日月神示 日の出の巻 第十二帖(二二五)から第十六帖(二二九)

第十二帖(二二五)

 

 日に日に厳しくなって来ると言ってあったこと始まっているのですよ、まだまだ烈しくなってどうしたらよいかわからなくなり、あちらへウロウロ、こちらへウロウロ、頼るところも着る物も、住む家も食う物もなくなる世に迫って来るのですよ。それぞれにメグリだけのことはしなければならないのですよ、早い改心はその日から持ち切れないほどの神徳(しんとく)与えて、嬉し嬉しにしてあげますよ、寂しくなったら訪ねてきなさいと言ってありましょう、洗濯次第でどんな神徳でもあげますよ、神は御蔭(おかげ)やりたくてウズウズしているのです、今の世の様(さま)見てもまだわかりませんか。神と獣とに分けると言ってありましょう、早くこの神示(ふで)読み聞かして、一人でも多く救けてくださいね。十二月十二日、ひつ九のか三。

 

 

第十三帖(二二六)

 

 これまでの仕組や信仰は方便のものでしたよ。今度は正味(しょうまつ)の信仰です、神に真っ直ぐに向かうのです。(〇の中にゝの印)向(ヒムカ)と言ってありましょう。真上に真っ直ぐに神を戴いてくださいね、斜めに神戴いても光は戴けるのですが、横からでもお光は戴けるのですが、道は真っ直ぐに、神は真上に戴くのが神国の真(まこと)の御道です。

 

 方便の世は済んだと言ってありましょう、理屈は悪だと言って聞かしてありましょう、今度はどうしても失敗(しくじ)ること出来ないのです。神の経綸(しぐみ)には狂い無いのですが、臣民失敗ると経綸遅れて、臣民いよいよ苦しまなければならないのです、泥の海に臣民のたうちまわらなければならないのです、神も泥海にのたうつのですよ、甲斐(かい)ある御苦労ならいくらでも苦労甲斐ありますが、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られないから、早く掃除して神の言うこと真っ直ぐに肚(はら)に入れてくださいね。

 

 斜めや横から戴くと、光だけ影さすのです、影させば闇となるのです、大きものには大き影がさすと臣民言って、やむを得ないことのように思っていますが、それは真の神の道知らないからです、影さしてはならないのです、影はあるが、それは影でないような影です、悪でない悪なると知らせてありましょう。真上に真っ直ぐに神に向えば、影はあれど、影無いのです、闇ではないのです。この道理わかるでしょう、神の真道(まみち)は影無いのです、いくら大きな樹でも真上に真っ直ぐに光戴けば影無いのです、失敗(しくじり)無いのです、それで洗濯せよ掃除せよと言っているのです、神の真道わかりましたか。

 

 天(てん)にあるもの、地(ち)にも必ずあるのです、天地合わせ鏡と聞かしてありましょう、天にお日様あるように、地にもお日様あるのです、天にお月様あるように、地にもお月様あるのです、天にお星様あるように、地にもお星様あるのです。天から息吹けば、地からも息吹くのです、天に悪神あれば、地にも悪神あるのです。

 

 足元気つけと言ってありましょう。今の臣民、上ばかり見て頭ばかりに登っているからわからなくなるのです、地に足つけてと言ってありましょう、地拝(おろが)みなさいと、地にまつろいなさいと言ってありましょう、地の神様忘れていますよ。下(しも)の神様忘れていますよ、下と言っても位の低い神様のことではありません、地の神様です、地にも天照皇大神様、天照大神様、月読(つきよみの)大神様、須佐嗚之(すさのおの)大神様あるのです、知らしてあること、神示よく読んで下さいね、国土(くにつち)のこと、国土の真の神を無いものにしているから世が治まらないのです。神々祀りなさいと言ってありましょう、改心第一と言ってありましょう、七人に伝えなさいと言ってありましょう、我(わ)れ善(よ)しはチョンです。十二月十四日、ひつ九ノか三。

 

 

第十四帖(二二七)

 

 お日様は円(まる)いのではないのです、お月様も円いのではないのです、地球も円いのではないのです、人も円いのが良いのではないのです、息しているから円く見えるのです、活(はたら)いているから円く見えるのです、皆形無いもの言います、息しているもの皆円いのです。神の経済このことから生み出しなさい、大きくなったり小さくなったり、神の御意(みこころ)どおりに活(はたら)くものは円いのです、円い中に芯ありますよ、神の政治、このことから割り出しなさい、神は政事(まつりごと)の姿です、神の政治生きています、人の政治死んでいますよ。十二月十五日、一二(〇の中にゝの印)。

 

 

第十五帖(二二八)

 

 十柱の神々様、奥山に祀ってくださいね、九柱でよいのです、いずれの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様です、この方合わして十柱となるのです。御神体の石集めさしてありましょう、篤く祀って、辛酉(かのととり)の日にお祀りしてくださいね。

 

 病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると言ってありましょう。届くとは注ぐことです、手首の息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸と臍(へそ)の息と背首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのです、災難見ないのですから、毎朝神拝(おろが)みてからよく合わしてみなさい、合っていたらその日には災難無いのです、ことに臍の息一番大切です、もしも息合っていない時には一二三唱えなさい、唱え唱えて息合うまで祈りなさい、どんな難儀も災難も無くしてやりますよ、この方、意富加牟豆美(おおかむつみ)の神です。神の息と合わされると災難、病無くなるのです、大難小難にしてやりますよ、生命(いのち)助けてやりますよ、このことはこの方信じる人でないと誤るから知らさないように、手二本、足二本入れて十柱です、手足一本として八柱です、このこと早く皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやりなさい。飛行機の災難も、地震、罪穢(つみけがれ)の禍(わざわい)も、大き災難ある時には息乱れるのです、一二三祝詞と祓い祝詞と神の息吹と息と一つになっておれば災難逃れるのです、信ずる者ばかりに知らしてやってくださいね。十二月十八の日、ひつ九か三。

 

 

第十六帖(二二九)

 

 悪の衣(ころも)着せられて、節分に押し込められし神々様御出ましです。この節分からはいよいよ神の規則通りになるのですから気をつけなさい、容赦は無いのです、それまでに型さしておきますよ、御苦労なれど型してくださいね。ヤの身魂御苦労、石なぜ物言わぬのぞ、いよいよとなりているではないですか、春になったらどんなことあるかわからないから、今年中に心洗濯しなさい、身のまわり洗濯しなさい、神の規則臣民には堪(こば)れないことあるかも知れませんよ、気をつけなさい。十二月十九日、一二(〇の中にゝの印)。