日月神示 極め之巻 第一帖から第十帖

五十黙示録 第五巻

 

極(きわ)め之巻(全二十帖)

 

昭和三十六年八月五日

 

 

第一帖

 

 宇都志(うつし)水に天津(あまつ)水添え奉(たてまつ)らむを。夕陽(ゆうひ)より朝日照るまで太祝詞(ふとのりと)せむ。火結神(ほむすび)の陰(みほと)焼かへて岩戸とざしき。世界を一つにするのですから王は一人でよいのです、動きは二つ三つとなるのです、キはキの動きミはミの動き、動いて和してキミと動くのです。三が道ですと知らしてありましょう、自他の境界つくらないように、自(おの)ずから自他の別と和が生まれてお互いに折り重なって栄えるのです、世界一家への歩み方、やり方間違えないように。九分九厘まで進まねば後の一厘はわかりません、今が九分九厘です、日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタ国、自ずから相違あるのです。

 

 

第二帖

 

 青玉の水江の玉ゆいよよ栄えむ。天地咲(ゑ)む神の礼白臣(いやしろおみ)の礼白(いやしろ)、天(あま)つ神の寿言(よごと)のままに八十(やそ)岩明けぬ。守護神をよく致せば肉体もよくなります。神の道は一本道ですから、多くに見えても終わりは一つになるのです、今が終わりの一本道に入るところ、この道に入れば新しき代は目の前、神も今まではテンデンバラバラでありましたが、今に一つにならねばならないことに、天が命じているのです。人民の中と外も同様です。今の人民はマコトが足りないから、マコトを言っても耳に入らないのですが、今度は神が人民にうつって、また人民となってマコトの花を咲かす仕組、同じことを百年も続けてくどう言うと人民は言いますが、わからないから言っているのですよ。

 

 

第三帖

 

 我(わ)が身を捨てて、三千世界に生きて下さいね、我が身を捨てると言うことは我(が)を捨てること、学を捨てることです、捨てると真理が摑(つか)めて大層な御用が出来るのです、それぞれの言葉はあれどミコトは一つですと言ってありましょう、ミコトに生きて下さいね。言葉の裏には虫がついています、英語学ぶと英語の虫に、支那語学ぶと支那語の虫に犯されがちです。わからねばならないし、なかなかながら御苦労して下さいね。大難を小難にすることは出来るのですが無くすことは出来ません。不足言うと不足の虫が湧(わ)きます、怒ると怒りの虫です。一生懸命、自分の信じるように、神を小さくして自分で割り切れるように、引きずり降ろして居るなれど、困ったものですね、長くゆったりとした気持ちで神を求めて下さいね。

 

 

第四帖

 

 大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸い込んで下さいね。そなたの神を一応捨てて心の洗濯を致してくださいね、神示(ふで)が肚に入ったら捨てて下さいと言ってありましょう、神を信じつつ迷信に落ちていますよ。日本がヒの本の国、艮(うしとら)のかための国、(〇の中にゝの印)(ヒ)出づる国、国常立大神がウシトラの扉を開けて出づる国ということがわかって来ないと、今度の岩戸開きはわかりませんよ、こんなこと言えば、今の偉い人々は、古くさい迷信だと鼻にもかけませんが、国常立尊がウシトラからお出ましになることが岩戸開きなのです、今の学ではわからないことばかり。善と悪とに、自分が勝手に分けて、善をやろうと言うのが、今の世界のあり方。天の王、地の王のこと、ゝのことがハッキリわからねば足場がないではないですか、足場も、目当てもなくてメクラメッポウに歩んだとて目的には行きつけぬ道理。

 

 

第五帖

 

 つまらないことに心を残すのは、つまらない霊界との縁(えにし)が残っていることです。早く岩戸を開いて富み栄えて下さいね、人民富み栄えることは、神が富み栄えることです。何事も祓い清めて下さいね、清めるとは和すことです、違うもの同士和すのがマコトの和です。8までと9、10とは性が違うのです。

 

 

第六帖

 

 和すには5と5でなくてはなりませんが、陽が中、陰が外です、天が主で地が従です、男が上、女が下、これが正しき和です、逆様(さかさま)なりません、これが公平と言うものです、陰と陰と、陽と陽と和しても陰です、陽と陰と和して初めて新しき陽が生まれる、陽が本質的なもの、この和し方が祓い清め。

 

 

第七帖

 

 今まで世に落ちていた神も、世に出ていた神も皆一つ目です、一方しか見えないから、世界のことは、逆の世界のことはわからないから、今度の岩戸開きの御用はなかなかです、早く改心してこの神について御座るのが一等です。外国の方が早く改心しますよ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことです。神の目からは世界の人民、皆我が子です。世界中皆この神の肉体です、この神には何一つわからない、出来ないということないのです。どんなことでも致して見せますよ。

 

 

第八帖

 

 元は5で固めたのです、天のあり方、天なる父は5です。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰まって世界の難渋(なんじゅう)です。手や足の指は何故に5本であるか、誰にもわからないでしょう。

 

 

第九帖

 

 天の5を地に写すと地の五則(そく)となるのです、天の大神は指を折って数(かぞ)え給うたのです、天の大神の指も五本ですから、それを五度折って二十五有法となされ、五十をもととされたのです、神々(しんしん)、神心(しんしん)、神理(しんり)、神気(しんき)、神境(しんきょう)です、この交叉弥栄(こうさいやさか)は限りなし、これを五鎮(ちん)と言うのです。上天、下地、照日、輝月、光星、これを五極と言います。東木、南火、中土、西金、北水、これを五行と言う。裸物、毛物、刃物、鱗物、甲物を五生と言い、文則、武則、楽則、稼則、用則を五法と言うのですが、それだけでは足りません、その中に〇があるのです、大神がましますのです、人民の頭ではなかなかに理解出来ませんが、理解して下さいね。これが妙です、奇です、天の父の教えであり、地に写した姿です。

 

 

第十帖

 

 神示に出したら天明に書かすのですと知らしてありましょう、神示はいくらでも神界に出してあるのです、神が想念したならば、神界ではそれが神示となっているのです、それを人民にわかるように書かすのです、父と母との文字で書かすのです、天明は神示うつす役、書かす御役。