日月神示 雨の巻 第十五帖(三四九)から第十七帖(三五一)

第十五帖(三四九)

 

 四八音(ヨハネ)世に出ます、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現われますよ、用意しなさい。それまでにさっぱり変えてしまいますよ、天も変わり地(つち)も変わりますよ。この方等(ほうら)が世立て直すと言っても、この方等が世に出て威張(いば)るのではないのです、世立て直して世は臣民に任せてこの方等は隠居です、隠れ身です。地から世持ちて嬉し嬉しと言うこと楽しみです、(子供よ、)苦しい親の心よく汲み取りてください。この神示読まずにやれるならやってみなさい、彼方(あちら)でコツン、此方(こちら)でくずれです、大事な仕組早く言えば邪魔入るし、言わないではわからないし、何にしても素直にするのが一番の近道なのですよ、素直になれないのは小才(こさい)があるからです。鼻高だからです。

 

 神の国は神の国のやり方あると言ってありましょう、善きは取り入れ、悪きは捨てて、皆気つけ合って神の国は神の国です、金は金です、銀は銀ですと言ってありましょう、盲なりません、カイの御用もオワリの仕組も、何もかも裏表あるのです、裏と表の外(ほか)に裏表あるのです、ウオヱです、アとヤとワです、三つあるから道なのです。

 

 神前に向って大きく気を吸い、肚に入れて、下座(しもざ)に向って吐き出しなさい、八度(やたび)繰り返しなさい、神のキ頂くのです、キとミとの合いの霊気頂くのです。一二三(ヒフミ)がヨハネとなり五十連(イスラ)と成りなって十二の流れとなるのです、ムがウになるのです、ンになります、ヤとワと掘り出して十二の流れ結構です。知らしてありましょう、これまでの考え方やり方するなら立て替えではないのです、何もかも上中下(うえなかしも)すっかりと立て替えるのです、外国は龍宮の乙姫様、グレンと引っくり返しなされるのです、龍宮の乙姫様、雨の神様の御(おん)活動烈(はげ)しいのです。今度次の大層が出て来たらいよいよです。最後のとどめです、今度こそ猶予(ゆうよ)ならないのです、キリキリですから用意しなさい、三、四月気つけなさい、キ切れますよ。

 

 信心なき者ドシドシ取り替えますよ、この中、誠一つに清め下さいよ、天明まだまだです、世の元の型まだまだです、神の仕組成就しませんよ、神人共にと言ってありましょう、神厳しいのです、ぬらりくらりぬるくって厳しいと言ってありましょう。役員多くなくても心揃えて胴すえておりて下さいね、神がするのですから、この世に足場作っておいて下さいね、神無理言わないと言ってありましょう、けれどもちっとも気許してはなりませんよ。身魂相当に皆させてありましょう、掃除早くしなさい、己の戦まだ済んでいないでしょう、洗濯掃除早く結構です。

 

 この方の神示元とわかりながら他(た)の教えでこの道開こうとしても開けはしないのです、鏡曇っているから曲がって写るのです、一人の改心ではまだまだです、一家揃って皆改心して手引き合ってやりなさい、外国人も日本人もないのです、外国外国と隔(へだ)て心(ごころ)悪です。十二月十九日、一二(不明記号)。

 

 

第十六帖(三五〇)

 

 この世と言っても臣民の世ばかりではないのです、神の世界も引っくるめて言っているのです、勇んでやって下さいね、勇むところこの方力添えしますよ。心配顔この方嫌いです、歌唄ってくださいね、笑って下さいね、笑えば岩戸開けますよ。今の人民キリキリ舞いしながらまだキリキリ舞いするようもがいていますよ。土に返ると言ってありましょう、早く気づいた臣民人民楽になりますよ。

 

 神の守護というものは人民からはちっともわからないのです、わかるような守護は低い神の守護です、悪神の守護です、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民にはわからないのです、心しなさい、どんなことあっても不足言わないように、不足悪です、皆人民の心からですとくどう言ってありましょう、人民、キから起こって来たのです、我(われ)の難儀、我が作るのです、我恨むよりほかないのです、人民の心さえ定まったら、この方自(おの)ずから出て手柄立てさせます、手柄結構です。

 

 この世のもの一切神のものということまだわからないのですか、一切取り上げられてから成程(なるほど)なァとわかったのでは遅いから、嫌がられても、くどう同じようなこと言っているのですよ、人民の苦しみこの方の苦しみですよ、人民もこの方も同じものです、この道理わかりましたか、この方人民の中にいるのです、言(こと)分けて言っているのですよ。

 

 まだまだ大きい戦烈(はげ)しいのです、これで世良くなると思っていると大間違いとなるのです、これからが褌(ふんどし)です、善き世となれば褌要りませんよ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマです、ヘチマ愉快で嬉しいなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろうがな、何もかも嬉し真(しん)から楽しき世ですよ。誠が神です、コトが神です、元です、道です、一です二です。始めコトありと言ってありましょう、キです、まつりです。十二月十九日、一二(不明記号)。

 

 

第十七帖(三五一)

 

  天地の先祖、元の神のてんし様が王の王と現われなさります、王の王はタマで御(おん)現われなさるのです。

 

 礼拝の仕方書き知らせますよ、節分から始め下さいね。

 

 まず、気整えてしばし目つむり、心開きて一拝二拝八拍手(はくしゅ)しなさい、また気整えて、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)と言(こと)高く宣(の)りなさい、また気整えて、ひふみ三回宣りなさい、これは喜びの舞い、清めの舞い、祓いの歌です。世界の臣民皆宣りなさい、身も魂(たま)も一つになって、宣り歌い舞いなさい、身魂全体で柏手(かしわで)するのです、終わりてまた気整えて、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)、一二三四五六七八九十百千万(ひとふたみよいつむななやここのたりももちよろず)と言高く宣りなさい。

 

 神気整えて、天(あめ)の日月(ひつき)の大神様、弥栄(やさか)ましませと祈りなさい、これは祈るのです、地(くに)の日月の神様、弥栄ましませ弥栄ましませと祈りなさい、終わって八拍手しなさい。

 

 次の雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼言いなさい、終わってから神々様の気頂きなさい、気の頂き方前に知らせてありましょう、何よりも臣民人民のイキの命の糧(かて)なのです、病なくなる元の元のキです、八度繰り返しなさいと言ってありましょう、しばらくこのように拝みなさい。

 

 神代(かみよ)になるまでにはまだ進むのです、それまではそのようにしなさい、この方の言うようにすればその通りになるのです、さまで苦しみなくて大峠越せます、大峠とは王統消す(?)のです。新しき元の命と成るのです。神の心となれば誠わかります。誠とはマとコトです、神と人民同じになれば神代です、神は隠身(かくりみ)に、人民表に立ってこの世治まるのです。雀の涙ほどのもの取り合いへし合い、何しているのです、自分のものだとまだ思っているのですか。

 

 御恩とは五つの御のことです、御恩返さなければならないのです、このことよく考えて間違えないようにしてください。この巻は「雨の巻」です、次々に知らせるから、身魂相当により分けて知らしてあげなさい、言分けて一二三(ひふみ)として知らせてあるのもよいのです。役員皆に手柄立てさせたいのです、臣民人民皆にそれぞれに手柄立てさせたいのです、待たれるだけ待っているのです、一人で手柄は悪です、皆分けあってやりなさい、手握ってやりなさい。石もの言いますよ、十六の八の四の二の一、目出度(めでた)や目出度やなあ。

 

 神の仕組の世の出(い)でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変わり八変わり、九十々(ここのたりたり)て百千万(ももちよろず)の神の世弥栄。十二月十九日、ひつ九のか三。

 

<『雨の巻』了>