われるは邪の教え。豚に真珠とならないように。天国の意志は人間の喜びの中に入り、幽界の意志は悲しみの中に入ります。(一月二十二日)

 

 

第十六帖(六三四)

 

 いよいよ表の守護と相成(あいな)りました。表の守護とは、善いものもなく悪いものもなく、ただ喜びのみの守護となることです。悪いもの悪くなるのは表の守護ではありません。心得なさい。一つの魂を得ることは一つの世界を得ることです。人間は一人ではありません。神は善人の中にも悪人の中にも呼吸しています。悪なくては生きて行けません。悪は悪ではありません。外道(げどう)の悪が悪なのです。(一月二十二日)

 

 

第十七帖(六三五)

 

 霊ばかりよくてもなりません。体ばかりよくてもなりません。持ちつ持たれつの世なのです。わからないのは、我(われ)が偉いと思っているからです。目覚めればその日その時からよくなる仕組、結構楽し楽しでどんな世でも過ごせるのが神の道。智の中に悪を取り入れるゆとりの出来ないようではマコト成就しません。智の中にはすべてを取り入れて理解出来るようになっているのですよ。愛の中に悪入れてはなりませんよ。(一月二十二日)

 

 

第十八帖(六三六)

 

  目覚めたら起き上がるのですよ。起き上がらずには居れませんよ。神の命ずることはちょうどそのように人間にうつるのです。霊眼(れいがん)で見たり霊耳(れいじ)で聞いたりすることは間違い多いのです。心しなさい。ものに対しては人間そのものが霊なのです。人間はこの世の神と言ってありましょう。ものは人間の自由自在。偶像は排(はい)すべし。十像は拝(はい)すべし。悪に行く道はないのです。道は善のみに通じています。道なきところ進まないように。(一月二十二日)

 

 

第十九帖(六三七)

 

 愛から離れた理解はありません。善から離れた真理はありません。種なくて芽は出ない道理。人間の智でわからないことは迷信ですと言ってありますが、神界のことは神界で呼吸(いき)せねばわからないのです。わからない人間だから何といっても神を求めるより、いよいよになったら道はないのです。学に囚われてまだ目ざめない気の毒がウヨウヨ。気の毒ですねぇ。人間は霊人のカタシロになるからこそ養われているのですよ。成長して行くのです。血は愛によって生き、愛はヨロコビによって生きるのです。ヨロコビなきところに愛はないのですよ。ゝないところ生命(いのち)栄えませんよ。(一月二十二日)

 

 

第二十帖(六三八)

 

 まかせ切らなければマコトの安心立命(あんしんりつめい)ありませんよ。まかせ切るには、まかせ切って安心出来る神をつかまねばなりません。おかげ信心や病気治しの神ではまかせ切れないでしょう。早く合点結構ですよ。大きな生命に通ずるものには死はありませんよ。通じなけば死ありますよ。(一月二十二日)