日月神示 磐戸の巻 第十四帖(二五〇)から第十六帖(二五二)

第十四帖(二五〇)

 

 生味(しょうみ)の、生き通しの神が、生味を見せてやらねばならないことに、いずれはなるのですが、生神の生味は烈しいから、今のうちに綺麗に洗濯しておきなさいと言うのです、皆にまつろいておきなさいと言うのです。可哀そうなのは兵隊さんです、神に祈ってやりなさい。幽界(がいこく)人よ、神の国にいる幽界(がいこく)魂の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ない苦しみに一時はなるのですから、神から見ればそなたたちも子ですから、早く神の下に還ってくださいね、いよいよとなりて来たのです、くどう気をつけなさい。一月十三日、(〇の中にゝの印)の一二のか三。

 

 

第十五帖(二五一)

 

 この方(ほう)の道、悪きと思うなら、出なさい、善きか悪きか、ハッキリと得心(とくしん)ゆくまで見せてやります。何事も得心とせねば、根本からの掃除は出来ないのです、役員気つけてくださいね。皆和合してください。悪き言葉、息吹が、この方一番邪魔になるのです、苦労なしにはマコトわかりません、欲は要りません、欲出したら曇ります。盲人になります、お詫びすれば赦(ゆる)してやりますよ、天地に御無礼ない臣民一人もないのです。病治してやりますよ、神息吹つくってやりなさい、神息吹とは一二三書いた紙、神前に供えてから分けてやるもののことです。腹立つのは慢心からです、守護神よくなれば肉体よくなりますよ、善も悪もわからない世、闇の世と言います。

 

 天照皇太神宮(てんしょうこうたいじんぐう)様の岩戸開きは、騙(だま)した、間違いの岩戸開き(ぞ、無理に開けた岩戸開き)ですから、開いた神々(かみがみ)に大きなメグリあるのです、今度はメグリだけのことはしなければなりません、神には分け隔(へだ)てないのです、今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じり気のない、マコトの神の息吹で開くのです。混じりあったら、濁り少しでもあったら、またやり直ししなければならないからくどう気つけているのです。いつまでも変わらないマコトで開くのです。一月十四日、旧十一月三十日、(〇の中にゝの印)の一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十六帖(二五二)

 

  世の元からの生神(いきがみ)が揃(そろ)って現われたら、皆腰抜かして、目パチクリさして、物言えないようになるのです。神徳貰(もら)うた臣民でないとなかなか越せない峠です、神徳はいくらでも背負いきれないまでにやりますよ、大き器(うつわ)持ちていなさい、掃除した大きな容れ物いくらでも持っていなさい、神界にはビクともしない仕組出来ているのですから、安心して御用務めてくださいね。今度はマコトの神の力でないと何も出来はしないと言ってありましょう、日本の国は小さいが、天と地との神力強い、神のマコトの元の国です。

 

 洗濯と言うのは何事によらない、人間心捨ててしまって、智恵や学に頼らずに、神の言うこと一つも疑わず、生まれ赤子の心の初心(うぶごころ)になって、神の教え守ることです。身魂磨きというのは、神から授かっている身魂の命令に従って、肉体心捨ててしまって、神の言うとおり背(そむ)かないようにすることです。学や智を力と頼むうちは身魂は磨けません。学越えた学、智越えた智は、神の学、神の智ですということわかりませんか。今度の岩戸開きは身魂から、根本から変えてゆくのですから、なかなかです。天災や戦ばかりでは中々埒あきません、根本の改めです。小さいこと思っているとわからないことになると言ってありましょう、この道理よく肚に入れて下さいね、今度は上中下三段に分けてある身魂の因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きですから、根本から造り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りですよ。

 

 叱るばかりでは改心出来ないから、喜ばして改心させることも守護神にありてはあるのです、聞き分けよい守護神殿少ないのです、聞き分けよい悪神、早く改心します、聞き分け悪き善の守護神あります。この道の役員は昔からの因縁によって身魂(みたま)調べて、引き寄せて、御用さしてあるのです、滅多に見当狂いません、神が綱かけたら中々離しませんよ、逃げられるならば逃げてみなさい、くるくるまわってまた初めからお出直しで御用しなければならないようになって来ますよ。身魂磨け出したら病神(やまいがみ)などドンドン逃げ出します。出雲の神様大切言いなさいと知らしてあること忘れないように。子(ね)の年真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とです。未(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日です。一月十四日、(〇の中にゝの印)の一二のか三。