日月神示 黄金の巻 第九十六帖(六〇七)から第百帖(六一一)

第九十六帖(六〇七)

 

 ウシトラコンジン様をまず理解しなさい。どんなことでも叶えてやりますよ。理解するには、理解する心、まず生まなければなりません。我れ善しでは拝めないコンジンさまですよ。天地すべてのもの、生きとし生けるもの悉(ことごと)く、よりよくなるように働いているのですよ。それが神の心、稜威(みいづ)です。弥栄というものです。その時、その人間のキに相応した神しか拝めません。悪いキで拝めばどんな立派な神前でも悪神が感応するのです。悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通じるならば、悪神引っ込んで、それぞれの善き神現われるのですよ。この道理よく心得なさい。(一月三日)

 

 

第九十七帖(六〇八)

 

 生命捨ててかからねば、まことの理解には入れない道理。身欲信心では駄目。いのち捨てねば生命に生きられない道理。二道二股多いと言ってありましょう。物の文明、悪(あ)しざまに言う宗教は亡びます。文明も神の働きから生まれたものですよ。悪も神の御働きというもの。悪にくむこと悪なのです。善にくむより尚(なお)悪い。何故にわからないのですか。弥栄ということは歩一歩ずつ喜び増して行くことですよ。喜びの裏の苦に捉われるからわからないことに苦しむのです。苦と楽、共に見なさいと言ってありましょう。偶然の真理、早く悟りなさい。(一月三日)

 

 

第九十八帖(六〇九)

 

 大切なものは一切は、神が人間に与えてあるではないですか。人間はそれを処理するだけでよいのですよ。何故に生活にあくせくするのですか。悠々(ゆうゆう)、天地と共に天地に歩みなさい。嬉し嬉しですよ。一日が千日と言ってありましょう。神を知る前と、神を知ってからとのことを言ってあるのですよ。神を知っての一日は、知らない千日よりも尊いのです。始めは自分本位の祈りでもよいと言ってありますが、いつまでも自分本位ではなりません。止まると悪となります。神の道は弥栄です。動き働いて行かないといけません。善と悪との動き、心得なさいな。悪は悪ならず、悪にくむが悪。(一月三日)

 

 

第九十九帖(六一〇)

 

 内にあるもの変えれば外からうつるもの、響いて来るもの変わって来ますよ。内が外へ、外が内へ響くのです。妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となりなさい。信仰の真の道ひらけますよ。一皮むけますよ。岩戸ひらけますよ。富士晴れますよ。(一月三日)

 

 

第百帖(六一一)

 

 真理を理解して居れば心配いりません。失敗も財産です。真剣で求めると真剣授かりますよ。求めるとは祈ること。よく祈るものはよく与えられます。日々の祈りは行です。百年祈り続けても祈りだけでは何もなりません。それは祈り地獄です。祈り地獄多いですね。肉体人は肉体の行しなければなりません。日々の祈り結構いたしてくださいね。次の祈りは省みることです。いくら祈り行じても自分省みなければ、千年行じても何もならない道理です。同じ山に登ったり降ったり、御苦労のこと、馬鹿の散歩というものです。悔い改めなさいと言ってありましょう。省みて行ずるその祈り弥栄えますよ。平面の上でいくら働いても、もがいても、平面行為で有限です。立体に入らなければなりません。無限に生命しなければなりませんよ。立体から複立体、複々立体、立々体と進まなければなりません。一から二に、二から三にと、次々に進めなければなりません。進めば進むほど、始めに帰りますよ。ゝに至りますよ。立体に入るとはマコトの理解生活に入ることです。無限に融(と)け入ることです。イワトあけなば富士輝きますよ。弥栄々々。(一月十八日)