日月神示 黄金の巻 第八十八帖(五九九)から第九十五帖(六〇六)

第八十八帖(五九九)

 

 日本は日本、唐(から)は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリスです。分け隔(へだ)てするのは神の心ではないと言う人民沢山ありますが、世界は一平ですと言って、同じことです、同じ神の子だと言っていますが、頭は頭、手は手、足は足と言ってありましょう。同じことであって同じではないのです。悪平等は悪平等です。世界丸つぶれのたくらみです。この道理よく心得なさいな。すべてのものをまず感受しなさい。その後に感謝しなさい。感謝すれば弥栄えます。(一月三日)

 

 

第八十九帖(六〇〇)

 

 喜びは神から流れ、愛から流れ出るのですが、愛そのもの、善そのものではありません。生命なのです。生命ですが生命の本体ではありません。天地には天地のキ、民族には民族のキありますよ。そのキは時代によって変わって来ます。その時のキが、その時のまことの姿ですよ。それに合わないものは亡んでしまいますよ。火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、火(カ)、水(ミ)の洗礼なくては銘刀は出来ない道理です。(一月三日)

 

 

第九十帖(六〇一)

 

 世界中がいくら集まって、善き世にいたす相談しても、肝腎のゝがわからないから、まとまりつきません。だれ一人、悪いわがままの癖(くせ)持たない人間ないのですよ。その癖を直して行くのが、皮むくことです。改心です。弥栄行くことですよ。金持つと金の地獄に、理屈持つと理屈の地獄に、神に捉われると神の地獄に落ちて苦しみますよ。持たねばならないし、中々ですねえ。まず求めなさい、求めなければなりません。まず捨てて求めなさい、求めて行しなさい。(一月三日)

 

 

第九十一帖(六〇二)

 

 愛の人間は深く、智の人間は広く進みます。経(たて)と緯(よこ)なのです。二つが織りなされて、結んで弥栄する仕組。経のみではなりません。緯のみではなりません。この世に生まれてはこの世の御用、この世の行せねばならない道理。この世に生まれて、この世の行せねば、生まれた時より悪くなります。草木より役に立たないものとなります。草木に変えると言ってありましょう。神が変えるのでありません。自分で成り下がるのです。わかりましたか。(一月三日)

 

 

第九十二帖(六〇三)

 

 つつましく、正しくして行けばその国々で一切不足なく暮らして行けるように何もかも与えてあるのに気付かないのですか。天災地変は人間の心のままと言ってありましょう。豊作、凶作心のままです。今のままで行けばどうなるか、誰にもわからないでしょうが、神示通りに出て来ること、未だ疑っているのですか。ひつくとみつくの民(たみ)あると言ってありましょう。ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受けます。愛に受けると直(ただ)ちに血となり、智に受けると直ちに神経と和してしまうのです。二つの民の流れ。(一月三日)

 

 

第九十三帖(六〇四)

 

 そなたが神つかめば、神はそなたを抱きます。神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるのです。そなたが有限から無限になるのです。神人(かみひと)となるのです。永遠の自分になるのです。他のために行しなさい。神は無理申しません。始めは子の為でもよいのです。親の為でもよいのです。自分以外の者の為に、まず行しなさい。奉仕しなさい。嬉し嬉しの光さし初(そ)めますよ。始めの世界ひらけますよ。一本足では立てません。二本足がよいのです。やがては明くる二三(フミ)の朝、二二(フジ)は晴れたり、日本晴れ。(一月三日)

 

 

第九十四帖(六〇五)

 

  落ちていた神々様、元へお帰りなさらねばこの世は治まらないのですよ。一人一人ではいくら力ありなされても物事成就しません。それは地獄の悪のやり方。一人一人は力弱くとも一つに和して下さいね。二人寄れば何倍か、三人寄れば何十倍もの光出ますよ。それが天国のまことのやり方、善のやり方、善人、千人力のやり方ですよ。誰でも死んでから地獄へ行きません。地獄は無いのですから行けない道理です。曲がって世界を見るから、大取り違うから曲がった世界つくり出して、自分で苦しむのです。其処に幽界出来るのです。有りて無き世界、有ってはなりません。(一月三日)

 

 

第九十五帖(六〇六)

 

 四季はめぐります。めぐる姿はウヅです。ウズは働き、上れば下り、下れば上る。この神示読んだ今が出航の港、神の恵みの時与えられているのです。明日と言わず実行しなさい。明日は永遠には来ませんよ。無いのです。今のみあるのです。(一月三日)